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noteがきっかけかは分からないけど、8年ぶりに大学の同級生と再会した話

ある日の夜、Twitterに一通のDMが届いた。差出人は大学の同級生で、編集者をやっている男だ。

大学卒業以来、彼とは一度も顔を合わせていない。けれど私がnoteに転職したのを知ってリプライをくれたりして、オンラインでは繋がってはいた。その彼が島根の振興イベントのお手伝いをしているのだが、ワークショップの参加者を探しているという。そこでお誘いのDMが届いたというわけだ。

正直なところ、以前の私なら何かと理由をつけて断っていただろう。社交は好きではない。ワークショップの内容も「陶片を使ってコースターを作る」という誘われなければ興味を持たなかったであろう題材だ。しかし30歳になると、たとえ集客のためであっても誘ってくれることの有り難さは身に沁みてわかる。多少なりとも会いたい人だからこそ呼ぶのだ。その気持ちには応えたい、と思える程度の社会性は獲得している。

だから「行きます」と返信した。8年ぶりの再会である。楽しみよりも不安のほうが大きい。忘れられているのではないか、話が弾まないのではないか。そう思っていたのだけど、杞憂だった。

ワークショップの受付を済ませると、その同級生から声をかけられた。多少変わってはいるが、面影は当時のままだ。良かった、忘れられてなくて。ワークショップが終わったらまた話そうとその場では別れたのだが、途中で思わぬことを告げられる。

「学生主体のイベントだからカメラマンいなくて、展示の写真撮ってくれない?」

何となくGRⅢxを持ってきていて、ワークショップの途中経過をGRで撮っていたらそのままカメラマンを頼まれるスピード感。知らない人だったら「えぇ…」となるけど、手伝いたくなる愛嬌が彼にはある。

ワークショップが終わった後に写真を撮りつつ、展示解説を彼から受ける。島根の陶芸は民藝運動の影響をかなり受けているらしい。教科書レベルでは知っている。柳宗悦が始めた運動で、日用品のなかに「用の美」を見いだして称揚していく運動だ。これまではそういった思想的な面しか認識しかなかったが、思想的な面とは別に、地方のものを「素朴」というブランディングで売り出していくマーケティング的な側面もあったらしい。キュレーションの走りというか、柳はかなり先進的なマーケターだったのだなぁと感心する。

ここに足を運ばなければ、民藝運動のことなんて調べなかっただろう。予想もつかないところから面白い知識をもたらしてくれるのは、いつだって他人なのだ。シオランやラカンを教えてくれたのは前職の同僚だし、今回の民藝運動のことだってそうだ。「知」のある人たちのネットワークの中にいる効果は、想像しているよりも遥かに大きい。今更すぎる気付きだけど。

雑談のなかでnoteについてもフィードバックを受けた。実際に仕事でnoteを使っている人から色々と聞くとモチベーションにもなるし、オフィスで考えるのとは違った景色が見えてくる。noteが繋いだ縁かどうかは分からないけれど、久々に同級生に会えたのは嬉しいし、勤めている会社のサービスに率直なフィードバックを貰えたのは幸せなことだと思う。

行く前は不安で若干気持ちが重かったけれど、帰り道の気持ちは少し楽になっていた。何より私の中にある「人嫌い」が少し和らいだような感覚がある。明日にはまた人嫌いの私に戻っているかもしれないけれど、以前よりそのラインは後退しているはずだ。そう信じられたことに、再会を感謝したいと思った土曜日だった。

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