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金沢で起きた現実の未解決事件の担当刑事が本人役で主演する映画『とら男』(2022年・公開中)が映す令和の時間

■『とら男』

 渋谷ユーロスペースに『とら男』を観に行ってきた。久しぶりの単館映画だ。アップリンクが無くなっても、まだ渋谷にはユーロスペースがある。

 『とら男』とは、2007年に時効となった未解決事件である「金沢女性スイミングコーチ殺人事件」の担当刑事であった西村虎男氏のことである。

 役者経験のまるでない元刑事の彼を本人役で主演とし、W主演に新進女優の加藤才紀子(女子大生かや子役)を配し、時効から15年目の今、改めてその事件を問うという硬派の作品だが、『サンデー毎日』(8月14日号)『朝日新聞』などのメジャー紙誌に映画評が載っている注目作だ。

↑この眼力にやられました。

 実際の事件の当事者に本人役で登場させ事件をなぞる手法は、クリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』(2018年)を彷彿とさせる。
 また、迷宮入りした事件を時効後になぞるというストーリーは『時効警察』のようだ。
と、思っていた。映画館に入る前は。

 だが、見終わったときの感覚は、それらの作品とはまったく別のものだった。

■『15時17分、パリ行き』

 『15時17分、パリ行き』は、87歳(当時)のクリント・イーストウッドが監督した作品で、題材は、パリ行きの特急列車内で乗客554人をターゲットにした2015年の列車内無差別テロ襲撃事件だ。
 ヨーロッパを旅行中だった3人の若者が武装した犯人に立ち向かったが、その3人が本人役で主演を務めている。また、乗客として居合わせた人たちも出演し、実際に事件が起こった場所で撮影されている。

 『15時17分、パリ行き』と『とら男』の共通点は三点ある。
 実際に起きた事件を題材にしているところ。
 当事者が本人役で主役を務めているところ。
 実際の事件現場で撮影されているところ。
の三点だ。

 けれども、実際の映画を観た感想としては、両作品は、共通点より相違点が際立つ。いや、共通点があることによって、相違点が鮮やかに迫ってくる。

 最大の相違点は、『15時17分、パリ行き』が、解決済みの事件を題材にした映画であるのに対し、『とら男』は、未解決事件を題材にしているところだ。このことが、必然的に映画の構造に影響を及ぼしている。

 『15時17分、パリ行き』は、解決済みの事件であるために、事件そのものの再現が可能だ。そしてそれが映画の骨子になっている。
 これに対し『とら男』は、事件の真相が藪の中であるがゆえに、事件の再現は可能性としてしか描くことができない。

 可能性を描くのは、ノンフィクションではない。『とら男』が、とら男(西村虎男)という実在の人物の他にかや子(加藤才紀子)という虚構の人物を登場させ、W主演としたのは、必然だったのだ。そして、それは成功している。かや子ととら男との会話が、実にスリリングなのだ(ネタバレになるのでここでは書かないが、実際に映画を観ると分かると思う)。

 これに対し、『15時17分、パリ行き』は、フィクションの必然性がない。しかし、元来がエンターテイメントの人であるクリント・イーストウッド監督は、事件をドキュメンタリータッチでは描いていない。

 『15時17分、パリ行き』の配役上の主役は、事件を解決した三人の若者であり、この三人がどのような人生を送ってきて、事件に遭遇するに至ったかが、三人それぞれとそっくりな子役を配して描かれる。これはドキュメンタリータッチではないが、ノンフィクションの手法ではある。

 そして、そのことによって、「フランチェスコの祈り(「聖フランシスコの平和の祈り」とも言う)」が、作劇上の主役として浮かび上がってくる。

 「フランチェスコの祈り」は、三人の主人公のうちの一人であるスペンサーが、幼少期から、ことある毎に唱えている聖書の一節である。それは、
「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。憎しみある所に、愛を置かせてください。侮辱ある所に、赦しを置かせてください。云々」というものだ。

 スペンサーは、小さいころから二人の親友と自分の母親以外の周囲の人々からは常にヘタレ扱いされている。そんなスペンサーは、人を助ける職に就くことが望みであった。様々な挫折はあったが、結局スペンサーの望みは、この祈りのとおりに叶えられる。それが、列車内無差別テロ襲撃事件であることを、この映画ははっきりと描く。

 結局、人は日常の意味を知らないのだ。日常は日々堆積して人生となるが、人は人生の意味を知らず、しかし、ある時その意味が、意味ある出来事によってふいに目前に顕れることがある。『15時17分、パリ行き』は、それを描いたものである。

 だが、日常は、このように奇跡のように意味が明らかに顕れるものだけから成るものでもない。日常は奇跡に隷属しているわけではない。
 『15時17分、パリ行き』の素晴らしいところは、そこのところをもきっちり描いているところにある。
 実際、「フランチェスコの祈り」が成就するシーンより、柔術の練習シーンとか、ベネチアでのひとときとかのシーンの方が面白く印象に残る。そして、その面白さは、本人が本人を演じているからこそのリアルさで保証される。
 クリント・イーストウッド監督が、描いたのは、日常の奇跡と、奇跡を必要としない日常の素晴らしさ、そしてそれらが同居することの美しさなのである。


■『とら男』(ネタバレあり)

 翻って『とら男』である。『15時17分、パリ行き』が、終わった事件であることによる一種の軽快さがあるのと対象に、『とら男』の「金沢女性スイミングコーチ殺人事件」は、未解決事件であるために、動かない。

 『時効警察』のように、刑事が未解決事件をきれいに解決して一件落着とは行かない。観客は、この「動かない」事件に映画を通して、付き合わされる。

 「動かない」のは現実がそうであるからだ。法的には時効の事件であるから、動きようがないのだ。

 そんな「動かない」現実に対して、無理やり動かそうとするのがフィクションだ。『時効警察』は100%フィクションだから物語がスイスイ動く。30分の尺の中で、起承転結が起き、最後にストンと話が落ちる。

 これに対し『とら男』は、現実と虚構がW主演という構造だ。

 終わった事件として悔やみつつも回顧録として事件を語る虎男に対し、一歩も引かずに事件を解決に向けて動かそうとするかや子(加藤才紀子)。

 このやり取りが、もの凄い。役柄を超えてもの凄い。

 公開初日のトークショーで知ったのだが、虎男とかや子のやり取りには、台本にはじめから台詞が無かったそうなのだ。

 恐ろしい。

 この恐ろしさは、想像するに余りある。過去のものとして諦念し「動かない」ことを受け入れている虎男に対し、現場でカメラが回っている中で、事件を動かさなければ映画が成立しないとばかりに、かや子として必死に動かそうとする加藤才紀子とのやり取りは、台詞が無いがゆえに正真正銘のリアルだ。

 結果、「動かない」虎男と動かそうとするかや子の対話は、異様な緊張感を創り出した。

 現実と虚構のW主演は、ボクシングの試合のように、終わりのある時間の中での闘いである。緩急をつけながら、ラウンドを重ねるボクシングの試合のような緊張感は、映画の撮影期間が終われば、終わり。虎男が動かなければ、映画としては動かない虎男の映画となる。しかし、それはW主演としては失敗だ。加藤才紀子には受け入れられない結末だろう。

 加藤才紀子は、虎男を動かすことができたのだろうか。

 できた。と思える表情を虎男は見せた。

 しかし、『時効警察』のように、鮮やかに真犯人に迫る結末とはならない。時効という動かない現実と、加藤によって動かされた虎男の諦念。映画は、構想通り、拮抗するW主演で幕を閉じる。かのように思えた。

 だが、最後、事件の被害者の勤務先だったスイミングプールが取り壊されるシーンが映されることにより、その拮抗という安定も完全に破壊される。

 時は、動いていたのだ。

 動かないのは、法的なあるいは心理的な時間であり、当事者が介在しない客観的な時間は常に動いていたのだ。そして、社会の時間は、当事者の側にあったのではなく、当事者の外の存在だったのだ。

 現実の時間の構造と映画に描かれた時間の構造が、合わせ鏡になっている。コロナによる閉塞の中で、必死にもがく我々は、かや子=加藤才紀子と同じ立ち位置にいる。壊れゆくプールが、ウクライナ侵攻に重なる。

 『とら男』は、『15時17分、パリ行き』や『時効警察』のような、過去や未解決事件を物語として楽しめた時代は、終わってしまったことを我々に突きつける。間違いなく本作は映画史上の切っ先に位置している。

 この映画が、元首相の暗殺事件の直後に公開されたこともまた、『とら男』の現代性を雄弁に物語っている。かの暗殺事件の背景には、A級戦犯とはならなかった岸信介に端を発する因縁があったことが報じられている。戦後の時間は終わってはいなかった。

 終わったはずのことは、終わっておらず、閉塞して止まったかのような我々の社会と我々自身の外で、時間は崩壊の音を立てて進んでいるのだ。

 虎男は、かや子によって動かされ、諦念をやめた。映画『とら男』を観た僕は、閉塞した僕の日常を、動かす力をもらった。

↑劇場で購入したパンフレット。劇中の小道具を模していて凝っている。
↑パンフには、ジェーン・スーのコラムだったり、松江哲明や瀬々敬久、キッチュやライムスター宇多丸らのコメントがあったりしてびっくり。豪華な内容で得した感いっぱい。


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