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山村留学を 再び考えた頃の日記

こんにちは。日向夏ジュースを飲む、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。

2006/7/25「一番大事なこと」

長男ナオ・小3は、ADD(注意欠陥障害)と書字障害の診断を受けているんだけれど、ナオを育てていても思うし、他の色々なひとと接していても思う、一番大事なこと。

それは、ひとそれぞれみんな違うということ。
そして、違うことは悪いことではないということ。

「どうして分からないの?」
「普通、言わなくても分かるでしょ?」
「何回言ったら分かるの?」

どれもこれも、受信する側のやり方に合っていないだけのこと。
特に「普通、言わなくても分かるでしょ?」の"普通"は、全員が共有している常識ではないことが多い。

例えば皆さん、海に行ったことがありますか?
そのときのことを思い出して。
思い出すときに、潮風の香りを思い出したひと、風が頬を撫でた感触を思い出したひと、波の音を思い出したひと、子供が砂で作ったお城を思い出したひと。

みんなそれぞれ、嗅覚・触覚・聴覚・視覚など、得意な分野が優位にたっているはず。すべてで記憶しているひともいるけれど、ひとによってぜんぜん違って構わないし、どれが良いとか悪いという問題では無いこと。

このときに、私のようなアレルギー性鼻炎の人間に、「海の香りがわからないの? なんで? バカじゃない? 潮の香りだって何回言えばわかるの?」と言ったところで、理解のしようがない。
相手がどのようなやり方で認識をするのか、情報を渡す側は考えなくてはいけない。相手は何も悪く無いということ。

相手が分かりやすい情報の"量"もひとによって全然違って、私は情報が多い方が分かりやすい。「いまから車でどこどこまで何を買いに行くけれど、あれもしてから帰るから、戻りは昼頃になる。お昼ごはんは一緒に食べたいから、目処がたったら電話する。遅くても1時までには帰るから、すぐに出られる用意をしておいて」と言われた方が、色々な段取りができるので助かる。ついでに何を買ってきて、とか。
でも、ひとによってはいくつもボールを投げられると肝心なところが分からなくなってしまう場合もある。
「いまから出掛ける。1時までには戻る。お昼ご飯は一緒に食べよう」くらいが丁度いいひともいる。

よかれと思ってたくさんのボールを投げて思考の補助資料をどんどん渡すことが、相手をさらに混乱させると気づいたのは、ここ数年のこと。
やはり情報を伝えるためには、相手のやり方を考えて、相手に合わせてこちら側を変えることが重要と思う。

そして「気づけよ!」は無しということも。
気がつかないタイプの人間に「気づけよ!」ということは、あれこれ気づくタイプの人間に「気づかないようになれ!」と言うのと同じで無理なこと。
相手が気づかないことで、こちら側が困るようなら、相手に分かりやすい言葉、やり方で「これをこうしてください」と依頼すると良い。

相手が再び同じような場面で応用が利かなかったとしても腹をたてない。再び「これをこうしてください」と繰り返す。理解を要するものであれば理由を説明すれば良いし、理解したうえで応用が利かない場合は習慣づくまで繰り返すしかない。もしくは自分でやるか。

【今日のまとめ】
1)ひとそれぞれみんな違うということ
2)違うことは悪いことではないということ
3)情報を伝えるためには受信する側に合わせるということ

2006/8/9「例えばこういうとき」

パソコンのキーボードをガチャガチャ叩いていた。
こうしないとゲームに勝てないという。
「パソコンが壊れちゃうからやめようね」
「うん」
でも、手が止まらない。
「パソコンが壊れちゃうの、やめます」
「やめる」
でも、やめない。
「もう二度と触らせないよ!!!!」
ようやくやめる。

2006/8/10「山村留学」

今日、かじかの里だより夏の号が届いた。
かじかの里学園は群馬県上野村にある山村留学生用の施設で、親元から離れて子供たちが暮らしている。
期間は1年単位の更新制。住民票も移し、上野村の学校へ通うことになる。
http://kajikanosato.jp/kajika-info/

子供たちが寝転んでテレビやゲームに熱中している姿を見ると、このままじゃいかん! と、強く思う。

彼らが本来持つ知的好奇心が枯れてしまう。もっともっと伸びて行くはずの想像力も枯れてしまう。
無気力が学習されてしまう前に、山で本能を取り戻させたい。有り余るエネルギーを発散できる場所へ行かせたい。

あるのが当然のテレビ。
あるのが当然のゲーム。
それらが無くても自然の中で遊べるんだということ。

作ってもらって当たり前のご飯。
沸いているのが当たり前のお風呂。
そういうひとつひとつを、自分でやるということ。

山はきっといい経験をもたらしてくれるだろう。
秋と冬に体験合宿があるので、それに参加させたいと考え中。
迷っているのは、子供たちが山村留学してしまった場合、三男ココの成長を見せてやれなくなること。

微妙にひとつづずできることが増えて行く赤ちゃんの成長過程を見ることは、もしかしたら山村留学以上の良い経験になるかもしれない。
しかもこの経験はいましかできない
そう思うと、山村留学への夢がちょっと遠のく感じもしつつ。

2006/8/11「今日はバス旅行」

パパと子供たちはバスで秩父へ。
川遊び、魚のつかみ取り、流しそうめん、カブトムシ狩り、長瀞散策などなど盛りだくさん。
週末は学童仲間のNさんの田舎(群馬)へ遊びに行きます。畑でトマトを採るんだ~。楽しみ!
提灯持ってお墓参りもするの。
いいでしょ、ひとんちの墓参り。
毎年、群馬に帰省しようかしら。勝手に。

つづく

次回は「三男ココが犬になった話と群馬サイコーの話」をアップします。

■当時をふりかえって補足 2021.9.23
当時、私が実現したかった、
・子供たちが本来持つ、知的好奇心を枯らさない。
・もっともっと伸びて行くはずの想像力も枯らさない。
・無気力が学習されてしまう前に、本能を取り戻させたい。
・有り余るエネルギーを発散できる場所へ行かせたい。
そして
・赤ちゃんの成長を見せたい。
これらすべてを満たせる道が「バリ島で子育てする」ということでした。
実際に長期滞在がスタートする2009年まで、もうしばらく過去日記にお付き合いください。

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