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ハチドリ舎とのコラボ企画⑤ 〜まちの〈隙間〉・空き家の使いこなし方〜

 2023年1月からはじまった「空き家」をテーマとする「ハチドリ舎」と「みんなでつくる中国山地」のコラボレーション企画。今回は、会員・中尾が第5回の開催レポートをお届けいたします。

▼第4回の開催レポートはこちら。

 今回のゲストは、大谷悠(おおたに・ゆう)さん。現在は、広島県の福山市立大学都市経営学部で専任講師として教鞭をとりつつ、お隣の尾道市の山手地区で空き家を仲間たちと改修し、「迷宮堂」と名づけ、地域の交流拠点にしようと活動しています。今回は、大谷さんの著書『都市の<隙間>からまちをつくろう ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』(学芸出版、2020)にもある、ドイツ・ライプツィヒの〈隙間〉での実践から見えてきたことについて、お話を伺いました。

都市の〈隙間〉とは?

 空き家が問題となった場合、解決策としては主に4つのアプローチがあります。

1.空き家をリノベーションしたり、空き地を再開発する市場主導型
2.空き家を公益的な施設にしたり、空き地を公園などにする行政主導型
3.歴史的価値を評価した文化財保存
4.どれも難しい場合は壊す

 ただ、難しいのは、不動産的価値もあまりなく、歴史的価値もあまりなく、公益的価値もあまりないという、行政にも市場にも手がつけられない「中途半端な空間」。それが、大谷さんの言う「都市の隙間」です。

 これらを不動産市場に戻そうという話ではなく、隙間だからこそ生じることはないのだろうか、と大谷さんは考えました。今ある問題はそんなに簡単に解決しないので、その中でおもしろいことを見つけていこう。

 このマインドは、大谷さん自身のまちづくり活動の実践にもつながっているように思います。ここからは、ドイツ・ライプツィヒでの実践の経験から見えてきたことについて、お話いただきました。


戦時中並みの人口減少を経験したライプツィヒ

 ライプツィヒは、旧東ドイツのベルリンに次ぐ2番目の都市として発展した、人口およそ60万人の都市。1900年代、普仏戦争後の好景気で工場が増え、労働者向けの集合住宅(グリュンダーツァイト様式)がたくさん建てられました。その後、1990年のドイツ統一後、多くの旧国営企業が西側との競争に負けて撤退したことで、労働者が流出し、人口が激減しました。2000年頃には空き家率50%超、人口減少率44%という地区も現れ、ライプツィヒの街自体の存続が危ぶまれました。

 そこでライプツィヒの行政は、市街地の住宅を間引き、古い建物の取り壊しを推奨する計画を打ち出しました。取り壊した空き地を緑地にすることで、住環境を向上させるという計画でした。実際にこの計画で、14,000戸の建物が取り壊されましたが、その中には築100年前後の「グリュンダーツァイト建築」も3分の1ほど含まれていました。

 住民側からは、これらのグリュンダーツァイト建築を壊すのではなく、保存してほしいという市民運動が生まれましたが、これらがまさに冒頭の「都市の〈隙間〉」だったのです。これに対して、ハウスハルテンというNPOが、とりあえずタダで誰かに使ってもらおうと、空き家の所有者と使いたい人をつなぐ取り組みを始めました。利用者にとってのメリットは言わずもがなですが、所有者にとっては、無料で建物を維持管理してくれる人を雇えるというメリットがあります。しかもNPOが仲介してくれる人は信用できます。

 この取り組みでハウスハルテンは、社会的な活動や文化芸術活動、子育て支援など、地域に還元される活動をしようとする人々を優先的に仲介していきました。その結果、子どもの絵本工房や、自主映画のスタジオ、アーティストの拠点など、今のライプツィヒをけん引するような活動団体が、家賃タダの空き家から活動をスタートすることになりました。


友達がほしくてはじめた「日本の家」

 そうした活動のプラットフォームの上に、大谷さんたちが立ち上げた「日本の家」もあります。日本の家は、3人の日本人で自分たちの居場所をつくるために始まりました。この地域は、外国人移民が多く住んでおり、「ドイツ最悪の通り」と言われるほど、ドラッグ・貧困・移民難民の統合などの社会課題も多く抱える地域でした。

 そこでのメインの活動は、週2回みんなでごはんを作って食べるという「ごはんの会」。プロではない素人たちで、共に手を動かすことで、社会的な立場や属性などを取っ払った、一人の人として存在しあうチャンスにもなっています。
 シンプルな活動ですが、様々な人たちと出会うことが、仲間だと思える人の範囲が広がっていくことでもあり、差別や分断を乗り越えることにもつながっていくのではないでしょうか。

 この活動に参加している人たちの多くが、定職についていない「素人の暇人」でした。最初は日本人中心で始めた活動ですが、徐々に地元の若い人が入ってきて、アラブ系の人たちが運営の中心になった時期も。現在は、日本人の女性チームが運営しているそうです。

 現在、ライプツィヒは最も人口が増加している地域になっています。家賃がどんどん上がり、日本の家も引っ越さざるを得なくなったそうですが、ライプツィヒの中にあった多くの魅力的な「謎」のスペースがなくなりつつあります。不動産市場が正常に戻るほど、素人による自治の活動から継続が難しくなってしまいます。大谷さんは、尾道でも同じことが起こるのではないかということも考えているそう。


みんなで改修する尾道の「迷宮堂」

 2020年に尾道市に移住した大谷さん。古い物件を3軒譲り受け、自分たちで改修することに。ライプツィヒでの活動と同じように、どんどん謎のメンバーが集まってきました。母屋の改修は終わり、現在は残りの物件を、別のメンバーが中心になって改修中。車が入らない地域で、生活用品の買い物など、住民の生活を支える機能を持たせたいと構想しているそう。(詳しくは、ぜひ今秋発刊の「みんなでつくる中国山地」004号で!)


 まちにある空き家という〈隙間〉。これを素人が活動できるチャンスと捉えていくことができる、ということを教えていただきました。また、「まちをつくるとは、他者と空間を共有すること。キレイなことばかりじゃなくて、たくさんのコンフリクトがあって、まさに人生の修行」という言葉も、これから地域で開かれた場をつくろうとしている方には刺さったのではないでしょうか。

 安彦さんからは、「空き家というとハード部分の話が多く、その中身の活動の話はあまり語られてこなかったけど、大事な話だと思った」との感想。そして森田さんからは、「中国山地もライプツィヒも尾道も、同じような人口動態をたどっている。しかもその要因は資本主義で、不動産価値に振り回されない空間づくりを進めようとするアプローチそのものも、中国山地のアプローチに近いものを感じた」とコメントがありました。

 ぜひ、海と山でもっとつながりを深めたいですし、中国山地メンバーで尾道へも遊びに行きたいなと思っています。大谷さん、ありがとうございました!

▼次回(第6回)のレポートはこちら。


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