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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏    下弦の月の出からの『賢木』

令和4年3月24日の深夜、自分は、東に向けて車を走らせていました。(夜明け前―までに、東京に着こうと。)東名高速道路、日付も(既に)
代わって、御殿場ジャンクションを過ぎ、いよいよ武蔵野に向けて相模の山々を下りだした時、前方にチラッと何かあやしいものが目に入りました。一瞬俯瞰した漆黒の闇の中にぼんやりと在る暗赤色の塊。あいまいながら
確かに存在している発光体、その大きな茫漠は、しだいに左方を上げて
地平の稜線であろう影を離れて、浮き上がって来ました。
少し光量を増して、それでも意識していないと見落としてしまいそうな
赤茶色のそれ…は、大きな大きな月でした。生まれて初めて視た見事な
「下弦の月の出」。
運転の視界は、明るい灯火のあるトンネルに遮られ、左右にうねるカーブに
対面する向きはふられ流れて、山を下る間、東を見続けることは切れ切れになりますが、前方にあらわれる毎にそれは徐々に黄色く輝きを増して上昇。だれの目にもはっきりわかる容となって「大井松田」辺りで-広がった平野の深夜の市街地の灯りの上に低く出ている月夜となりました。
見事な「半月」―直径の直線が上になっている半分、左側下部が円弧の月、(昇る時でなく、沈む様子での呼び名の)完璧な「下弦」の月でした。

365、242・・日で(太陽の周りを地球が)一周する一年を、日々の目視によってよりカウントしやすい月の満ち欠けで、数え始めた暦が「旧暦」
と呼ばれる「太陰暦」です。 現在(ほぼ世界中で)基準的に使われている
「太陽暦」=「グレゴリオ暦」との違いは、簡単にいうと ひと月の長さ=
日数28(~29)日(太陰暦)と(太陽暦)30(~31+28x1)日
の違いです。「立春」と呼ばれる季節の変り目に一番近い新月を、1月1日
とするのも「太陰暦」の大きな特徴で、1,2,3月が春、4,5,6月が夏、7,8,9月が
秋、10,11,12月が冬と、太陽暦より各月  月々が季節区分に即しています。
(  365日-28日x12月=29日…太陰暦に起きる「ほぼ1月の余り月」については、あらためて。)
3月25日未明に昇ってきた「(太陰暦の)二十一日の月」を見た自分
でしたが、一週間後の 現行暦の 4月1日が、旧暦の 3月1日=日付と
月の姿が合致!する事に、その夜道では思い及んでいませんでした。
先人の確認では、3年に一度ほど起きる「現暦の日付と、月の姿の合致」
前回は  2019年の8月。次回は 2024年の11月と12月です。
続けて二月揃うのは、旧暦の「大の月」と現行暦の「小の月」とがうまく
合った時のみ、そして 今年のように  1年の内に 2月、4、5月と、3回もこの 合致が起きるのはとても珍しい偶然…(天文学的に偶然はない)です。
というこの稀なる「見える月の形状と日付が合致している」今(5月末迄)
自分の私的な『源氏物語』での気付き、自分勝手な「源氏読み」での発見
を(気付きの一つが「日付と月のこと」だったので、)記してご覧いただくことにしました。

23日の月を見て、後から考えて、そんなことあるかな!と思うこのタイミング(複数の偶然).月の形状が日付と合致している稀なる時期の、
その「半月」の深夜の月の出を、偶然、深夜のドライブ中、西の山から東の野の果てに見つけて2時間ほどを観察。「日付」でもある-記号としての「月」の形状の、これほど確かな事であることを再確認もできた、素晴らしい体験でした。
『源氏物語』の中の「7日の月」のお話しです。

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