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2022年2月の読書

毎年2月はメンタルが沈みがちで、今年も例に漏れずメンタルが沈んでいた。そのため、力を入れなくても読める歴史小説ばかり読んでいた。

冲方丁『麒麟児』

勝海舟と西郷隆盛にスポットを当てた冲方丁の歴史小説。冲方丁が好む主題としては「継承」があるが、本作では二つの継承が掲げられている。一つは江戸という大都市の継承、ひいては日本という国の継承である。

現代の日本を語る上で、江戸城の無血開城は一つの大きなターニングポイントと言えるだろう。仮に首都を巻き込んだ市街戦を行った場合のダメージは筆舌に尽くしがたい。その結末は理解した上で、ヒリヒリとした交渉劇を描く筆力は流石である。

もう一つの継承は西郷隆盛の記憶を継承することであろう。西南戦争で散った西郷であるが、軍歌『抜刀隊』で「古今無雙の英雄」と評される、紛うことなき英雄である。朝敵となって尚ここまでの人気を誇るのは西郷だけではないだろうか。

その人気の下地こそが西郷の「記憶」であろう。西郷隆盛という傑物の記憶が継承されなくなった時こそ、彼が単なる朝敵となるわけで、だからこそ勝は現代よりも強い危機感で西郷の足跡を残そうとしたのだな、ということが分かるラストになっている。

『天地明察』以降の冲方丁は歴史物を多く手がけているが、作家としての本質はSFを多く描いていた頃から変わっていないように感じる。冲方丁の本質は「逆算」にあると思っている。

冲方は『冲方丁の 「アニメ&マンガ」ストーリー創作の極意』で論理パズルでプロットを組む力をつけろ、というようなことを述べている。ちなみに上掲書はファフナーRoLの脚本が載っているのでファフナーファンならマストバイだ。

たとえばマルドゥックシリーズでは女性への暴力、ファフナーシリーズでは人類の相互不理解のような主題があって、そこから理詰めで思考を発展させることで物語が形成されている。要するに、冲方丁のSFは現在からの逆算で描かれている。

歴史小説もまた、現在からの逆算で描かれている。『麒麟児』では江戸の無血開城と現代の日本を繋ぐ試みがなされているし、『光圀伝』では彰考館を通して近代へ繋ぐ——明言されてはいないが水戸学が念頭にあるだろう——努力がなされている。

そういう作り方は冲方丁ならではだと思うし、逆に言えばそのやり方は冲方丁以外には実現しにくいので彼の創作論は何ら参考にはならないのだが、それでも面白いものは面白い。

田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本では年に300頭ほどの鯨類の漂着が報告されている。言い換えれば、平均すれば毎日一頭ほど、鯨類が浜辺に漂着しているということだ。報告されている数でこれなのだから、実際は更に多いと推測できる。

本書は国立科学博物館で研究員を務める田島木綿子が豊富なキャリアのなかで得た知識と経験、そして洞察を語るものである。紀行の要素もあるし、解説の要素もあるし、ジャンルを一つに絞ることはできないが、動物が好きなら間違いなく楽しめるだろう。

たとえばクジラの骨格標本の話。通常、骨格標本というのは骨を煮ることで作られるが、クジラの巨体となると煮るのも一苦労となる。そのため科博には5m前後のクジラの骨まで煮ることができる専用の晒骨機というものがあるという。何から何までスケールが違う。

それなのに彼らは我々と同じ哺乳類である。不思議を感じながら読み進めてほしい。

和田竜『のぼうの城』(上下)

少数の兵が大軍に立ち向かう話は歴史物の洋の東西を問わず定番である。海外ではテルモピュライの戦いを描いた『300』やアラモの戦いを描いた『アラモ』があるし、国内では……意外と映画が思いつかないが映画なら本作が筆頭だろう。

石田三成率いる数万の軍勢に対し、地元豪族成田氏が率いるのは急遽徴募した農兵も合わせて2000程度。10倍の兵力に加え水攻めという力押しに対して、日頃のの役立たず具合から「でくのぼう」をもじって「のぼう様」と呼ばれる指揮官成田長親はどう対抗するかというのが見物である。

娯楽歴史小説としては良く出来ている一方で、時折ぞくりとするような洞察が挟まる。

おもえば名将とは、人に対する度外れた甘さを持ち、それに起因する巨大な人気を得、それでいながら人智の及ばぬ悪謀を秘めた者のことをいうのではなかったか。

和田竜『のぼうの城 下』pp.112

長親は領民に慕われながらも、いざとなれば自らの身を犠牲にしてでも農兵の指揮を上げることを厭わない狂い方をしている。家臣の正木丹羽守利英が長親に戦慄する時、読者もまた長親に戦慄する。ここに小説の面白さが凝縮されている。

映画も観ようかと思ったがAmazonでは有料なので悩む。

土橋章宏『超高速!参勤交代』

これも映画は観ていない。話の筋は分かりやすい勧善懲悪で、『のぼうの城』よりこちらの方が映像向けと感じた。それもそのはず、本作は脚本が最初にあって小説化されているものなので、脚本家自身による映画のノベライズと言ってよい。

映像作品と小説の最大の違いはテンポにあると思う。脚本はどうしてもシーケンスごとに緊張と緩和を用意する必要があり、読んでいて「これは脚本だなぁ」と感じる瞬間が多かった。これは良い、悪いではなく、エンターテインメントとしては脚本の方が良い局面もあるという話だ。

こっちはプライムビデオで見放題なのでそのうち観ておきたい。

3月の意気込み

今月こそ21世紀の資本を読む。

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