童貞は性描写を感じられるか〜経験が作品を面白くする〜

みなさんは、人生経験が豊かな方でしょうか?

大昔から語られていることですが、世の中に存在する作品を楽しめるかどうかはその人の人生経験によります。
豊富な人生経験が作品を面白くするということについて、私は全くその通りだと思います。
それまでに経験しているかどうかによって、楽しむことの出来る作中の表現の幅も変わってきます。

例えば、事故などのシーンでよく使われるスローモーションの表現。
これは実際に「車にはねられる」、「急ブレーキで自転車やバイクから体が飛び出していく」、「スポーツの試合中にタックルされ飛んでいく」などの危険な場面を経験した人のみが分かる、視界に映るものがスローモーションに感じるという演出です。
そのような経験がない人には「ふーん、そういうもんなんだな」もしくは「なぜスローになったんだ?」と感じるでしょう。

これは性の場面においても起こることだなと、最近私は感じました。
例えば、マカロニえんぴつというバンドの「恋人ごっこ」という曲を聴いていた時。


https://www.youtube.com/watch?v=VFdLm6gEEE4

『缶コーヒーで乾杯 シーツは湿って どうにもならない二人だ 言う通りにするから 恋人ごっこでいいから 今だけ笑っていて欲しい』

(缶コーヒーで乾杯? なぜシーツが湿ってるの?寝汗?)となるでしょう。

経験のある人であれば、「朝まで愛し合ったせいで湿ったシーツと缶コーヒーで乾杯をしている恋人ではないが性行為をした男女」と読み取ることが出来ます。

また、米津玄師さんの馬と鹿。

『鼻先が触れる 呼吸が止まる 痛みは消えないままでいい』という歌詞。

(鼻先がどこに触れるの?どうして呼吸が止まる?)

経験のある人なら、キスをする前の鼻と鼻が触れ、息を飲むもしくは相手に息がかからないようにという配慮と読み取ることが出来ます。
また、“キスという単語を使わずして、キスを表現する米津玄師さんの表現力”を味わうことが出来るでしょう。

今回は性に関しての経験に着目しましたが、電車の車窓をぼんやり眺めたことがあるからこそ分かる、川端康成の雪国での序盤の写し鏡の表現もそうです。

作品を今よりもっと楽しむために、色々な経験を重ねるのはいかがでしょうか。そうすれば、より人生を楽しむことが出来るでしょう。

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