2022.1.11 わたしが書くこと
言葉を書くということは何かの対象に対して知識がなければ書けないと思ってしまいがちで、どうにも言葉がでてこなくなったり、難しく考えすぎたりしてしまう。それとか、うまいことを言おうとして、言えなくてだまる、ということがよくある。
そんなことを繰り返すたび、言葉にすることが億劫になりこわくなり書くことや話すことをやめてしまったりする。
わたしは書くことについては、ライターさんのように巧みな言葉遣いができるわけでもないし賢そうな言葉をあまり知らないので賢そうなことは言えない。
それでもわたしは、やわらかい毛布にくるまれて体温が上がっていくときのからだのゆるみのような、あたたかくてやわらかくてなめらかな表現のこととか、ガラスの器を通してアイボリーカラーのノートに写される淡い影のこととか、きれいな日常のかけらのこととかを、書いていきたいと思っているのだ。
わかりやすいものになりたくないような、ひねくれた気分と、だれもがきっと感じたいであろう、気だるい心地よさみたいなのを、言葉にできるときのうれしさが、つねに同居する。
気だるいものが作りたい、というのではなくて。
誰もが感じたことがあるけれど、言葉にするには小さいような、一瞬の美しさや心地よさを言葉にしてきたいのだ。
今は15:44。
窓からは、傾き始めた太陽のひかりの端っこが入ってくる。カーテンごしに見えるのは雨上がりのきれいな青空。
言葉を書くのも煮詰まってきたし、散歩にでも出かけてみるかなあ、
と思いながら今日もパソコンとにらめっこしている。
えいっ。今のうちにやっぱり散歩いこ。
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