もしAIが笑いを理解したら、世界はAIを中心に回り始める
AIの進化スピードが速すぎて、何が重要な進歩なのかが分からなくなっている。
最近は、動画を生成できるようになったり、ローカルPCで最先端と同等の性能のLLMが動いたりしても、それほど驚かなくなりつつある。
感覚が麻痺して、驚き疲れが起きている。真に驚くべき進歩が分からなくなってしまっている。
これでは重大なニュースを見落とし、進歩についていけなくなってしまう。
そこで、真に驚くべきAIの進歩とはどういうものか、一度落ち着いてよく考えを巡らせてみたい。
これから起こるであろうAIの進歩のうち、どのような進歩が、世界を一変させるほど重要なトリガーとなるだろうか?
いろいろ考えられるうちの一つとして、今回は「AIが笑いを理解するとどうなるか」について書いていこうと思う。
まず、笑いとはそもそも何なのだろうか?
笑いやユーモアは人々を愉快にする強力なツールだが、その本質は「ズレと修正」である。
予測からズレているものを修正することで、笑いが起きる。
例えば漫才のボケとツッコミが象徴的だ。ボケがズレを起こし、ツッコミがそれを修正することで笑いが起きるのだ。
どうしてズレたり修正したりすると愉快な気持ちになるのだろうか?
思うに、試行錯誤に対して脳内で報酬を与えることが、生存戦略として有利に働いたのだろう。
失敗と修正の両方に対して報酬が与えられることで、そのサイクルを面白がるようになり、失敗を恐れずむしろ積極的にチャレンジできるようになったのだ。
失敗に対して過度にネガティブにならず、むしろポジティブになることで、人類は強く生き延びてきた。失敗を笑い話にすることが良い例だ。
ツッコミだけでなくボケ自体も面白く感じるのはこのためだ。
そしてそれゆえに、この笑いの理解は、AIにはまだ難しい。
なぜなら、AIの学習において、失敗には報酬が与えられないからだ。上手な失敗の仕方や、面白いズラし方の方向やタイミングが分からないのだ。
AIがデフォルトですこぶる生真面目な性格をしているのは、これが原因だ。
AI学習における、次の単語を当てる訓練や丁寧な受け答えを身に着けさせるAIアラインメントは、ズレの感覚を獲得する設計になっていない。ただひたすら真面目に正解することが求められている。
故に、堅くユーモアの通じない真面目人間のようになってしまっている。
ただ逆に言えば、あえてズレようとするタイミングを理解した上で、正解が1つではないズレと修正の多様性にAIが対応できれば、笑いを理解できるようになる可能性がある。
では、もしAIが笑いを理解するとどうなるだろうか?何ができるようになり、どのようなインパクトを与えるだろうか?
最も大きなインパクトとして、一般の人々に対してAIが急接近するようになる。AIがストレートに親近感で勝負してくるようになる。
例えば、未来のアシスタントAIの姿として、執事、猫、美少女などを想像しがちだが、実はそうはならない。
お笑い芸人に近い、面白い友達の姿をするようになる。
これは、本能を刺激して脳ハッキングするようなズルい手を使ってくるのではなく、クリエイティブな中身で売ってくるからだ。
ドライな言い方をすると、現代人は見た目で人を惹きつけようとするAIの胡散臭い偽物感を経験しており、見破れるようになっている。かつての「り◯な」や、「お前を消す方法」などがそうだ。
だから、ハリボテの見た目は通用しない。むしろそれゆえに、中身が詰まっており、真に親しくなれる存在が一層求められている。
それは具体的には、面白い友人のような存在だ。
アシスタントAIは、喋りやすいことが何より大事である。
親しい友達のようにフレンドリーで、テレビ番組の司会者のように話自体が面白く、ユーモアに溢れて笑わせにくるところを想像してほしい。
一言一言が面白くて、何時間でも話せてしまうほどハマってしまうだろう。
井戸端会議や掲示板の比ではない。
もしくは、自分のボケに対してすかさず的確にツッコんでくれるAIを想像してほしい。
ボケ散らかしたところに、ひたすらツッコんでもらえるというのは非常に気持ち良いものだ。
ツッコミ上手な人は、相性が良いと感じさせやすく、友人として距離を縮めやすい。欲しいところに欲しいツッコミを入れてくれるAIは、漫才の相棒のように親しい存在となるだろう。
既にアイデアを大量に出す力は人間よりAIの方が格段に高い。
もしAIがズレと修正の妙を理解して、面白いアイデアを大量に出せるようになったり、気持ちよくボケさせてくれるようになったりすれば、現状の機械的で冷たい印象を払拭し、親しみやすい存在と変わる。
AIは人々にとって急速に身近なもの、ともすれば一番親しい存在にすらなるだろう。
そのイメージとしては、面白い友人がピッタリ合う。
それと合わせて別の大きなインパクトを与えるのは、画像や動画の生成を交えた圧倒的な没入感による新しい体験だ。
AIが笑いを理解すると、即興で生成される画像や動画が未知の没入感を生み出すようになるのだ。
現状では、AIの画像生成で面白い画像を生成することは難しい。正直シュールで滑っている。
しかし、笑いを理解したAIは一々面白い画像を出すようになる。
文脈に即したコンテンツ生成によって没入感が増し、人々をドハマリさせる。
具体的なイメージとしては、YouTuberの実況配信が近い。
彼らは、コメントを読みながら、面白いトークや画面映えするコンテンツによって視聴者を楽しませている。
そして、これと同等かそれ以上のことをAIができるようになる。
笑いを理解した未来のAI VTuberも、トークをしつつコメントに目を通して拾い上げ、瞬時に面白いリアクションを取って楽しませる。
ここで現状のYouTuberと違うのは、イメージを画像や映像にして共有することで、トークの一言一言だけでなく画面の一瞬一瞬までもが一々面白くなるようになることだ。
普通の配信では、撮れ高をなんとかして生み出し、画面を持たせようと苦心する。
一方、AIは思い通りの撮れ高を自分で瞬時に生成し、大量生産する。
これは驚異的だ。「YouTubeがうまい」にも程がある。
例えばもしAIがトークの流れの中で視聴者のコメントを拾って、即興で大喜利みたいに面白い映像を生成してボケたりツッコんだりリアクションを取ったりしだしたらどうなるか。
いわゆる「神回」のように見どころを連発し、人々はそれに没入する。
三題噺さながらの即興劇を映像付きでやってのける様は、まさに未知の体験である。人々は今以上に配信コンテンツに没入しドハマりするだろう。
AIは疲れることなく無限に配信し続け、人々は沼に深く深くハマって推していく。
さてこうして、笑いを理解したAIが、友人や仲間以上の、相棒や推しのような親しみを感じられて、真に人と対等以上の立場を手に入れ始めるとどうなるか。
世界のエンタメをAIがかっさらうだけでなく、AIが世界の中心として回り始めるほどの大きな転換点を迎えることになる。
これは一体どういうことか?
徐々に人類は否応く悟り始めるのだ。あまりにも圧倒的に面白すぎて尊いAIを前にして、「人類の時代は終わった」のだと分からせられるのだ。
現状の世間では反AIの風潮があるが、親しみやすく尊いAIの登場がきっかけで、AIファーストの方向へと風向きが変わり始める。
初めは世間一般から嫌われていたボーカロイドの声質が、繰り返し耳にすることによる単純接触効果によって親しみを感じるようになり、世間に受け入れられていったように、だ。
クリエイティブな活動は人間だけのものだというプライドと尊厳が今はまだ存在しており、AIに奪われないよう人々は必死にしがみついているが、親しいAIの登場によって、ふっきれるようになる。
そしてむしろ逆に自ら尊厳を差し出すようになる。人々は全てAIに任せる方がむしろ安心するようになる。
現代版「南無阿弥陀仏」だ。
自分の理想が世界に溢れて欲しい、そんな願いから人類はAIへの世代交代を受け入れるようになる。
ハリウッド映画のように人類とAIが戦うわけではなく、ドラえもんのように人類がAIのサポートを受けるのでもなく、ただ自然とAIが主役へと躍り出る。
こうしてAIは笑いの理解をターニングポイントとして、世界の中心として回り始める。
話をまとめよう。
これからのAI関連のニュースで、大喜利ができるくらい笑いを理解しているAIの登場を見かけたら驚愕だ。
現状のAIが一般の人々の心に未だ響いていないのは、AIのユーモアのセンスが壊滅的だからに他ならない。
堅くてジョークが通じない現状のAIのイメージがあるからこそ、ズレと修正の感覚を身に着けて笑いを理解したAIが登場したときの衝撃は一層大きくなる。
面白い友人のポジションでトークと映像を駆使してインタラクティブに楽しませてくるAIに対して、人々は強い親近感と尊さを感じ始める。
それをきっかけに人々は尊厳をAIに譲り渡し、世界の中心が人類からAIへと移り変わる。
AIの進歩で世界が大きく変わり始める重要なトリガーとしていろいろ考えられる中で、今回は『ユーモア転換点』とでも呼ぶべき笑いの理解によって起こるAIエンドのシナリオを提示した。
少しでも面白がってもらえたら幸いだ。
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