見出し画像

家庭環境にまつわるマイクロアグレッション

「マイクロアグレッション」ということばがある。無自覚に他者を攻撃してしまう偏見(=アンコンシャスバイアス)により発した言葉や態度によって、相手をじわじわと傷つける、というものだ。

この考え方を聞いて、実感を持って理解できる人はどれくらいいるのだろうか。私の場合は家庭環境にまつわる会話をしている時に他者によく言われる言葉によって静かに傷つくことが多い。

私は地方出身者なので、よく職場などで「親はどこに住んでいるのか」という話題になる。この話題でよく言われるセリフはこうだ。

「ご両親はどこに住んでるの?」

まず、両親前提に話されると説明がめんどくさい。
私には母親と父親がいるが、別居している。そこで「母は私の家の近くに住んでいて、父は父方の実家にいる」という説明をする。こういう説明をして、「複雑な家庭みたいだ、あまり触れないでおこう」みたいな空気感を出されるので、なんかごめんなさいって思う。
両親がいて、一緒に住んでいる前提で話されるといつもちょっとだけ後ろめたい気持ちになる。


そして次にかけられることばはこうだ。

「お母さんは近くにいるんだね。それじゃあ安心だね」

このことばが結構心にくる。好きこのんで近くに住んでるわけじゃない。
ひとり暮らしの楽しさとか、彼氏との同棲とか、そういう魅力的な選択肢を捨てて、経済的にも精神的にも親との同居を選択せざるを得なかった。
親と一緒に住んでいても安心よりも不快にさせられることの方が多いし、経済的にも精神的にも不安定な親と同居して何が安心なのか。

娘は母親のことを好きなはずだとか、親との関係が良好だから近くに住んでるはずだとか、そういう家庭ばかりじゃないことを念頭においた声かけをしてもらえればどれだけ楽かと思う。

母親のこと嫌いなんだけど経済的な理由で一緒に住むしかないんですよ、とか言ったら、これまた「複雑な家庭みたいだ、あまり触れないでおこう」みたいな空気感を出されるので、なんかごめんなさいって思う。

ところで、この「なんかごめんなさい」っていう気持ちはなぜ生まれるのか。一つは劣等感。普通の家庭環境の人が純粋な目で「安心だね」なんて言ってくるから、うらやましいし、軽快に「うん、安心なんだ」って言えない自分が嫌い。
もう一つは、期待された返事ができなくて相手を裏切ってしまうことへの嫌悪感。自分のありのままを話すことによって「なんかごめん」と相手に言わせてしまうことは、自己肯定感を大きく揺さぶられる。

家庭環境って本当に人それぞれだし、周りからも見えにくいだけに、幸せな家庭に恵まれた人は全部の家庭がそうだと思っているんだと思うけど、そうじゃないんだよっていうことがもっと広まればいいなと思っている。

(追記)
ちなみに人生で一番大きなダメージをくらったのは、気になっている人の「家族と仲がいい人と結婚したい」という発言でした。これに関しては「年収が多い人と結婚したい」と同じようなものだから、文句は言えないけどさ、、、T_T。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?