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19歳、予備校時代

大好きなダイアンのユースケさんが「NSC時代」という記事を書いていたので、私は「予備校時代」を書こうと思う。

私は現役時代の受験に失敗したため、高校を卒業してから1年間、地元の予備校に通った。
勉強は大変だったが、この1年間はとても楽しい思い出として残っている。

もう15年も前のことなのでふんわりとした記憶だが、ちょっと思い出してみる。

予備校では、平日は朝から夕方まで授業があり、授業後は夜の21時くらいまで自習室で勉強をした。土日も自習室は開いていたので、結構通っていた気がする。

予備校の先生はキャラが強めの人が多く、印象的だった。

英語の先生はぽっちゃりした男の先生で、ことあるごとにヒステリックに声を荒げて怒っていた。
太っているので大体汗ばんでおり、怒るから余計に暑くなって顔はいつも赤らんでいた。
いつもボーダーの服を着ているのでラガーマンに見えた。
何にそんなに怒っているのか謎で、怒るたびに授業が止まるのであまり好きではなかった。

数学の先生もよく怒っていた。
しかしこちらの先生は怒ると(機嫌を損ねると)黙るタイプの人だった。
沈黙で威圧し、怒っている対象の生徒をじっと見つめる。
その時間は関係ない私でもかなり息苦しい時間だった。
相当頭が良い先生だということは感じたが、頭が良すぎるためか、説明を飛ばされることが多くよくわからなかった。

日本史の先生は、毒舌タイプの人だった。
顔は林家たい平を一回り痩せさせた感じの人で、髪型も似ていた。
説明の合間に、ちょくちょく有名人の名前を出してブラックジョークを飛ばしていた。
今思えばブラックジョークで生徒とコミュニケーションを取ろうとしていたと思うが、生徒側の反応は薄く、しんとしていた。
東京から来ていた先生で、長崎(地元)の美味しいお店を知りたがっていたので、授業のアンケートで美味しい餃子のお店を教えた気がする。

他にも先生はいろいろいたが、予備校には何年か浪人している人(多浪生)もいた。

坊主頭で太い黒縁メガネをした彼は、いつも一番前の席に座って授業を受けていた。
その昔、電波少年に出ていた「坂本ちゃん」みたいな見た目の人だった。
数学の授業では、授業前に宿題を板書しておくと先生がそれを添削しながら授業を進めていく。
この人は、いつも欠かさず板書をしていてすごいと思った。結構手厳しく添削されるのだが、挫けずに毎回板書するので尊敬していた。

また、多浪生は1年目の浪人生にはない特権があった。
自習室の監督のアルバイトができるのだ。
広い自習室でみんなと向かい合う机に座り、監督をしながら自分も自習をする。また、自習室にいる人から自習カード(記名したもの)を回収する。
この役目をしていることで、「あの人は多浪生なんだ」と他の生徒はわかる。
こういうことをするので、多浪生は結構目立ち、何故かかっこよく見える。
私は友達とあだ名をつけて、それぞれお気に入り多浪生の隠れファンになっていた。

多浪生はやはりレベルの高い大学や学部(医学部)を目指している人が多そうだったが、彼らは無事に多浪を終えて、夢を叶えているのだろうか。

私は志望校に合格し1年間で予備校を去ったが、朝から晩までがむしゃらに勉強していたあの1年はとても濃く、大切な時間だ。
予備校時代の友達、元気にしてるかな。




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