通じようとしたときに、はじめて通じることができる。
チュリと生活していると、鳴き声をつかって心の動きを様々に表現しているのがわかるようになる。
楽しい時、寂しい時、怒っている時...私とコミュニケーションをとるために、時に応じて違った鳴き方をしているのだ。
私の姿が見えなくなって探している時には、「ぴゅーい!」と呼び鳴きをする。私が出かける前は、「きゅい〜、きゅい〜」と寂しそうな声を出す。
今朝、チュリをケージの外で遊ばせていた時、突然「ギャギャギャ!」と怒り声をあげ始めた。
騒がしく鳴いてるなと思ってチュリの方を見てみると、私の方を見て寂しそうな表情をしていた。一人で遊んでいるかと思っていたけれど、どうも私に相手をして欲しかったらしい。
チュリのそばに行って、なあに?と話しかけると、怒り声は止まって、落ち着いた表情になった。私と言葉は通じなくても、チュリは自分の思いを鳴き声を使ってちゃんと伝えようとしていたのだ。
しかし、私がその鳴き声を「鳴き声」とだけ思っていると、「騒がしいな」とか「今日はずいぶん不機嫌ね」とか、それくらいにしか感じることができない。
ほんとに当たり前のことなんだけど、通じようと思って聞かないと、通じないものなんだな、と思った。
しかし、通じようとするならば、たとえそれが言葉の通じない相手だとしても、心を通わせることができるのだ。
気をつけないといけないのは、言葉の通じる人間同士。
たとえ言語が通じても、通じたいと思って心を開いていないと、言いたいことが理解できずに、思いを跳ね返してしまうこともある。
誰かと話が通じないと思った時は、まずは自分から先に心を開けてみよう。
そうしたら相手の言葉にならない声が、心に伝わってくるかもしれない。
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