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ハンコ議連の必要性

今回の更新は批判されがちなハンコ議連の必要性について考えます。思うがままに批判することは誰でもできるので、敢えて必要な理由を考えます。ぜひ読んでくださるとうれしいです(最後にまとめもありますので、それだけでも最高です)。

某ウイルスが日常に潜む課題を浮き彫りにした事を発端とする、印鑑を無くす運動とそれに抵抗する集団が今回のそれです。

このような障壁(社会の改善を妨げる集団等)は批判の標的にされがちですが、一方で以下のように考える事でそれらに価値を置く事ができるかもしれません。

それは、「集団で結論を決めて疑わない態度と、それに向かって前進することは潜在的な課題を無視し埋葬してしまう」事を彼らの存在が防ぐ可能性です。

印鑑を無くすことを掲げ多数がそれに賛同した際に、集団に流されず方針の致命的な課題に気づき、臆せずにそれを提言できる能力が誰かに同時に存在する可能性は期待できるレベルではないでしょう。

集団心理とは脅威としては存在するものの、それは常に死角から忍び寄り、気づくことが非常に困難です。彼らは集団が1つの方向に目標が定まりすぎることを抑制しているのでしょう。

そのようにして指摘された課題に対して考慮し議論し策を改善することでより強固な策になると期待できます。言い換えればアウフヘーベンのようなものです。

しかし、これを実現するには単に反対意見を表明するだけでは不十分です。つまりそれ相応の能力と質の高い意見が求められる立場ではあるのですが、現在の彼らがその水準に至っているかは少なくとも私には分かりません。もしかすると彼らを批判する人は、そういった観点を踏まえて批判(そのような立場は大事だが現状の担当者は適任ではないという主張からなる批判)をしているのかもしれません。(であれば極端に抽象的な批判や揚げ足取り、○○不要論と言って全てを押し込む姿勢は自己矛盾でもある気がします。それらは後に更新のネタにしますが、先行して結論があり後から理由を探してくる典型的な例でもあります)

たまにはコンパクトな更新もありな気もしているので、以下まとめです。

・集団で1つの目的に取り掛かると、潜在的な課題に気づき辛く、気付けても指摘できる人はほぼいない

・そのような立場に敢えている存在は、そういった意味で貴重

・彼らがそれを仕事とし提言をすることで、当初の方針はより強固なものになるが、なんでもいいので提言すればいいというわけではない

・そのような立場は以上より重要ではあるので、存在そのものを批判するのではなく、その主張に耳を傾けるべき

いろいろ書きましたが、個人的にしっくりしていないので経過観察対象とします。

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