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【みすず書房コラボ企画・システマティック臨床精神医学】読者への手引き公開

このnoteでは……
システマティック臨床精神医学』(中外医学社・2024年)と『マクヒュー/スラヴニー 現代精神医学』(みすず書房・2019年)に関する記事を公開していきます。
 今回は、『システマティック臨床精神医学』の冒頭に掲載されている澤先生の「読者への手引き」を公開いたします。『現代精神医学』との関係や本書が必要になった背景など、『システマティック臨床精神医学』を理解するためのヒントが溢れております。ぜひお楽しみください。


読者への手引き

この本の背景,邦訳に至った経緯

 まず,この本の原著の背景,そして邦訳に至った経緯からご説明したい.

 ジョンズホプキンス大学医学校ならびに附属病院は,1990 年代から 20 数年にわたって常に全米第一位の評価を維持し,最近の時代変動の中で継続的第一位という立場はより相対的なものになりつつあるものの,その名前を聞かれたことのある読者も多いのではないかと想定する.このジョンズホプキンスにおいて,1980-90年代に臨床精神医学部門,病院精神科の主任教授を務めたポール・マクヒュー,同科の臨床研修教育担当長だったフィリップ・スラヴニーは,精神疾患をどのように把握し,考えるかを説明した教科書として「The Perspectives of Psychiatry」を出版した.この本は 2019 年にみすず書房から『現代精神医学』(後述)として邦訳され出版されている.

 「The Perspectives of Psychiatry」は,ジョンズホプキンス大学医学部,附属病院における臨床精神医学の考え方の基本,骨格の 1つをなすものとして現在も大事にされているが,医学生もしくは若手の医師から,その考え方を実地例に適応して説明するものがあればさらにわかりやすい,とコメントされることが多かった.そこで,マクヒュー,スラヴニーのもとで臨床精神医学を学んだ,マーガレット(メグ)・チズムとコスタス・レケストスは,その考え方を実際の症例に対してどのように適用するかを具体的に示した本を記した.すなわち,親本となる「The Perspectives of Psychiatry」と一緒に読むことが理想的ながらも,親本の本質的な考え方とその適用が学べるような本「Systematic Psychiatric Evaluation」を著した.本書はこのチズムとレケストスの本を邦訳したものである.

 筆者(本書監修者)は,東京大学医学部附属病院にて松下正明教授のもとで臨床精神医学の基礎を学んだ.一方,比較的キャリアの早い時期からジョンズホプキンスに移籍し,そこで臨床精神医学,精神医学研究の両方を学んだことから,マクヒュー,スラヴニーも私にとって尊敬する先生方であり,チズムとレケストスは日本で言えば上級医と研修医のような年齢関係にある私の先輩医師である.それゆえ,私はある程度の距離感を持った客観性を維持しながらも,「The Perspectives of Psychiatry」の価値を実体験している立場にあると思っている.さらには,私の恩師である松下先生は「The Perspectives of Psychiatry」の考え方を日本に広めることの重要性をつねづね私にご指導くださり,それが親本の翻訳につながり,さらにはこの本の邦訳へとつながった.

 昨今の医学生の方々,若手精神科医,医師,医療関係者の諸氏には,「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)」というマニュアルを前提に精神医学の専門的知識を詰め込むことが,まず期待されているのかもしれない.しかし,このあとで述べるように,それだけでは大いに不十分な点が残ることも多くの方々は感じておられるに違いない.このようなフラストレーションに対して「The Perspectives of Psychiatry」や,その邦訳『現代精神医学』は良き解決法を与えてくれる書籍である.したがって,これらの親本にある考え方の実地応用の仕方について多くの読者が興味を持ってくださるに違いないと考えた.そうした諸氏に「Systematic Psychiatric Evaluation」の邦訳をお届けしたい,というのが本書『システマティック臨床精神医学』に至った経緯である.


「The Perspectives of Psychiatry」の考え方とは?:DSM との関係

 症例を中心とした本書の意義を皆さんによく理解していただくには,「The Perspectives of Psychiatry」の考え方とは何であるかについてまずご説明するのが良いと思われる.

 「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)」は,実地臨床が能率的に進むように,すなわちある症例に対して複数の医師が同じ診断名に速やかに至るためのマニュアルである.あたかもこれが精神医学のゴールドスタンダードのように語られることもある.しかし,このマニュアルの絶対的欠点は,たとえ臨床表出からは同じ診断名がついた患者群に対しても,その群の医学的,生物学的均一性は保証されるものではないことにある(英語では「validity」の不足として記述される).さらには,患者さんに対して診断名をつけることは必ずしもその患者の問題点の本質を「理解」することでないにも関わらず,それで診療が表層的に閉じてしまうリスクを生むことなどを含む.実用的メリットだけを考えたマニュアルは,精神医学全体の枠組みへの理解を失わせる傾向にもある.すなわち DSMとは,患者の臨床的表出にのみ基づいて診断を「割り振る」,もしくはそれぞれの患者に診断という「ラベル」をつけるという,カテゴリカルなチェックリストである.それらの表層性,問題点を非常に批判的に取り上げたうえで,それらを克服するための「考え方」を記したのが「The Perspectives of Psychiatry」であった.精神医学は単なる疾患のカタログ,用語集だけをもつこと(すなわち DSM をもつこと)だけで満足すべきでなく,科学的な考察を試み,病気,障害の成因まで立ち戻って病気・障害を分類していくべき,との主張である.

 「The Perspectives of Psychiatry」の邦訳(『マクヒュー / スラヴニー  現代精神医学』みすず書房,2019 年)が出た際に,多くの先生方からいただいた書評の内容は,本書『システマティック臨床精神医学:4つの多元的観点による治療体系化』のさらなる理解につながると思われるので,少しご紹介したい.たとえば京都大学精神科神経科の村井俊哉教授は「Perspectives」の意義として,「DSM という操作的診断基準によってわかりにくくなった精神医学の概念的構造をはっきり目に見えるように」するものだと記された.さらには,DSM 時代の「専門職試験の対策などで丸暗記を余儀なくされた大量の知識の中には,どうしてもお互いに矛盾しているところがいくつもあったはずである.そうした疑問に対して,みなさんが手にしている試験対策のテキストはおそらくは答えてくれないだろうが,本書(Perspectives)の中にその答えは見つかるかもしれない」という書き方をしてくださった.

 より具体的には,「The Perspectives of Psychiatry」は精神疾患を多元的観点,説明原理で「理解」していくことを提唱する.すなわち,疾患の観点,特質の観点,行動の観点,生活史の観点である.これらの 4つの観点,歴史的に精神疾患の理解のために提唱されてきたさまざまな学派(精神分析,生物学,行動学など)の考え方を相克として捉えるのでなく,システマティックに組み合わせることで総合的な理解に役立てるためにある.相克し合う学派間の問題を解決するために多数の視点をもつといえば,George Engel による生物心理社会モデルを思い出される方もいるかもしれない.しかし「The Perspectives of Psychiatry」はそれとも異なった立場,すなわち「多元主義」をもつ.生物心理社会モデルは,さまざまな方法を無自覚に混在させ盲目的に組み合わせて用いる傾向にあり,それゆえ折衷主義と呼ばれる.これに対比して多元主義は,多数の方法論の必要性を認めた上で,個別の問題を考察する際に多数の方法論の中からもっとも優れたものを強調しながらそれらの方法論を組み合わせていく,という能動的,意図的なプロセスである.この意味合いは,各症例を読んでいただく時,読者にとって明らかになるだろう.4つの観点から考えるという作業をどの症例に対してもシステマティックに行いながらも,どの観点をより強調するのがそれぞれの症例にとって最も良いのかを,能動的に考えていくプロセスが大事にされているのだ.
上記のように,「The Perspectives of Psychiatry」の邦訳である『現代精神医学』出版の際にいただいた書評の内容は,この考え方のさらなる理解に役立つので,そのリンクもぜひご参照いただきたい.
<https://www.psychiatry.fim.med.kyoto-u.ac.jp/publications/perspectives>


本書『システマティック臨床精神医学』の目的

 まず,『システマティック臨床精神医学』とタイトルにあるように,精神医学の概念的構造をはっきり目に見えるようにした「Perspectives」の見地にたった精神医学をお伝えするのが本書の目的である.そして「4つの多元的観点による治療体系化」とサブタイトルにあるように,上記疾患の観点,特質の観点,行動の観点,生活史の観点からの各症例の検討をご紹介しながら,単に各症例に診断名というラベルをつけるのでなく,それぞれの患者を深く正しく「理解」していくプロセスをお伝えしていく.良き精神科診療とは,カテゴリカルなチェックリストを用いて,それぞれの患者に診断を「割り振る」,もしくはそれぞれの患者に診断という「ラベル」をつけるというプロセスではないのだ.

 この考え方の本質において著者たちは,あらかじめ決められた学説,ものの見方に合わせるように患者の状態像を理解しようとする姿勢に対しても批判的である.むしろ,カール・ヤスパースが提唱したように,一例一例に丁寧にバイアスのない目で向き合い理解していく臨床的態度を奨励している.まとめるに,本書の目的は,DSM に従って診断名をつけたものの,各症例について本当の「理解」をするにはどうしたらいいのだろう,とお感じになった際のガイドを提供したいというものである.


本書「システマティック臨床精神医学」の内容について

 では,この本の構成と内容について具体的にふれていきたい.

 まず 2つのチャプター(序論,精神科的評価)において,「The Perspectives of Psychiatry」の考え方が簡潔に紹介され,そこでの 4つの観点を組み込んだ,ステップを丁寧に 1つずつ踏んでいくシステマティックな患者評価プロセスについてご紹介する.ステップの説明は以下に示すが,ステップ 1 はどの CASE に対しても共通のものなので,CASE 1 においてのみ詳細が紹介される,すなわち,他の症例においてもショートカットなくそのステップは必須であることをお忘れないようにしていただきたい.原著では 9 CASE が紹介されていたが,日本の社会的事情と大きく異なる症例だけは翻訳時に割愛し,本書では 8 CASE をご紹介する.

ステップの説明
 7つのステップを 1つ1つ段階的にふむ精神科的評価が提唱されており,各症例に対してこの中の 1つもショートカットしないシステマティックな患者評価プロセスが期待されている.

 ステップ 1は,患者-医師の信頼関係の確立である.社会そして個々の患者は精神医学,精神科診療に対して,それが通常の医学診療(たとえば,高血圧や喘息に対する診療)と何か違うものがあるのではないか,という誤解を持ちがちである.この誤解をといたうえで良き信頼関係を最初に確立するために,精神科診療での医師の役割や精神科的評価とは何であるかをまず患者に伝えることがこのステップの重要なゴールだ.CASE 1 のステップ 1 を見ていただければ,具体例を通して理解いただけると思う.本書にてステップ 1 は「役割の導入」として訳されているが,患者の役割を含めた,患者 - 医師の信頼関係,協力関係あっての精神医療という考え方に立脚した役割の導入である.

 ステップ 2は病歴,生活史歴の聴取,ステップ 3は精神科現症の聴取である.精神疾患とは幼少時からのライフコースの生物学的,心理学的,社会学的な全ての側面の総和の結果として生じることがよく知られており,現病歴,現症だけでなく,丁寧な生活史歴の聴取が必須だ.これらにおいて,患者本人だけからでなく広く周囲から情報を集めることが大事ゆえ,特別にそれを強調したステップ 4がおかれている.

 こうやってステップ2,3,4を通して情報が集まった時点で,「The Perspectives of Psychiatry」における 4つの観点を 1つずつ考慮していくことが大事であり,これがステップ 5となる.上記に述べたように,受動的,盲目的に複数の観点をチェックリストのようにカバーする折衷主義でなく,本ステップはどの観点が患者の問題を正しく「理解」するうえで重きを置かれるかを 1つ 1つ丁寧に考える能動的なプロセスである.

 これら 5つのプロセスを経てようやく医師は,患者 - 医師の協力関係の中で,患者が置かれている精神科的問題点とは何かということをまとめる段階にくる(ステップ 6).これを本書は「定式化」と訳しているが,その本質は深い「理解」と丁寧な「説明」である.その上での治療計画(ステップ 7)である.

 これらを持ってはじめて,それぞれの患者に対してマニュアルに基づいた診断というラベルを貼り,そのラベルに対応した定型的診療をするのでなく,患者の本質的問題を患者 - 医師の協力関係の中で丁寧に「理解」したうえでの個別的診療が可能になるはずだ.そのためのステップを提供したいというのが原著並びに本書の意図である.


令和時代の日本での適用について

 令和時代の医学の基本的考え方になりつつある「プレシジョン・メディスン」は,多くの場合遺伝学的情報や生物学的科学的エビデンスをその基本に置くが,その本質的な目的は,古典的診断というラベルに対応した定型的診療の限界を超えた有効な個別的診療の実現である.そしてがんなどの疾患領域では,遺伝学的情報や生物学的科学的エビデンスが「プレシジョン・メディスン」の名のもと,よき個別的診療を今や実現しつつある.

 精神医学においては,まだその背景にある遺伝学的情報や生物学的科学的エビデンスが完全には明らかにはなっていないものの,そうした研究は爆発的に進展しており,がん研究や他の疾患研究に追いつく日も遠くはないだろう.興味深いことに,最近爆発的に進展した遺伝学では,臨床表出を基礎とした DSM の枠組みを,遺伝的病気のリスクという見方からは必ずしも正しくないものとして科学的に示してきた.

 DSM の限界がさまざまな視点から指摘されるなかで,我々は過去 10 年に,精神障害の分類の一つのマイルストーンである DSM,そして国際的な医学全般の診断基準をまとめる ICD の改訂を経験した.しかしこれらの改訂は本質的な問題の克服には全く至っておらず,操作的診断基準は生物学的科学的エビデンスにおいては疑問を持たれたままの,臨床分類の用語集,カタログのレベルにとどまっている.

 では,精神医学における「プレシジョン・メディスン」とは何だろうか? 筆者は以下の 2つの努力が相補的に大切であると考えている.1つは科学的,生物学的エビデンスを徹底的に増やすことであり,このためには積極的な精神医学の科学的研究の発展,テコ入れが必須である.もう 1 つが,いみじくも本書の目的でもあるのだが,4つの観点を多元的に組み込んだステップを丁寧にふむシステマティックな患者評価プロセスを通して,現在できる範囲の最大限の個別的診療を行うことである.すなわち,本書がお伝えしたい精神科診療のアプローチは,まさしく令和の「プレシジョン・メディスン」のなかにある.


訳者たち

 最後に訳者の方々についてもご紹介したい.2010 年ごろから当時国立精神・神経センターの理事長をされていた樋口輝彦先生とご一緒に,日本の精神科医が米国に留学する際に,日本の多くのフェローシップがサポートする実験室での研究経験というより,より臨床に近い場で多くの経験を積んでもらうような留学サポートシステムを作りたいとの考えのもとで体制を整備していた.これを直接活用されたり,間接的に活用される形で複数の先生方が,ジョンズホプキンス大学医学校や公衆衛生学校にて精神医学の分野をカバーするいくつかの講座に複数年滞在され,学究に携わられた.講座主任の一人として私自身も直接何名かを受け入れたし,関連講座に所属した先生方とも密接に連絡を取り,彼らの指導のお手伝いをした.こうした先生方が最初の初稿を作ってくださった.彼らが日本に帰国したのちそれらの原稿をどのようにまとめるかで少しのラグがあいたが,ジョンズホプキンス公衆衛生学校の修士課程に留学され,その後ポストドクトラルフェローとして私の講座に在籍された成田瑞先生がこれらの原稿を再整理してくださり,ぐっと前に進んだ.その際にコロナパンデミックが勃発し,中外医学社との共同作業が遅滞しそうになったこともあったが,これをしっかり支えてくれたのは編集人の桂彰吾氏である.

 本書の特徴として,すべての訳者がジョンズホプキンス大学で学究に励んだことのある精神科医であり,本書の考え方と翻訳の意義に対する共通の理解とチームワークの高さがあげられると思う.ジョンズホプキンス大学にて精神医学分野に関わる講座は多岐にわたり,その教員数は 300 名程度(非常勤をのぞく)であるため,多くの考え方が内部に存在することも事実だ.船頭の多いグループであり,現在は誰一人として絶対的リーダーシップを持つものはいない.そうした中にあっても,「The Perspectives of Psychiatry」は多くのリーダーたちが共通の言語を求める際に拠り所になるものであるし,本書『システマティック臨床精神医学』の原著は医学生,若手医師にとって有用なものであるという点ではコンセンサスがある.ぜひ,本書を手に取っていただき,有用に活用していただきたい.さらにはこの親本も邦訳『現代精神医学』があるので,それにも手を伸ばしていただき,ジョンズホプキンス大学の臨床精神医学の考え方をぜひ,皆様にとって有用なものとして考えていただけるなら,訳者一同を代表して大変嬉しいことである.


花咲きみだれ始めた米国ボルチモア郊外にて
2024 年 3 月
澤  明


◆◆◆書籍のご紹介◆◆◆

「システマティック臨床精神医学 4つの多元的観点による治療体系化」

澤明 監修 / 成田瑞 監訳
A5判 154頁
定価(本体2,700円 + 税)
ISBN978-4-498-22960-0
2024年06月発行

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