青い空を描くふたりへ
前置き
ストレイLPを読みました。全部凄く良かったです。
今回はあさひのLPについての記事です。
冬優子と愛依の限定サポート以外であさひが登場する全てのコミュのネタバレを含む可能性があります。(追記:PとSと共通コミュ程度にまで抑えました)
何から書けばいいんでしょうか。
自分は過去にいくつかnoteで記事を公開しているのですが、これでも一応毎回ある程度の方向を決めて書き始めてきました。
ただ今回のLPシナリオは芹沢あさひとプロデューサーのこれまでの歩みの総決算であり、故に感想をまとめるのが本当に難しい。というか、まとまっていないです。なので、まとめた感想を記事にすると言うのではなく、この記事を書くなかで感想をまとめていこうと思います。
結論として、100点満点のコミュでした。
正直「点」とか「コミュ」とか言いたくないです。便宜上の表現です。
総決算と最初に書いた通り、LPはあさひのコミュの中でも特に【Housekeeping!】で描かれたテーマを強く踏まえつつ、GRAD以降の複数のコミュおよび文脈を統合したコミュであり、それらの中心にある【空と青とアイツ】への回答となるコミュであると言えるでしょう。
順を追う余裕が出てきたのと、順を追わないとどうしたらいいのか分からないので、コミュ実況スタイルでやろうと思います。
オープニング:新しいこと
ファン感謝祭編オープニング:空の青さを知る者よ
【Housekeeping!】TrueEND:くもはれてのちのひかり
はい。もう開始0秒でこれまでの文脈との強固な関連が分かりますね。
【不機嫌なテーマパーク】以降のプロデューサーはあさひに対して「これまであさひがやってこなかったこと/触れてこなかったもの」を提示することに躍起になっていました。GRADにおける彼とあさひの衝突も類例として挙げられますが、GRAD・テーマパークの彼の姿勢にはある種押しつけがましさのようなものが見られたことを完全に否定するのは難しいです。
そんな状況で実装された【Housekeeping!】で、彼はあさひにミュージカルのお仕事を用意します。成長痛に見舞われるなど何の滞りもなく出来たわけではなかったものの、この仕事そのものについてはあさひ自身も素直に楽しんで取り組む様子が見られました。が、彼が同様の舞台案件の可能性を切り出すと微妙な反応を見せました。曰く、嫌ではないし、やってもいいが、アイドルとして立つ舞台とは何か違う感覚があるとのこと。これはつまり、あさひにとってアイドルとしての舞台には何らか特別な意味があるということの証左なのですが、それを言語化するどころかまだはっきりとした感覚にもなっていない様子です。そんなあさひに対してプロデューサーが切り出したのが上のセリフ。彼はつらつらと、「新しい気持ち」「楽しさを探すこと」をあさひに大事にしてほしいと述べます。彼はあさひの可能性をとてもとても大切にするように心を砕いていますが、可能性に魅せられるあまり危ういアプローチを採ってしまうこともあり、それがテーマパークのような形として表出することもありました。この場面はその述懐であり彼の葛藤が強く顔を出したとても印象深い場面なのですが、対するあさひはその葛藤を汲み取れてはいない様子だったと思います。
何が言いたいかと言うと、LPまでの直近のコミュにおいて
・「あさひの広い可能性を守ろうと苦悩するプロデューサー」と
「物理的・精神的な成長と共に変化していくあさひ」の関係
・そんな二人の間にはある種の温度差がある
という文脈があった、ということです。
「温度差などと簡単に片付けるな」というご意見はその通りなのですが、ここでこれ以上語ると流石にキリがないのでこの場は一旦矛を納めてくださると助かります。
本筋に戻ります。
プロデューサーのタイピングの音が雨音となってあさひを夢から起こす。
「うるさい」と言っている通り、ここではあさひにとって不快なものとして捉えられているようです。
どうやらアンケートの回答を考えているうちに眠ってしまったとのこと。頭を悩ませたアンケートというのが「最近始めた新しいこと」。
どんなことでもって言われても、回答側にとっては難しいですよね。それはあさひにとっても例外ではなく、差し迫った初のワンマンライブを回答とすることを思いつきますがやんわりと否定されてしまいます。代案として「新しいことを始めよう」と持ち掛けるプロデューサー。先ほど確認した構図の再現ですね。
ただそう言う本人にしても何か具体的なアイデアがある訳ではなく、とりあえずトレーナーから指示された走り込みの強化を「新しいこと」にするのが当面の流れとなりました。
ところで、この直前にある「道を確認しないで出発する車」と「思いつきの提案」が掛かっているだけでなく、「仕事に忙殺され気味である」という状況説明と前振りをこなしている訳ですね。さりげに技巧が光るシーン。
もっともっと深読みすると、プロデューサーも正解が分からないなりにあさひを導こうとしているという構図にもなる...
コミュ1:風にのって
「新しいこと」として走り込みを実践していたあさひでしたが、近場は走りつくして単調な景色に飽きが来ている様子。それならばと、プロデューサーはあさひを大きな川沿いの街へ連れだします。
新鮮な光景にはしゃぐあさひ。早速走り込みを開始します。
(少しだけと前置きしつつ)プロデューサーもついていこうとしますが、
靴や体力の差でしょうか、すぐに置いていかれてしまいました。
ここも象徴的な場面で、真っ先に思い出されたのはこのセリフ。
【空と青とアイツ】コミュ2:(修学旅行みたいだ)
ただ、年を重ねることも悪いことばかりではありません。
大人だからこそ見えるもの、聞こえるものもある。
風の音、過行く電車、自転車のベル―—街には色んな息遣いがある。
そう感慨に耽るプロデューサーでしたが、なかなか戻ってこないあさひを探しに行くと民家の軒先にこさえられた(すみません、浅学なもので何と表現していいやらわかりませんでした)漁船に夢中になっている彼女を発見します。
自分も動かしてみたいというあさひに対して、船舶免許がいると返すプロデューサー。
流石に民家に乗り込みはしなかったでしょうが、サンタすら追いかけたあさひが「免許が要る」と言われて「つまらない」と不満をもらすことなく事実を受け入れたでしょうか?
【あめ、ゆき、はれ】や【今日の手は空を切らない】で顕著なのですが、あさひはその自由奔放な想像に対して現実の制約が伴うことを知っていますし、そうした現実に対して自らを合わせること=社会性の実践とその能力の成長を一貫して描かれ続けてきました。
勿論それぞれは些細な常識的対応の一つに過ぎませんが、こうした場面の積み重ねが繊細なグラデーションとなって表れているということですね。あさひのコミュはそういうさりげない仕込みが上手いのが特徴的で、彼女の底知れなさも相まって読むたびに増えていくような錯覚すら覚えます。
さて、あさひは船の積載物のうちとある機械に強い関心を示したようです。
時間切れでこの場は引き上げとなるものの、二人にとって良いリフレッシュとなったこの場所への再訪を約束してコミュが終わります。
ところでコミュタイトルの【風に乗って】に続くものは何なのでしょうか。
音が聞こえるのか、海の匂いがするのか、どこまでも飛んでゆくのか。
今回は音が重要なモチーフなので無難に行けばそれなのでしょうが...
コミュ2:すごい雨
早速連れていって欲しいとせがむあさひ。
しかし当のプロデューサーはストレイライト指名の仕事で忙しく、その願いを聞き入れる余裕がない。彼としても叶えてやりたいのは山々なのでしょうが、その仕事があさひ達の活躍の場を作る訳ですから疎かには出来ない。退屈そうにするあさひをよそに仕事に集中するプロデューサーに対し、
あさひが珍しく苛立ちを口にします。
オープニングの「うるさい"雨"の音」のリフレイン
GRAD予選前
「あたしと仕事とどっちが大事なのよ!!!」構文。
シャニマスでこれをやるのがあさひで良かったね。父草とはづき?...
直後の突発的な大雨と風をきっかけにお互い対応を改めますが、この場面はGRADにおけるすれ違いよりもはっきりとした衝突ですよね。
ちなみにGRADのオープニングのタイトルは【すごい箱】だったりします。
ただこうしてお互いハッキリとした物言いが出来るようになったのはれっきとした成長なのだと思います。また彼はこの手のミスをしばしば繰り返していますが(まぁあれだけ忙しければ仕方ない気もするんですけど)、伝えるべきことを伝えてここまで素早く対応を改められるようになったあたり、彼の成長も伺える。
俺は見てるぞ、お前のこと
話題は立ち返って「新しい物」とあの街について語るプロデューサー。
あの街の風景が二人にとって刺激的だった理由は「移ろうから」だと言う。
この台詞、本当に良かったです。
これまでのあさひのコミュで描かれた美しさというのは、
あさひの無垢な感性がもつ美しさ、
それが変化していくことの儚さ、
変化していくことで何かを損なないようにと足掻く彼の健気さが生みだしていると思っていました。それは実際そうなのだと思います。ただ、そこには「純粋さが失われていくことへの抵抗」が根差していた。
でも、彼はこう言ってみせてくれた。変化を肯定してくれた。
それは彼があさひの可能性をずっと真剣に考えていてくれたからこそ至った境地であり、その悟りは、あさひの変遷に対して自分自身がどこか感じていた一抹の寂寞に救いを与えてくれた気がしました。プロデューサーが彼と言う人間で本当に良かったと心から思います。
これは完全に私見ではあるのですが、【空と青とアイツ】とGRAD以降の「育児路線」の間にはほんの少し隔たりがあるような気がしていました。それが今ここに道を同じくしたのだ、そういう感動がありました。
すごい雨で見えなくたって、見ようとするのが大切なんだ
コミュ3:あーあーあー
約束通り街を再訪する二人。
行き交う船を眺めるのもそこそこに、あさひは突然走り出します。
船長の顔を覚えていたのか、それとも単にこの家を注視していたから気づいたのか。明らかに背景のような住宅街ではないでしょうから推測の域を出ませんが、まぁおそらく後者でしょう。「船に乗せて欲しい」と旅番組ばりの強引さで船主に詰め寄るあさひ。この怖いもの知らずっぷりは流石というべきか。それで承諾するこの船主も船主で器の広さが凄いな。
念願かなってクルーズを満喫するあさひ。
どうでもいいんですけど、燃料代とか払ったのかな
でもまぁ、分かります。差し迫った生活なら流石に話は違うかもしれませんが、日常の繰り返しの中にこんな出会いがあるのなら、ちょっとくらいの強引さには目を瞑って状況を楽しんだ方がいい。船主の出番はここのみですが、彼女もまたれっきとした大人側の人間として描かれています。当たり前の話ですが、世界にはアイドルだけ、業界人だけ、ファンだけが生きている訳ではなく、彼らと何ら関わることのない人間も生きている。
そして興味は例の機械に移ります。最初自分は無線機か何かかと思っていたのですが、どうやら魚群探知機だったようです。エコーロケーションの仕組みはプロデューサーによる解説が簡潔で良いですね。アクティブソナー、すなわち自ら超音波を発して魚影や地形を探査する機械だというのが今回の物語において非常に重要な意味を持ちます。
初見ここでかなり揺さぶられつつもその理由が判然としなかったのですが、今分かりました。不可能だと知りつつ、不可能なことに挑んで、不可能なことを受け入れる。それは「誰のものでもない場所を探す」といったあさひを彷彿とさせたからなのだと思います。
あの時、あさひはそれを不可能だと知っていたのだろうか。
あの後、あさひはそれを受け入れたのだろうか。
もしそんな場所はないと知ったら、彼女の空は狭くなるのではないのか。
そういう想像がずっと頭の中にありました。
声で魚群を探すどころか、反響音すら聞こえなくとも楽しそうに笑ってみせたその姿に、そうした諦観へのささやかな否定を見たのかもしれません。
この部分、あさひは何を考えていたのでしょう。
何かとても大事なものがあるのに、今みても分かりません。
あさひには見えていて、自分には見えていないものがある。
そういう意味では重なる部分があります。
コミュ4:はねかえって
感謝の気持ちを伝えること。GRAD要素。
ダンスレッスンを終え帰路につこうとする彼を呼び止めるあさひ。
なにか見せたいものがあるようですね。
歌と踊りを見せたようです。そしてそれは「ビリビリ来るもの」だった。
ここ、初見は「歌わずに踊ったんだ」と盛大に勘違いしてました。
足音しか鳴らないし、海の背景が映ったし、跳ね返したからなんですが。
「超音波さながら耳には聞こえないやり方で気持ちを届けたんだ」と思ったわけですね。
実際には思いっきり「歌ってる」と発言してたんですけど、随分詩的な表現するようになったんだなとか感慨に耽って泣いてて完全に直前の発言を意識の外に飛ばしてました。
まぁそれは笑い話なんですが、当たらずとも遠からずというか、本当に大事な部分は読み取れているはず。彼の感想や後の会話が示すように、このパフォーマンスはこれまでのあさひに無かった魅力を持っていた訳です。それは目に映るダンスや耳に聞こえる歌だけではなく、それらの感覚器が受容できないものを届けられたからだと思います。
それを可能にしたのは「声を跳ね返す」歌い方。
船から見たいろんなもの―――すれ違う船、鳥、川に面したビル、魚影...
そうしたものが跳ね返って来たと言う。それは世界と言えるかもしれない。
彼も同じものを見た。もっと言えば、船主や、魚群探知機も。
ただそれらは異なる受容器や可聴域を持っているに過ぎないのです。
どのように世界を認識するか、それは観測者によって変わり、
その認識を伝えることで世界に広がり、多様性を生むことが出来る。
あさひは「声」がその手段なのだと気づいたらしい。
それは十分に新しいことだ。あさひにはそれが見つけられるのだ。
(見つけような)と祈った彼にとってそれがどれほど嬉しかっただろうか。
ただそこで終わらないのが彼が彼たる所以というか、彼女らを導くものとして信じられる所以で、「跳ね返ったものに耳を澄ませてほしい」と一つ注文をつけます。それが具体的に何を指すのか、なぜ耳を澄ませてほしいのか、そうしたことには言及しないままに、「きっと楽しい」「ワクワクさせる」とだけ言い添えて。
我々には分かります、どう伝わったのかを知ることで世界が広がるのだと。それがコミュニケーションなのだと。
それを自分で見つけて欲しいという彼の願いが込められているのだと。
ライブ中コミュ(抜粋)
ライブ中のコミュについてはさすがに多いしユニット共通のものもあるので一部抜粋して読んでいきます。
・ライブ2曲目前コミュ《個人》
これまでにない昂りを感じている様子。
こればかりは媒体の関係上想像するしかありませんが、
「跳ね返す」歌い方と、跳ね返ったものに耳を澄ませたからでしょうか。
その内なる興奮すらファンにぶつけて、歓声をその身に浴びる。
とても楽しそうです。
・ライブ3曲目前コミュ《個人》
かつてWINGで優勝した後、あさひはこんなことを言っていました。
アイドルになる前、彼女は今と同じように「楽しい」を探しながら、
しかし孤独だった。アイドルになることで、彼が彼女を見守ってくれるようになった。それが楽しいのだと。
ただ、それだけではないのだという予感が彼女の中にあって、その答えを探す道のりをここまで彼らは歩んできました。
ひとり進んでしまう孤独への恐怖も、ふたりに負けないプライドもある。
でも蝶よりも、石よりも、3人のステージが大切になったのかもしれない。
ミュージカルの舞台も楽しかったのかもしれない。でも、あさひにとってアイドルの舞台とは何かが違った。それは、プロデューサーが見守る場所で、3人でステージにたつ場所で、彼女らの呼びかけに応えるファンがいて、
反響を感じることで新しいものに出会える場所だからなのかもしれない。
あさひの可能性を広げる場所がステージの上にあって、今まさに響き合っている。アイドルをやることがその人の幸せに繋がることを何より大切にする彼にとって、これほど幸せな瞬間はないでしょう。
・ライブ後コミュ《大成功》
興奮冷めやらぬファンの送る拍手が鳴り響く。降り注ぐ雨音のように。
微睡みを破り、話を遮ったタイピングの音もそう、雨音のようだった。
時にそれは鬱陶しく感じられることもあるかもしれません。
しかしこれらの音にはいずれも、あさひへの愛が込められています。
それが心地いい音だとあさひは言います。
それも新しく見つけたことなのかもしれない。
「え?じゃないが」と言いたい気持ちはあります。
でも、彼の気持ちも分かる気がします。
俺とあさひでは生きる時間が違う。
彼女の成長に俺はついていけないのかもしれない。
それが成長痛のように彼女の足を引っ張ってしまうのが怖い。
そんなことを思っているのかもしれない。
それに、彼は誰よりも彼女の可能性を信じていたいのかもしれません。
あさひなら自分の力で自分だけの場所を見つけられる、そんな可能性を。
かつて冬優子があさひのために涙を流したように、あさひには彼女を見る人の純粋な願いを重ねさせる力があるように思えます。そうだとすれば、彼女はまさしく天性のアイドルでしょう。
それでも、その場所にお前が立ってて欲しいと思う。
エンディング:聞こえてたっす
理科でしょうか。
プロデューサーが仕事を片付ける傍ら、あさひも宿題を片付けています。
今wikipediaで読んだところ、台風の最大風速は約17m/sだそうです。
あさひは17人目のアイドルで、海や風といったモチーフとも繋がりが強い。
そのポテンシャルでもってシャニマス、ひいてはアイマスの枠を飛び越えて
その名を響かせたあさひを台風と形容するのも納得できます。
船主がノット単位系を使っていたことに疑問を感じたようですが、これは分野でそれぞれ歴史的経緯や目的に適した尺度が違うからですよね。世界の捉え方の話の続きがここにも挟まっている。
そして今回は、彼が仕事をしているのを見て邪魔しないことを選び―――
ひと段落ついてるから邪魔してないな!
先ほどの質問をするのかと思いきや、何か別に気になることがあるらしい。
前例があるだけに邪魔だったかどうかを気にするプロデューサーが若干気の毒ですが、今回は機嫌を損ねなかったのでよし。
仕事というのは冒頭のアンケート結果を元にした特集のチェックらしい。
ワンマンライブの件についてもいくつかコメントを載せているとのこと。
ライターや編集者があさひのファンなのかどうかは分かりませんが、彼らの目にもあさひの可能性が印象に深く残ったようですね。
彼女にしてみれば新しいことを探しているだけなのに、それを周りは「成長」と呼ぶことに疑問を感じるあさひ。時間がたつにつれ、人は新しい物から離れてしまいがちです。自分もそう。何か新しいことを始めるというのはエネルギーが必要で、それだけで成長と呼ぶに値するのだと思うようになりました。学生時代も相変わらず捻くれていたし、その頃から趣味に保守的な傾向があった自覚はありますが、20代も後半になっていよいよそれが「老い」ということなんだなと実感しています。
自分たちには難しくなってしまったことを、才能とエネルギーに溢れた若者に期待する。託す。それは見方によっては押し付けにもなり得る。
それでも期待せずにはいられないのが先行く者の性なのかもしれない。
そう感慨に耽っていたところに、投げかけられました。
この辺から無理だった。
打鍵音のことを言っているのかと聞く彼に頷くあさひ。
でも、たぶんそれだけではない。彼女が本当に聞こえたと言いたいのは、その音の奥に潜む彼の愛、情熱のことではないでしょうか。
そうでなければ、「魚群探知機みたい」という言葉に説明がつかない。
リアルタイムで送られてくる地図情報を受け取ればよいカーナビと違い、
自ら音を放って地図を作らなければならない魚群探知機。
アイドルを導く彼もまた、何が正解か、どこを通るべきか知りません。
彼もあさひが言いたかったことを理解しました。
俺があさひの可能性を失わないため、広げるためにしてやれることはなんなのか―――
彼はずっとそれを考えて、大人として、プロデューサーとして出来ることをやってきました。それ自体が何かを探すということだと気づかずに。もう大人だからと、もう何か探すことはできないと、そう寂しく思い込んでいた彼に、あさひが気づきを与えてくれた。
彼が放った耳には聞こえない音をあさひが受け取って、返してくれた。
お前泣きそうになってんじゃん
こんなん無理だろ
総括
もう大体書きつくしたんですけど、取っ散らかってる部分を少しでもまとめてみます。
・「あさひの広い可能性を守ろうと苦悩するプロデューサー」と
「物理的・精神的な成長と共に変化していくあさひ」の関係
・そんな二人の間にはある種の温度差がある
という文脈があった、ということです。
冒頭でこう述べましたが、この前提が今回丁寧に拾われていましたね。
シャニマスにおいて「変化していくこと」が持つ意味は様々です。
時に明確な指針のもとに否定される「変化」もあります。
あさひのコミュにおける変化が持つテーマには、
「すべては移ろいゆく」や「大人になるにつれ少しずつ失っていく」
といった側面があったと思います。作中においてスポットが当てられた魅力はどちらかと言うと儚さの意味合いが強く、だからこそ見る人の追憶を強く刺激していたのではないでしょうか。しかし今回、プロデューサーはその変化をはっきりと肯定しようとしてみせました。
またGRADやテーマパークで特に顕著だったプロデューサとあさひの間にあった温度差については、それがもたらす衝突を早期かつ迅速に処理しつつ、温度差=尺度の異なる視点があったからこそ、プロデューサーが気づかなかった彼自身の可能性を気づかせることが出来ました。それはひいては、我々物語の受け手はもちろん送り手すら含めた大人たちへのエールとも捉えられるかもしれません。
それらすべてが確かな意味を持って芹沢あさひとプロデューサーの物語に光を与えた瞬間であり、不可能を知っていく物語から可能を探す物語へと姿を変える推進力を与えてくれたように思います。
自分は彼らの物語の目撃者でいたい。その願いに変わりはありません。
ですがもし、我々が彼らの発する音に響き返すことが彼らが道を探す助けになるのだとしたら、それはとても幸福なことだと思います。
このたびも本当に素敵な物語をありがとうございました。
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