見出し画像

だって自分は自分だもん

「だって自分は自分だもん」と最近考えるようになった。

ずっと、人の目を気にしたりして生きてきた。こうしたからこう思われるのかな…。こう言ったらこう思われるかな…。考えれば考えるほど、動けなくなって苦しかった。

私はめっきり小さい時から気を使うほうだった。子供のころはそんな自分が大人に思えて、ちょっと得意気だった気がする。私はこんなに思慮深いのよって。そんな風に思ってたかもしれない。

でも、大人になってみると、だんだんと自信がなくなっていった。今まで大人ぶっていたけど、その”大人”になってみると、どうしたらいいかわからなくなった。大人ぶることで、成長してなかったのかもしれない。と思ったりするが、人類みんなこんな感じで大人になっていくのかもしれない。そもそも、大人ってなんだろうっていう、哲学的な疑問になってしまいそうだけど(笑)

うちの家は、私が20歳過ぎたころに離婚していて、小さい時は親は家庭内別居をしていた。今考えると、結構大変だったと思う。同じ家で暮らしながら、父は1階で暮らし、母は2階で暮らしていた。姉と私はどちらについてるっていうより、いたいところに居た気がする。でも、多分家の中で気を使ってた。お母さんの前ではお父さんの話をしないように、お父さんの前ではお母さんの話をしないようにって。お金の話はいつもお父さんにしなければならなかったし、それを言うのもとても言いづらかった。

そんな感じで、私が気を使いがちな理由は幼いころの環境にあったのかな。とぼんやり考えつづけてきた。どこかで、環境のせいにしていた。

そんな私も30代になり、だんだんと分かり始めてきたことがある。「自分は自分以外になれない。自分以上に小さい存在にも、自分以上に大きい存在にもなれない」ということだ。

そりゃもちろん今だって、今の発言どう思われたかなとか、うじうじ考えるときはあるけれど、じゃあ、その時に戻ったら自分はそう言わなかったのかな?って思うと、多分言うと思う。今自分がする判断や発言は全部今の自分ができる精一杯のものなんだと思う。ちょっと失言してしまった自分も、今日1日、なんとなく元気が出なかった自分も、まるっと含めて全部自分なんだなって。

あ、だからといって、何をしていいってわけではない。反省はするけど公開はしないって感じかな。反省は大事だからね。今の自分ではこうしか対応できなかったけど、次からはこうしようって。

そんな自分が自分でいいよって思えたのは、自分と思いきり見つめあってきた20代の時間があったからな気がする。自分がどういうときにつらいと思うのか、どういうときに楽しいと思うのか。どんな時に癒されているのか。だんだんと分かってきた。分かればわかるほど、自分を認められるようになってきた。

分かるってすごく大切だと思う。だって、きっと人が不安になるのは分からないからだたから。

ずっと不安だった20代、自分は何者なのか分からなかった。私はいったい誰なんだろう。何したいんだろうって。

きっと、今の世の中は情報もいっぱいあるし、SNSを開けば、キラキラした世界が広がっていたりして、なんだか自分と比べてしまったりすることも多いだろうし、昔より、自分を見失ってしまう可能性が高いんじゃないかなって思う。

だからこそ、そんな時には心の片隅に置いておきたい。

「だって自分は自分だし」って。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?