オイサラバエル雑感

某所に感想テキストを貼ろうとしたら、荒らし対策botの長文規制に引っ掛かったので書いてたものをそのままこちらに貼ります。なのでnote用の推敲とかは特にしていないです、よしなに。

カラカラカラの衣装台詞を元ネタに、LP後の円香とその価値観、そして彼に対しての気持ちを描いた一本と見る。
時間を巡る旅という連載企画は盛者必衰と美がそのテーマだったらしいけども、これらは「形あるものは滅び、形のないものは滅びない」、「完全なるものは不完全であり、不完全なものは完全である」という主張に繋がると読んだ。

今回、「企画を通して『樋口円香が何に美を感じるか』を彼が探っている」ことを円香が感じ取っている様子が描かれる。これは円香LPにおけるソロライブを利用して彼が円香の価値観を引き出そうとしたことと完全に同じなのだが、円香は円香でここまでずっと彼の本心と言うものを引き出そうと躍起になってきた訳でもある。
たとえば円香はギンコで「あなたは欠点も愛嬌に変えてしまう」と言ったことがあるが、これは、彼が対外的に見せているペルソナを完全なものとして見ているきらいがあり、今回円香がモノローグで語ったように彼女は完全なるものに不完全性を感じる(完全なるものがもつ発展性、余白のなさと解釈しました)からこそかの有名なぐちゃ引き発言が飛び出したと解釈できる。

 その後GRADにて「完全なスーツの下の不完全な彼自身としてのペルソナ」を遂に目撃・接触し、それ以降しばしば揶揄うような言動で接することによってその不完全な彼自身を引き出し続けようとしてきた訳だが、同時に我々読者にとっては明らかな「あなたはアイドルをプロデュースしていない」という分析がことLPに至ってようやく飛び出したように、その努力の一方で円香自身はなかなか彼の本心というものに辿り着けていない事実もあった訳でもある。

 つまり今回「枯れたものを枯れたまま美しいと感じるのでは」と分析するくらいには彼の心が想像できるようになっては来たけれど、それでも見えない彼の心というものに円香はどうしようもなく意識を引かれているということである。


Trueで円香は、「ドライフラワーの種類や見た目=形ではなくその魂なるもの=奥を見ようとする彼の姿」=形ではなく、そうしようとする彼の心=奥を見るといい、続けて「透明なのかもしれない、美しいものは」と発言する。ここまでの努力を以てして見えない彼の心は即ち、それが透明であるからなのかもしれない、そしてそれは美しいと認めたように聞こえた。

ここで透明という言葉を考えてみると、「さよなら、透明だった僕たち」に象徴されるようにそれはノクチルにとって特別な意味を持つ言葉であり「透明なものは美しい」というその発言がめちゃめちゃ重要な意味を持つことは容易に理解できる。
 たとえば円香が「幼馴染4人の絆」的なものを言葉にしたがらないことはこれで説明できるし(言葉と言う形を与えないということでもあるが)、UNTITLEDで描かれた透の非世俗的な透明性への強烈な執着も説明できる。
そういう見地に立った時、彼の心が透明であると認めるということの重さはとんでもないもので、事実最後円香は「透、き、と、お」とまで発言する。

これはもうどうしたって「すき」を惹起させる物言いで、そういうことなんでしょうけど、透き通る(透き通れ?)と言い切らない=不完全なものにすることで余白を残しつつ、美しいものに仕上げた...ということなのではと。
ちなみに彼が魂なるものを見ようとするあまりに誰の目にも見える足元のガードレールに気づかなかったという描写は、彼が理想家すぎるがゆえに目の前の現実にしばしば苦しんでしまうことの示唆であり、不完全性(とその美)の示唆でもあると思いました。 

追記

付け加えると、今回のコミュでは一切彼のモノローグが登場しなかったのはとても大きな意味があるだろう。円香のPカードおよび共通シナリオは最早ほとんど彼がもうひとりの主人公とでも言うべき比重で扱われ、その独白も頻繁に用いられてきた。このカードにはそんなおなじみの要素が「欠落」している。これは円香にとって彼が見通せない存在であることの主張を補強すると同時に、我々読者にとってもそんな円香のもどかしさを追体験することが出来る。何よりその欠落のもたらす不完全さが、不完全であるがゆえの美しさを引き起こすのだ。

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