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歩んできた日々と、ただいま

2022/05/26
La.mama 40th Anniversary 『PLAY VOL.106』
odol / Bialystocks
@渋谷La.mama

単純に感動したとか、よかったとかで簡単に括りたくなかった。ただ捻くれてるのだろうか、ただカッコつけてるのだろうか。そう思われてもいいくらい、重さがあり、心に大切に止めておきたい記憶だった。

一夜のライブの感想というより、極めてプライベートなメモワールのようなもの。


odolの音楽は、聴き手の平凡な日常に寄り添う音楽だと、改めて感じた。それは、朝起きて歯を磨いたりお湯を沸かしたりする時に何気なくかけても心地よく馴染む音という意味ではない。もちろんそのような個性もある。ただそれよりも、日々生きている中で傷ついたりすり減って行ったりする心をそっと撫でるようなサウンドであり、伝言である。

『未来』の前奏が響き出し、ミゾベさんが「ゆっくりと僕らが古くなって」を歌い出し、段々と、涙が溢れそうになった。あまりにも優しくて、明るくて、そこにいた自分が許されるような歌詞を微笑みながら歌うミゾベさんを見て、滲む涙が光を反射したせいで、瞳に映るステージが万華鏡のようになって余計に眩しかった。

君がどうかこれからも
そんな君のままでいられますように
未来

ライブの後、電車に乗って高円寺駅を降りて、小雨の中で二人分のマクドを持って、私より狂ったようにライブのためだけ香港日本往復してた友達の家に泊まりに行った。前回一緒に同じ部屋に寝たのは、ミナホのために大阪のゲストハウスに泊まった6年前だった。あれから、彼女も自分も香港の大学を卒業して、日本に住んで、いろんなハードルを乗り越えて就労ビザを取って、日本の会社で働くようになって、知らぬ間に何年かも経った。

形すらわからなかった「夢」を追いかけるうち、心がどんどんすり減って行った。音楽の話しかしなかったチャットも、いつの間にか職場の愚痴になってしまった。そんな彼女と、朝起きて雑談をした。「時々、いっそ解散して欲しいって思っちゃう」と、こよなく愛していたバンドが違う方向に行ってしまったことについて彼女はそう語った。ベランダにのぼるタバコの煙を眺め、うんとかそうだよねとか、ただの相槌でも言い出せない自分がいた。

一年半ほど、まともに音楽を聴けなかった精神状態にあった。まだ香港に住んでいて社会人もなってない時、僅かな貯金でライブのために飛行機に乗って日本に一晩だけ来るほど好きだったodolも、字面通りに全く聴けなかった。だから正直、聴いたことない曲もあり、全然詳しくはなかった。聞き込んでワクワクな気持ちをいっぱい抱いてライブに行ってた昔とは全然違った。どちらかというと、未知なものへ赴く気分に近いかもしれない。それで「楽しみしている」と言う資格があるのかと、静かで少し不穏なSEが流れる開演前までずっと自問自答していた。

前回行ったライブは、今思えばもうすでに4年前に心斎橋CONPASSで行われたO/g-6だった。あれからメンバーも曲調も、いいとか悪いとかではなく、大きく変わってきた。メンバーが徐々にバックステージから出てきてチューニングし始める時、井上さんと垣守さんがいなくなったステージなんだと、悲しい実感が沸き上がりながら演奏が始まった。

優しい音、繊細で複雑に構成されている音、少し難解で厚みを感じる音。懐かしいと感じるサウンドでありつつ何かが新しい、自分にはあまり馴染みのない曲たちだった。けれど、あの鋭く歪んでいたギターが、重たいサウンドの後ろに霞んでいるピアノの音が、柔らかい声で歌われた歌詞が、 昔と同じように、心の奥までずっと強く叩いてた。

暗いというか、ミゾベさんに当てるスポットライト以外、まるでわざとメンバーを見せないようにしている照明。白い煙が弥漫して、幾つかの瞬間、ただボーカルの存在と音楽そのものが目の前に流れている幻覚がした。ステージのそこにいたのはメンバーじゃなく、「odolの音楽」の「イデア」なんじゃないかと、思い浮かんだり消えたり。

ここまで書いて、懐かしくなって昔odol関連の日記を少しずつ読み返した。井上さんと垣守さんの最後の生配信のメモに視線を向けて、少し震えた。そこに記していたのは、「odolはなくなるわけじゃないからな」「概念!」という言葉だった。あの時の脆い精神状態と形が変わるということに対する悲しさが相まって、綺麗事にしか聞こえず、受け入れきれなかったその言葉は、激動の日々の中ですっかり忘れ去られた。しかし年月を経ても、その言葉は自分をずっと忘れていないように、このステージで「嘘じゃない」と、そっと囁いてくれた。

あの微熱を帯びる、騒がないパワーは、形が変わったとしても、未だに、今までずっと、そこにあった。

あなたの言葉のぬくもりは
あの日とずっと同じだ
望み

終演後、井上さんと垣守さんを見かけて、勇気を振り絞って挨拶した。何年もライブに行ってない自分を、覚えてくださった。森山さんも今井さんも。「初期からずっとodolを支えてきたクリスティだ」(そんな偉大なことはできなかったけれど…)「大人になりましたね」「ミナホから6年も経ったからね」とか。なぜか垣守さんと握手までした。あなたどちら様なのかと、自分にツッコミたいほど、久しぶりに会った友人かのように会話をしてた。只々、odolの音楽を聴く、それにずっと追いかけ続けてきたわけでもない、一人の人間なのに。

それは本当に、自分のエゴを満たすためにした行動でしかなかった。ただ、単なる演奏を観る場所というよりも、昔から、そういう本能的な感情と欲望を引き出してくれて、自分でも抑えきれない感情と行動がもたらすミラクルの全てを凝縮しているのが、ライブハウスなんだと感じた。

君の目が同じものを映すたび
大切なものは増えた気がした
小さなことを一つ

帰りのJRでセトリのプレイリストを作ってずっと聴いてた。一曲目の『眺め』が耳の中に流れ始める。窓から流れて去る景色は全てミュージック・ビデオのシーンみたいになっている。高架橋の下に歩くサラリーマンの群れ、向こうのレーンに同じ方向に進んでいた新大阪行きの新幹線。夜が訪れるにつれ冷たい青色になる空を背景に、暖かい黄色に見えるのぞみの一つひとつの窓に、外をぼんやりと見たり寝たりする乗客の顔。odolの歌詞に描かれている、何も知らずにひたすら憧れていた遠い場所に、現在の私もまさかそれを構成する一つの風景になった。

さようなら
いつかどこかでまた会える
たとえ姿が変わり果ててしまっても
眺め

6年前にあの駐車場にいた、只々音楽やそれがもたらす刺激を求めていた自分は、夢が叶えられると信じて、夢だったこの国に進んで裏切られたり挫けたりして音楽から遠く離れてしまったことを想像できなかったんだろう。好きな「対象」自体も、好きを思う「自分」自身さえも、「好き」という気持ちもその熱量も、ずっと同じにはいられなかった。同じ川に、二度と入ることはできなかった。「ずっと好きだった」と言うと、嘘になる。けれど、長い間離れても優しく「お帰り」と声をかけてくれるような、安堵して「ただいま」を言えるような音楽に、改めて出会えた気がした。

何もかも少しずつ変わってしまったとしても、相変わらず聴き手の生活に寄り添ってくれる、そこに静かに佇んで居てくれるのが、odolの音楽だと思えた。

離れて暮らしているあなたへ
「さようなら」は言わない
望み

私のあたかも乾涸びた生活は、また流れて動き出せるような気がする。

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