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【中国山地の歴史⑦】ヤマタノオロチの源流

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。今回は中国山地で語り伝えられるヤマタノオロチ神話について書いてみたいと思います。
 中国山地には神話が豊富に語り伝えられており、神話を題材にした神楽も盛んです。中でも「ヤマタノオロチ」は神楽の人気演目で、最も有名な神話の一つと言えます。この、ヤマタノオロチ神話は、日本書紀や古事記といった日本最古級の歴史書の記載を原点としています。例えば、古事記の原文では、「降出雲國之肥上河上名鳥髪」と記載されており、スサノオノミコトが、出雲国の斐伊川の上流にある鳥髪(現在の奥出雲町鳥上)の地に降り立つところから始まります。その後の物語を簡単に紹介すると、スサノオノミコトは出雲で泣き崩れている老夫婦に出会い、老夫婦の八人いた娘が毎年ヤマタノオロチに食われており、とうとう最後の娘も今夜食われてしまうことを知ります。そこで、スサノオノミコトは、やしおりの酒(何回も仕込みを繰り返した濃い酒)を用意してヤマタノオロチに飲ませ、酩酊したところを剣で倒し、救った娘「稲田姫」と結婚します。また、倒したヤマタノオロチの尾から剣が発見されます。

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写真:鳥上の船通山山頂での神楽(筆者撮影)

ヤマタノオロチ神話は治水事業?

 このヤマタノオロチ神話の起源を考えていくうえで重要な分かれ目の一つが、この神話は、日本の列島社会で独自に生み出されたのか、あるいは、大陸など列島の外から伝えられてきたのかということで、両方の説が存在しています。日本の列島社会で独自に生み出されたという解釈としては、斐伊川の治水事業説などが代表的です。例えば、鳥越憲三郎先生が「洪水を大蛇とみ、荒らされる稲田を助ける須佐之男命が、話の原形であったかもしれない」としているように、ヤマタノオロチを暴れ川の斐伊川に見立て、スサノオノミコトが治水事業を行うことで、水田での稲作を象徴する存在としての「稲田姫イナダヒメ」を守ったと解釈します。斐伊川の治水を目的として本流の上流部に平成23年(2011)に完成した尾原ダムは、この説の流れを汲んで「平成のオロチ退治」と呼ばれていました。今でも広く受け入れられている説の一つと言えます。

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写真:斐伊川と鳥上の船通山(筆者撮影)

ヤマタノオロチ神話と類似した他国の神話

 一方で、大陸など日本列島の外から伝えられてきたという解釈もあります。例えば、大林太良先生はヤマタノオロチ神話とよく似た神話が「東は日本から西は西アフリカのセネガンヴィア、ヨーロッパのスカンジナヴィア、スコットランドにまで拡がって」いると指摘しています。そして、神話、伝説のモチーフなどは、ほとんど無限大に発生する可能性があり、独立に同じモチーフの神話はなかなか生まれないため、別々の地域や異なる民族の神話や伝説によく似たモチーフがある場合は、伝播か古い親戚関係があたと考えられると解釈し、ヤマタノオロチ神話の原型は「おそらく、紀元前1千年紀ごろ西方から東方への何回もの大きな文化の流れによって運ばれたものであろう。」という見解を示しています。また、後藤明先生は、ユーラシア大陸を横断してヨーロッパからシベリア、インド、東アジア、そしてアメリカ大陸に広がる起承転結や因果関係をもった物語性の強い一大神話群を「ローラシア型神話」と呼び、ヤマタノオロチ神話はローラシア神話に含まれるとしています。そして、ローラシア神話は「地球上の大部分の地域にホモ・サピエンスが移住した後に西アジアの文明圏を中核」として生み出され、「さまざまな集団の移動によって各地に伝播していった。」としています。

 日本の列島社会で独自に生み出されたという説と、大陸など列島の外から伝えられてきたという説の両方をご紹介しました。私としては、ヤマタノオロチ神話と大陸の神話には無視できない類似性があるということと、越国から来たとか、肥河(斐伊川)や鳥髪(鳥上)といった日本の地名や人名が含まれているということ、そして、スサノオノミコトが降りたとされる船通山は、他の中国山地の山々と比較して標高が特別に高いというわけではないため、船通山が聖なる山として神聖視されるためには、出雲地方の農地を潤す斐伊川の水源であるという農耕の視点も排除できないと考えることから、大陸から伝播した物語の基本構造に、日本の風土を反映した独自の解釈が加わって形成されたものと、今の所は理解しておきたいと思います。

ヤマタノオロチ神話と製鉄との関係

 ところで、ヤマタノオロチ神話は、かつて中国山地の基幹産業であった「たたら製鉄」と関係があるのではないか、ということも昔から指摘されてきました。大林太良先生も「ヤマタノオロチ退治の神話は、日本の周囲では、中国の中・南部と東南アジアの異伝と特に類似している。ところがその地域では、怪物を退治する武器は金属器、ことに鉄剣であって、しかも鉄剣の由来や、発見の要素がしばしば伴っている。これはこれらの神話群が、この地域では金属器文化、ことに鉄文化と関係があるのではないかという疑いをおこさせるのに十分である。」としています。また、後藤明先生も、世界各地の竜退治の神話について「竜退治のためにはしばしば名剣を鋳てもらう必要があるとされる。竜は剣で倒されるか、英雄が剣を作った鍛冶場に逃げ、熱した鉄で倒される、という形になることが多い。これは鉄器文化の発達と関係しているだろう。」と、竜と鉄の関係について指摘しています。

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写真:鳥上の船通山山頂に建つ「天業雲剣出顕之地」の石碑(筆者撮影)

 ヤマタノオロチ神話には、酒や剣といった要素が登場します。酒や金属精錬は、農耕を開始した文化でなければ存在しえないので、ヤマタノオロチ神話に類似した物語の分布は、少なくとも古くから農耕が行われており、さらに製鉄技術も獲得した地域とかなりの程度関連することになると思います。また、ただ分布が重なるというだけでなく、現在のように科学が発達する以前、製鉄は神秘的な技として理解されていた可能性が高いことを考えると、そもそも製鉄技術と製鉄にまつわる神話は不可分の存在で、技術は神話を伴いながら伝播してきた可能性も排除できません。なかなか一つの答えにはたどり着きませんが、ヤマタノオロチ神話の成立に思いを馳せながら神楽を見ると、新たな面白さがあるかもしれません。

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写真:中国山地を代表する神楽の一つ「石見神楽」(筆者撮影)

〈参考文献〉
(1)国立国会図書館蔵『古事記』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533573/26
(2)鳥越憲三郎『出雲神話の成立』創元社.1971
(3)大林太良『日本神話の起源』徳間文庫.1990
(4)吉田敦彦『日本神話の源流』講談社学術文庫.2007
(5)大野晋『日本語の源流を求めて』岩波新書.2007
(6)村井康彦『出雲と大和』岩波新書.2013
(7)秋山裕一『日本酒』岩波新書.1994
(8)後藤明『世界神話学入門』講談社現代新書.2017

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