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ペアレントトレーニングを始める前、いかに手を焼いていたか

こんにちは。秋の気配の空を見上げる、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。

2005/12/12「ペアレント・トレーニングの前に」

ペアレント・トレーニングを取り入れることによって、我が家がどのように変わっていくかを記録に残そうと思う。
そのためには、変わる前の現状、いかに手を焼いているかを書いておくことも大事と思う。
最も困っていることは、

◎やってはいけないことを、「わざと」やって神経を逆なでする
◎「わざと」ひとを苛つかせる言動をする

ということ。

具体的な例としては、
・「時間が無いから急ぎなさい」と言ってもわざといつも以上にゆっくりパンを食べる。
・ひとを待たせていても平気で着替えている。
・「ドタドタ歩くとうるさいよ」と言うと数回は必ず繰り返してからやめる。
・「箸でふざけてはいけない」と注意すると、繰り返す。
・「僕は1人でゲームをしたいからゲームをする。お前は本かブロックで遊んでいろ」と、独り占めする。
・大皿に盛られたおかしを自分だけのために大量に皿に取る。
・どうしても許せないことがあると押したり叩いたり蹴ったりする。
・トイレの前でひとが待っていても出ようとしない。
・時間に間に合わなくても焦らない、慌てない(のんびり屋さんなのではない)。
・「ひとを待たせているから急がなきゃ」という発想自体が無い。
・自分が待たされるとイライラして怒る。

このように、
「なんでこうなの?」
「なんでいじけているの?」
「なんで怒っているの?」
「なんでこんな言い方をするの?」
ということの連続。

食事中はマナーについて注意の連続、兄弟の言い争い、歌を歌ってご飯を食べない、出されたものに文句を言う等で、ちっとも楽しく食事ができない。
寝るときも、どこで寝るかで毎晩のようにもめて、「ママがいないと寝られない」とチョロチョロ起きてくる。兄弟喧嘩で大声を出す…。

激怒と溜息の毎日。憔悴したり「いままさに」と実感するほどのストレスを感じたり。
ただ平穏な日々が欲しい、ゆっくりしたい、怒鳴らずにすむ日が欲しいと思う。

これらの問題行動に対して、私はどのようにしているのか。

優しく伝える→おだてる→誉める→優しく注意する→強めに注意する→注意する→注意する→注意する…→爆発激怒

このパターンが定着していて、爆発した時点では「ぶっ殺してる!!!!」に近いほどの殺気を持っていたりするし、爆発してしまった自分にほとほとうんざりする。
何度話し合っても、説得しても約束しても、いつも同じ問題が繰り返されるんだ。

家を出て行きたいと思ったことも多々あるし、子供たちの情に訴えるようにママの辛さを語ったりもしたが、子供たちが悲しい顔をするだけで、ちっとも良い結果は生まないと分かってる。
今日は大変な一日だった。
今日もまた怒ってしまった。
どうしてこうなんだろう。
疲れた。
もう嫌だ…。
たまにはストレス発散しなきゃね。
そんなパパとのやり取りも、何度もある。

もちろん24時間365日が振り回されるだけの日々ではない。
ただ手を焼いていると思う日が多いのだ。
友達に話しても「どこもそうだよ」「子供なんて言うことをきかないのが当たり前」と励まされる。
それだけでは救われない。
日々の問題が少しでも減るように、みんなで楽しく食事ができるように、いい気持ちでベッドに入れるように、求めている幸せは本当に些細だと思う。

2005/12/18「回転寿司」

ナオ(7歳)とリョウ(5歳)を回転寿司に連れて行くと大変だ。
二人とも自分で皿を取りたい。でも「待つ」ことが苦手。
ついつい、他の皿を触る振りをしてしまったり、レーンを触ってしまったり。
流れている皿のすぐ近くでしゃべってつばを飛ばしそうになったり…。
親は注意の連続だ。
かといって、親がレーン側に座ってしまうのも、楽しみを奪っているようで嫌だ。

・自分の食べる皿以外に手を伸ばさない。
・レーンには絶対触らない。
・レーンの近くでしゃべらない。

そんなルールを何度も確認するものの、やっぱり怒る機会が多発する。

ところで、いま子供たちが通う自主学童に新しい入所希望者がいる。
お子さんが軽度発達障害(広汎性発達障害)とのことで役員会では不安な空気が流れた。みんな発達障害に関する基礎知識がないから。
手をあげて説明しようかしまいか、微妙な立場で結構悩んだ。
学童の指導員にはナオの詳細を伝えているが、子供たちや親御さんには診断のことを話していないから。
入所希望者については直接ご本人と話をして、結構色々聞けた。
今後はお子さんの特性に、自主学童がどこまで対応できるか、だ。

そして、ふと思ったこと。
ナオのことをカミングアウトしたときに、もし「そんなのどこの家も同じだよ~。それじゃあみんな病気になっちゃうよ」と笑い飛ばされたとき、的確な回答ってあるんだろうか。

つづく

次回から2006年、山村留学とか考えたりしてた頃です。(山村留学とか考えたりしてた頃

■当時をふりかえって補足 2021.9.10
今日たまたま、長男・次男と私の母で回転寿司を食べに行きました。彼らももう23歳と21歳、就職して親にご馳走してくれるようになりました。あれから16年、いまはもう怒鳴ることなく、ゆっくりと平穏な日々が訪れています。
当時の私は、子供の問題行動をまだ全部「わざと」だと思っていました。
その後、何かの講演会で「小さい子はテレビを見ながら洗濯物をたためません。ふたつのことを同時に行えるまで発達していないから」という話を聞きました。いま当時を振り返ると、うちの子たちには「発達上まだできない」ことが多かったのだと思います。ほかの子に比べて発達のペースがゆっくりで、「できる」のレベルも部分的にちょっと低いかもしれないけど、それでもちゃんと発達していくよって、いまならちゃんと分かります。

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