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認知症介護〜大丈夫、あなたはあなたの人生を生きていい〜

ガタガタガタガター
そう音がした。

わかっていたことだけど、
「認知症です。」
医師からはっきり告げられた瞬間、
自然と涙があふれこぼれた。

音を立てて崩れ落ちる感覚、
一瞬でなんとも言葉にし難いものがのしかかる。

だから今すぐあなたに伝えたい。
「大丈夫、あなたはあなたの人生を生きていい。自分のために生きていい。」

認知症の介護は約3年、それは必然なことでした。

当時、同じビルの2階に私、3階に祖母が生活していました。

実は「祖母」と言っても、私の大叔母(私の母の母の妹)にあたる人で、
私の母も祖母(母方)も早くに亡くなったため、
ずっと祖母と孫の関係でいましたし、時には親子、姉妹、友人のようでもありました。

そのため「祖母」で、文章を書き進めていきますね。

あなたはひとりじゃない

私は介護を終えてから十数年近く経ちます。
結果「介護には正解も答えもない。」と。

だからこそ、
「これでよかったのか」
「間違っていなかったのか」
「あーしていれば、こうしていれば」
と、未だに後悔や罪悪感を感じてしまい、
書いている今でも苦しくなって書くことを止めてしまいそうになります。

それでも、私の経験が誰かに届き、
気持ちを共有し合えるあなたのひとりになりたい。
あなたの苦しみが少しでも和らぎますよう。

増える介護事件

昨今介護においての事件をよく見聞きするようになりました。
「介護する側の自殺」「介護殺人」「介護虐待」など、
そのようなニュースを見ると、
おこがましいですが気持ちがわかるような気になり、
胸が苦しく、当時のことを思い出し気分が晴れなくもなります。

・頼れない、「助けて」が言えない
・家族なんだから介護するのが当たり前
・介護は親への恩返し
・親の面倒を見られないなんて親不孝だ
・最期まで看取りたい、家で看取られたいを叶えてあげたい

私は当時、生真面目でプライドが高くもあり、
シングルマザーで息子3人を育てていましたから、
もともと強くあろうと気を張って生きていました。

「祖母には私しかいない、私が守っていかなければ」
あの診断の日、音を立てた感覚、のしかかる重み、その崩れを立て直す。

そのため「助けて」が言えないというよりは、「言わない」だったのです。

あなたには「助けて」とまわりに言ってほしい。
頼っていいし、愚痴ってもいい。
ひとりにならないでください。

海外のドラマでも

私は「英国ミステリー」が好きでよく観るのですが、
ドラマに登場する人物が“仕事”と“親の介護”の両立で葛藤する様子、
罪悪感に苦しむ様子なども、
ドラマの内容に織り込まれることも増えたように思います。

介護をしているとつい視野も狭くなりがちになりますが、
広い世界のどこかで、自分と同じような思い、
経験をしている人がいるということを忘れないでいて欲しいです。
あなたはひとりじゃない。

気分転換やストレス解消方法

「ドラマや映画を観る」ことでストレス解消している人は多いらしいですよ。
私も介護中、現在でも「ミステリー」にはお世話になっています。

・美味しいもの、好きなものを食べる
あなたの好きな食べものはなんですか?私は餡子が好きです。
・動物、ペットと触れ合う
動物は好きですか?水族館など最近行ったことはありますか?
猫カフェもいいですね。
・散歩、ストレッチなどカラダを動かす
空を見上げたのいつですか?雲やお月様はどんな形をしていますか?
・本を読む
どのような本が好きですか?大人になって見る絵本もいいものですよ。
私は絵本、翻訳ミステリーが好きです。

あなたがあなたがらしくいられる時をどうか忘れないでいてください。

認知症の始まり

2012年(平成24年)秋頃、当時祖母は80歳、私は30半ば。

祖母の物忘れが目立ち始めてきて、
その時は老いの物忘れ程度に思っていたのですが、
年末にかけて物忘れ症状はひどくなっていきました。

症状

・人との約束を忘れる
・約束もないのにずっと待っている
・予定を何度も確認しに来る
・いつも飲んでいる薬が残っている
・通帳が見当たらないと何度も言う
・料理を焦がすことが増えた
・同じものを何度も買う
・片付けられない
・お金の使い方がわからない

あーわかる!当てはまることはありましたか?
ひどくなってくるとこれらの頻度が増えていくんですよね。

まわりの人に迷惑がかかる

予定や約束の部分になりますが、
相手の方から私に「おばあちゃんが来ないんだけど」や、
祖母がずっと外で立って待っていたり、玄関先で待つものだから、
相手の方に私が連絡をすると「約束はしていない」と。
このようなことが増えていきました。

さらに驚いたことは、
昔馴染みのお店、
祖母世代から言わせると「ブティック」(セレクトショップ)、
そこへ十数万円の買い物をして「ツケ」、
昔馴染みなのでそういうことはよくあったらしい。
そのツケが未払い、本人は買ったことを覚えていないというのです。

やはり人に迷惑がかかること、
ましてお金が絡むことは本当に嫌なことでした。

最初の診断

その頃私は「認知症」という言葉を知らず、
ましてや「介護」ということも頭にありませんでした。

当時情報はほとんどなく、
祖母の症状から調べて出てくる言葉は
・痴呆
・アルツハイマー
・認知症
これらが同じことなのかも全くわからず、
何をどうしたらいいのかもわかりませんでした。

病院へ行くきっかけ、タイミング

・祖母が薬を飲んだか判断できなくなった
・心臓の持病への不安
・そもそも病院の予定を忘れている

祖母はもともと心臓に持病があり薬をずっと飲んでいました。
しかしその薬も飲んだのか飲んでいないのかもわからなくなり、
心臓のこともわからなくなっては大変と思い、
私もちゃんと祖母の心臓のことも聞いておきたいと思い、
年末にかかりつけの内科に付き添うことにしたのです。

そしてその時に最近の祖母の様子を伝えてみました。

病院へのきっかけやタイミングはわかりづらいかも知れませんが、
今の私に言えることは、
気になることがあったら、“早めにお医者さんに聞いてみる”がいいと思います。
勘違いでも早とちりでもいいと思います。
ひとりで悩み考え込むよりも、
こうした早めの行動は後に「頼る」「誰かに話す」ということに
つながってくると思います。

検査

・長谷川式スケール
その時はおそらく「認知症」と言われる症状だということ。
その当時、「今はまだ症例も少なく情報も少ない」と言われました。

もっと詳しく判断するために脳の検査をすることに。
・MRI
・CT
・脳波
だったかなぁと思います。
個人病院のため、別の大きな病院での検査になるため、
翌年1月末の予約となりました。

私の不安

冒頭に書きましたように検査結果は
「認知症」
「治ることは難しいので、進行を遅らせる薬を」
とのことでした。

当時情報はほとんどなく、対応の仕方も不十分な状況の中、
これから祖母はどんな症状になっていくのか、
私は何をして、どうやっていけばいいのか全くわからない。

いつまで続くのか、
何もわからないまま先も見えず、
“子育て”と“祖母の変化”本当に不安で怖かったです。

変わる祖母、その時私は…

わずか3、4ヶ月で、
あんなに元気にひとりで生活行動していた祖母が、
私がいないといけないような状況になり、
はつらつとしていた姿も肩を落とし自信がない様。

私はと言ったら…
「めんどくさい」
正直始め頃は思っていました。

何度も確認してくるので、
「またー?」
と呆れ冷めた態度もあったと思います。

祖母の“忘れる”や“できない”に煩わしく、
イラっともし、
私は祖母のそれらが理解できないので
「なんで?」と怒りにも責めにも変わるのです。

祖母は
「私どうしてしまったのか、頭の中がおかしい」
「くるくるぱーになった」
「もうだめだ、どうにかなってしまった自分が怖い」
とよく言うようになっていました。
私はそんな祖母に返す言葉も見つかりません。

祖母の自信のない様は私のせい…
申し訳なさそうにする祖母の姿に、
私も平然を装ってみたり、
祖母の変化についていけず、理解できないことに苦しみました。

2人で苦しんだ数ヶ月です。

診断を受けてよかった

「認知症」とハッキリしたことで不安ばかりが続いたのではありません。

祖母自身の様子と言えば“忘れる”ので、
特に大ごととの意識もなく、
今まで通り生活をしているつもりでいるのだと思います。

私自身、いくら祖母が“忘れる”からと言って、
人の心、感情の部分には伝わる、残る、感じるのではないかと思い、
「心でなされたことは心でかえる」
を常に心に持ち接することを心がけました。

祖母と私の変化

何かあっても「認知症だからね」が言えるようになりました。

祖母が「くるくるぱーになった」と言っても、
「認知症だからだよ」と平穏に返すことができます。
「怖い」という祖母に「大丈夫だよ」と返すことができます。
祖母も理解はできていないにしても「認知症か」と腑に落ちるようです。

ただそこには「認知症だから諦める」も入ってしまう。
これが「後悔と罪悪感」を作ってしまった。

認知症のトラブル、問題行動の対応(対処)

祖母とはいっしょに生活をしていなかったので、
祖母のことを四六時中見ていられるわけもなく、
当時の対応(対処)がよかったのかはわかりません。
情報がない中で私が考えた精一杯でした。

・人との約束を忘れる
・約束もないのにずっと待っている
・予定を何度も確認しに来る
祖母の友人、知人に認知症のことを伝え、
約束や予定事など私にも教えもらうようお願い。
ただ私がいつでもその日に、
約束を守る行動の手助けができるわけではなく、断ることもありました。

・いつも飲んでいる薬が残っている
私が管理。

・通帳が見当たらないと何度も言う
置き場所を教えてもらっておく。

・料理を焦がすことが増えた
危ないからなるべく作らないよう祖母に伝えるが、
長年ひとりでやってきた習慣があるのだろう、これは難しかった。

・同じものを何度も買う
これも止められなかった。
私がいれば何度も出たり帰って来たりを繰り返す様子がわかるので、
「どこに行くの?」と声をかけたり、
「さっきも行ったよ」など止めることができますが、
本人はいつも通りの買い物へ行っている気なのです…
しかし歯磨き粉20本には驚いた!

・片付けられない 
服やカバンが散乱、ゴミが溜まっていく。
片付けてもまた散らかす…の繰り返し。

・お金の使い方がわからない
セレクトショップへは「認知症なので今後ツケはさせないようにしてください。お店に来た際、購入時には私にすぐ連絡をください。」とお伝え。

一番困ったのは、当時の固定電話の勧誘や販売です。ある日カニがたくさん届きました…。
私がいない時は電話線を外す、電話がかかってきたら私が出て対応する。
「祖母は亡くなりました。」これでかかってきません。

・外出
近所の人にも認知症であることを伝え、
何かあったら声をかけてもらうよう、私に連絡くださるようお願い。

何しに出たのかわからなくなった祖母が友人のお店で待っていたり、
ある日近所の人が、血まみれの祖母を連れて帰って来てくれた時もあり…
その時はひとりで転けてしまったようで前歯が折れ、腕を骨折。

・認知症を知った身内に資産を奪われる
・貸したお金を返さない親戚
身内事件で祖母の認知症は急速に悪化したように思います。
そのため、祖母を連れて引っ越しをすることになりました。

行動制限

お気づきでしょうか、
「認知症だから」と行動に制限が出てきたことを。

そして私はまだ「介護」という意識がないのです。

「認知症だから諦める」

これが後悔と罪悪感を作ってしまった。
診断を受けて認知症だからと腑に落とす。
この「認知症だから」は、
・「忘れてしまうんだから」
・「理解できないんだから」
・「覚えられないんだから」
・「できないだから」
の「どうせ…」。

私自身のこともそう、
・仕事に制限がかかる
・休日に外出できない
・子供優先でなくなる
・常に祖母のことが頭にある

これらが互いを“依存させていく”
「祖母には私しかいない」
「私には孫しかいない」

情報がないということで、
「私が」「私が」とどんどん自分の考え方が固執していくのです。

祖母も「くるくるぱーになる」と言い、
そんな不安や怖さから「孫がいないと何もできない」と安心を求める。

互いの依存は世界を狭めてしまいます。
誰かのためだけに生きる世界。

そしてそれは介護後の喪失感、無気力感にもつながってしまいます。

無知の知

あの頃情報がなく、知る術もなく、まわりに経験者がいるはずもない。
認知症は“何もわからなくなる人”
“何もできなくなる人“そんなイメージ。

幸いにも認知症のことがよくわからななかったので、
“隠したい”気持ちも“恥ずかしい”思いも祖母と私には全くなく。
そのため、まわりの人へ症状や状況を伝えることができたし、
まわりの人も「認知症」と言うフレーズを知り、
どのような状況、状態であるかを少しはイメージしてもらえることになる。

後に認知症が世に知られてくると、
“知られたくない”“隠しておきたい”“恥ずかしい”
と思う人が多いことを知り驚きました。

知らないと言うことを知る、自覚するという事は良いことだった。
知らずのうちに「無知の知」を学ぶことができました。

あなたはあなたの人生を生きていい

「大丈夫、あなたは自分のために生きていい」

誰かのためにだけ生きてはいけない。

ここまでの私の経験は、
症状が出始めてから約8ヵ月、
診断を受けてから約3ヵ月くらいの出来事になります。

数ヶ月であっという間の進行でした。
この数ヶ月、色々なことが起こりました。

一つ一つの出来事の詳細はまたいずれ書きたいと思います。

私がお伝えしたいのは、
どうか早く誰かを頼ってください。
ひとりで抱え込まないでください。

愚痴ってもいいんです。
誰かに話てください。

そして、何度も言います。
「大丈夫、あなたはあなたの人生を生きていい、自分のために生きていい。」

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