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宇宙よりも遠い場所

地球の果てで女子高生たちが変わっていく物語

ずいぶん昔から言われていることだが、物語の基本的な構造は「喪失と回復」だ。喪失、というと元々持っていたものというようなニュアンスなので、あるいは「欠落と獲得」のほうか正確かもしれない。そして、「日常→非日常→日常」というプロセスを経て、登場人物たちはあるべき姿に変わっていく。

アニメ「宇宙よりも遠い場所」は、南極に行こうとする4人の女子高生たちの物語だ。まっすぐに目標に向かっていく彼女たちの姿が、青春アニメとして素晴らしかったので、構造的に分析してみようと思う。

物語は、主人公のキマリが「高校でやりたい青春なこと」を記した手帳を見つけたことからはじまる。ここですでに、テーマは「青春」だと明示されていることに鋭い視聴者は気づくだろう。つまり主人公が取り戻すべきもの(得るべきもの)は青春であり、なんらかの非日常を通じて、青春する物語だと宣言されているのだ。

そして、キマリの非日常は「南極に行こう」とシラセに誘われることで動きだす。母を南極で亡くしているシラセもまた、なにかを失っていることがわかりやすいキャラクターだ。最初は母の思い出を追いかけているだけのように見えるが、バカにされていた高校生活とか、初めて南極に行くという想いを共有できる友だちができることとか、実は多層的に悩みを抱えていたことがわかる。この奥行きが、物語に深みをもたせる上手いところで、シラセというもうひとりの主人公を魅力的にしている。そして最後には母との想い出に涙する、という、きちんと芯の通った物語にしている点も素晴らしい。

キマリたちと同学年のヒナタは、途中まで欠落がわかりづらい人物で、高校を中退してコンビニのアルバイトをしている。現代日本にとって女子高生の年齢でコンビニバイトをすること自体は珍しくないだろうが、それ自体を欠落として描くこともできたはずだ。だが、ヒナタの生き方そのものにはフォーカスせず、欠落は「友だちとの軋轢」として描かれる。そもそも友人のいなかったシラセや、親友だと思っていた人に裏切られたキマリ、そして友だちそのものがわからないユヅキと共通した欠落を与えられていることは興味深い。おそらく、彼女を描くのがいちばん難しかったのではないだろうか。この共通点こそが物語の答えになるので、よく覚えておきたい。

最後のひとりは、子役として活躍しているユヅキだ。キマリたちよりも学年がひとつ下で、小さい頃から仕事をしてきたせいで友だちがおらず、どうにかして友だちを得たいと思っている。元々南極に行くはずだったのはユヅキで、物語を前にすすめるためのキーパーソンとして描かれる。形式的に「友だち」を作ろうとするユヅキは、彼女たちが日常に戻っていったあとの世界を想像させやすい。何度も「友だち」や「想い出」を口にすることで、視聴者にもそのテーマを強烈に植え付け、物語をハッキリさせる役割がある。個人的には、どちらかというと舞台装置的な役割のあるキャラだと思う。

さて、ここまで見てきて、各キャラが様々な悩みを抱えていることがわかった。そして、彼女たちに共通するのは「友だち」であり、非日常への冒険を通じて「友情」を育んでいくことこそが「青春」なのだと気付かされる。こう見るととてもテーマ性のしっかりした物語で、終始一貫した作者の意図が感じられるだろう。故に我々は、余計なことを考えることなく、青春物語に集中することができるのだ。

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