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発達障害でも大丈夫! 小学1年生から3年生までのまとめ

こんにちは。手酌で飲みたい派、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。

2007/3/16「長男が9歳になりました」

長男が昨日で9歳になりました。
近所のお好み焼き屋さんで家族5人で食事をして、帰宅後小さなケーキでお祝いしました。
お誕生日おめでとう。

これまでの道のりは平坦ではなく、本当に学びの多い9年間でした。

心が枯れかけた1年生のころ

小学1年生の授業参観でひとりだけ床に寝ている長男を見て何事かと思った。
その後、担任から「授業中うろうろする」「話を聞かない」と度々言われ、家では本人を叱り、脅し、ちゃんと真面目に授業を受けるよう責め続ける日々が続いた。そのうち「僕はいないほうがいいかな」「死んだらどうなるかな」「僕は大人を困らせるだけ」と、6歳にして言うようになった。

その後、別ルートで大学のオープンカレッジで心理学の授業を受けているときに「注意力のコントロールが難しい子どもたちがいて、その子たちはADHD(注意欠陥多動性障害)という脳の特性を持っている」と偶然知ることになった。

テキストに出てくる症例は長男と重なる部分も多く、それ以上に私の小さい頃とまるきり同じ。
ADHDは遺伝的な要因が大きいとのことですんなり納得する。
授業が終わった後、講師に相談して、そこからナオにとって適切な療育とは何かを考える日々へと変わり、真面目に授業を「受けない」のではなくて、真面目に授業を「受けることができない」状態なんだな、とだんだん理解できるようになった。

不思議なのはそれ以前から軽度発達障害に関する本を読んだり講演会に行ったりと、なぜかすごく惹かれていたこと。とても興味深かった。ただ、私がそれまでに知っていたのは軽度発達障害の中でも、広汎性発達障害やアスペルガー症候群という自閉傾向の強い障害の方だったので、自分の子どもの問題とまるで一致しなかったのだ。
そうかそうか、そうだったのか~。そのために、私は色々勉強してきたんだな、と思ったね。

同時に「私は心理学に興味を持ちすぎているため、何の問題もない我が息子に診断名をつけようとしているのではないか」という不安もあった。
学校の担任に面談したときに「ADHDかもしれないので診断を受けようと思うのだけれど、どう思うか」と聞いてみたら「それがいいと思います。ナオ君は残念ながら著しくクラスに不適応しています」と言われ決心できた。

やったことしては、学校・学童・家でどのような状態でいるかの調査と、専門機関での知能検査一通り(1年生の時点で精神年齢が11歳程度だった!)、それらの結果を添えて、医療機関での医学的な検査。
そこで、多動の無いタイプのADD(注意欠陥障害)と、漢字を書くことが困難なタイプのLD(学習障害)であると診断される。

我が家にとって診断名がつくということは全然ショックでも何でもなく、ただナオにとっての情報がひとつ増えたというだけ。ありのままを受け入れることに苦労は皆無だった。

2年生は自尊心の回復を

2年生はとにかくズタズタになった自尊心を回復することだけに徹して、褒めながら楽しく本人の良い行動を増やして行くことを試行錯誤しながら進めていった。
その中でもペアレントトレーニングは「親が正しい子どものしつけ方を身につけていくためのプログラム」として、日々手を焼く親にとって具体的な方法が示された心強い味方となるようなもの。しつけに悩むすべての親にとって役にたつはず。いますぐ簡単に始められます。

この1年間は特に学童の指導員や学童仲間に支えられ、みんなでナオの心を取り戻すために一丸となった年だった。

算数以外の勉強は全くせず、他の授業中はナオひとりひたすら作品作り。セロテープとか折り紙などで。
学習面でかなりの遅れがでたけれど、笑顔の数も増え、死にたいと言うことも無くなって本当に良かった。

3年生で漢字を頑張るのを辞めた

3年生になって、本人の成長と、担任との相性と、親の接し方と、すべてがうまくマッチしてかなり落ち着く。
クラスでも問題行動はそれほど目立たなくなった。

ただノートはいつも真っ白。1年間で1冊使いきることがない。でも算数のテストは100点だったりする。
漢字はまるで駄目。50問中3つくらいしか書けない。

家では、ひたすら書かせる→マス目を大きくする→書き順を歌にして覚えて書く→短い文章として覚えさせる等々、色々やったけどどれも困難なのでもう辞めることにした。苦手なんだもん。しょうがないよ。

苦手なことをひたすらやらせることによって「できない」「できない」「できない」「できない」を繰り返し本人にインプットしているみたいで、親も子も嫌になっちゃった。書けるに越したことは無いけど、漢字が書けなくても生きていけるからいいや、と。

最近になって書写の授業で綺麗な字を書いてくることがあって、どうやら漢字に関しても文字の形を捉えて再現する部分が弱いというよりも、集中力の持続に影響を受けている部分の方が大きいのでは、と思うようになってきた。集中できれば書けるということ。

学習面でのフォローはなかなかできないけれど、引き続き気にかけて行きたいなと思う。

3年間で私が学んだこと

これまでのところ学んだことは、何が得意で何が不得意であってもそのままの状態で子どもは素晴らしいということ。
学校に適応したり勉強に遅れないことがすべてではないということ。
子どもを責めない。子どもの言葉をさえぎらない。
子どもの言葉を否定しない。なるべく後回しにしない。

私は、周囲になるべく迷惑をかけず、本人もなるべく困ることなく、彼の良いところを絶対につぶさずに楽しく生きて行きたいなと思う。
我が家は「人生をいかに楽しむことができる子に育てるか(勉強はできなくても良いから)」をモットーに子育てしていきたいね、と夫とも話しています。

あと、長男のことを細かく書くことに若干の抵抗はいつもある。
本人のプライバシーに関することだから。
でも、軽度発達障害は6人に1人とかクラスに2,3人とか言われるほど「よくある脳の特性」なので、うっかり屋さんや忘れん坊さん、わがままや聞かん坊、暴れん坊、お勉強ができない子、の中にはこの特性がある子もたくさんいると思う。

理解されないまま「性格が悪い」「バカなんだ」「やる気がない」「いいかげんにしろ」と否定され続けて非行に走ったり、自尊心の低下が著しく鬱や自殺など二次障害に苦しむひとがどれだけ多いか!

私はそのことをもっと知って欲しい。

もしかしたらうちの子も? と、不安に思うのではなく、脳の特性があろうと無かろうと、周囲の大人が本人を受け入れて認めるという前提だけ持っていれば絶対に大丈夫!

つづく

次回は「怒りのコントロールや三男の保育園準備など」をアップします。

■当時をふりかえって補足 2021.10.7
長男と次男はもう成人して家を出て自立しました。当時の子育て日記を公開して良いか聞いたら「OK」とのことだったので、こうして15年の時を経て大事なことを語れるようになりました。
いまは雑文のままですが、ひと通り出し切ったら読みやすくまとめるつもりです。
当時の漢字学習について、集中力の改善のために服薬を考えても良かったかも、といまは思っています。注意を学習に維持できれば、もしかしたら書ける字がもう少し増えたかもしれません。

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