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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏 『光る君へ』8

NHK  大河ドラマ『光る君へ』、紫式部のものがたりの 毎回の中に織り込まれた-使われている『源氏物語』からのエピソードや 考えられる 紫式部の 思考、構想など、拾えるものを 書き留めてみています。
…ちょっと気になる 要確認のいろいろも。( の方が 数多かったり… )
順列は、ドラマの進行=編集順なので、論考的には整理出来てなかったり。

まひろ、道長、それぞれ「打毬」の日の回想。
まひろは「もう思いは断ち切れたのだから。」と、画面では「簾」を巻きあげて。( 後々 出て来るだろう、清少納言の 御簾を掲げて…と、カメラアングル 揃えているだろうか…。「伊予簾」とか呼ばれた-貴族の邸宅の上物ではない「簾」なのは正解。)
土御門邸、集う姫たちの打毬の話し。前の「丸高坏」-お膳は大根の煮物等食事?か餅等菓子か? 丸高坏の並ぶ光景、国宝『源氏物語絵巻』等からの再現でしょう、うまく出来てる。
東三条邸、道長のところに、公任、斉信、行成も。「弟」と呼んだあの直秀も、で慰労の席。
直秀、盗みの下見。 も判りつつ道長、腕の傷の話し、も。
散楽団、まひろ来ていて直秀が「都を離れる」と。
都の外の世界の話。直秀の居た「たんご、はりま、つくし、」丹後以外は『源氏物語』に出て来る国の名。
まひろの「海!」の反応(演出)は、少し? 文字-概念でしか知らないソレへの反応として…。知らないのに「わくわく」感…なのだろうか。まずは「うみってどんなのなの?」でしょう。
直秀の「都は鳥籠。」に、初回の道長の「なぜ鳥を籠に閉じ込める」も重なる。
義懐が暮れの 宣旨で 権中納言になる模様と、三卿 戦々恐々。
右大臣 兼家、道長と土御門倫子の縁組み…の話し( 親の都合で。)
左大臣 源雅信「従五位の下では。」は、『源氏』でも出て来る言葉。=
当時の殿上人の共通した(官位によるそれぞれの人への評価の)感覚。
当の雅信娘 倫子まんざらでもなくて。(当人の思い。)
赤染衛門と源雅信の関係は?    
繰り返される-倫子と道長のこと。母 藤原穆子は お見通しの様子。
『陣の定め』殿上人多数決による 評定の 中止のことと取り仕切る 義懐に
苛立ち 激昂の 右大臣兼家 倒れる。- 脳卒中か。
義懐「天のたすけ」と。 花山帝は「忯子がたすけ」と。
東三条邸内、伏せる右大臣、薬師の「魂の繋ぎ留めに呼びかけを」を皆で。 
横たわる右大臣の 畳 の「縁」模様の問題。 
畳は…大道具なのかな、後世の「有職畳」…使い回し!でダメダメ。 
『源氏物語絵巻』というちゃんとした ビジュアル 資料が存在するのに。
(ーお膳では引用していたのに。) 源氏物語成立の百年ほど後-12世紀に 絵画化された「国宝本」絵巻、元は 百図はあっただろう「絵」、現在確認されているのは19図。の中に描かれている「畳の縁」は、どれも
「白地に黒の四つ割りの丸」。(貴人の「繧繝縁」は数パターンあり。)
縁の幅に、円、半円二つ円弧合わせ、円、半円二つ円弧合わせ、円…の連続で描かれている。 (不思議な事に、その「縁」が折り下げられているはずのサイドの円模様が、繋がっていない描写に。畳の角で縁の布も縫合わせだったのだろうか…。コレは「絵巻」にある謎の一つ。)
「当時」の「どう」だったを伝えるビジュアル資料があるのだから、やっぱりここはコレ-黒の四つ割りすき間あり並び、を再現して使ってほしい。
テレビで映った-この「大紋高麗縁」は、ずっと時代が下ってからの物だし。 (「畳の縁」より「衣装の模様」はどう?と言われるかもしれませんが…この時代が交錯した持ち込みを他で例で言えば、姫たちの髪型が「おすべらかし」という上げ髪になってしまう。という(時代取り違えの)話し。)
頭の「挿画」、「畳縁」がよくわかる絵。宮中で帝と対面の光源氏。
→隆家が当主に代わり実務責任者に。
妹ながら 東宮生母の 詮子様「東宮と私のことは左大臣が支える。」と。
父のことを「右大臣の様子」と言い切る詮子。
晴明「「ちょうき」が満ちて前が見えん。」って「ちょうき」って何?でしょう(聞きとり違い…か)。 兼家の周りにいた道隆、道兼、道長がどく。
真言僧侶らの祈祷、晴明らの陰陽道のお祓い、なかなかの再現。
「よりまし」に降りた「忯子の怨念」の名乗り。怨念、暴れる。
『源氏物語』で都度都度出て来るシーン。
目の当たりにした隆家が畏れで気弱に。
晴明、花山帝にも事の次第を話す。「忯子が「成仏出来ていない」と泣き叫ぶ帝。-「成仏」思想の…確認必要かと。
この頃の皆さま、地位の関係なく『怨霊』には本当に弱い。
為時の家。弟 惟規「右大臣様から離れていてよかった」父思いのまひろ。
東三条殿 での 看病の日々。
宮中、図書寮か、為時に声をかける 道兼 。
道兼と為時、どちらが上位?とかなりの違和感。蔵人の道兼が、為時に
「お手伝い…」と。「お」を為時につけるか?
こういう「お」一文字のアリ・ナシに対しての、根本的な地位や関係の上下の感覚が、しっかりしていないで過ごせる現代人ならでは、な「台詞」で「演出」なのかな。
もうウン十年前の話しながら、自分が東京に出た時に感じた事を思い出した。「京都」に限らず 関西弁 には、話しを聞いているだけで、そこに登場している人たちの 上下関係 が判る-察し取れる「ことば使い」が存在する(事を上京して知った。)。 しかし、東京での会話ではそういう「関係」を 言葉使いから推測・判断する事が難しい-そういう情報が入っていない言語である事に気づいた。 東京言葉というより=地方からも集う人たちの使う「共通語」では「人間関係の把握が関西ほど出来ない-省略?か、元から存在していないのでは…」とも思えた。今の時代、ますます「そういう感覚」が判らなくなってきているのでしょう。 撮影の現場で「その「お」おかしくないですか」と言える(思う、とか気付く)人たち、居ないのかもしれません。
『源氏物語』の翻訳では、古来(そう、千年来、多くの学者による研究)
「誰の誰に対する「敬語」なのか」が、重要な問題で、その事だけでも論文がいくつも書かれて在るくらい。  
ドラマとして「さすが!」なのに、「一文字」での「敬語」使いに?が起こるのは残念。(そんな些細な事、と気にする人居ないかもしれませんが。)
「時代考証」担当のお仕事範疇なのかな…、千年後の今の 文章博士さんに「敬語考証」というお仕事、どうぞ作ってあげてください。
「ほんとうは可哀想な(演出の今回)」道兼、為時の家に来ちゃう。! 
大石静さま、やはり脚本、ドラマの展開(断片だけの歴史記録からの復元)すごいです。
まひろが自ら→道兼に 琵琶 演奏。 …はらはらな展開。 皆の大人対応に、
「まじめな家じゃ」と帰った道兼。
「赦すことはありません。あの男に自分の気持ちを振り回されるのが嫌なだけ。」とまひろ。(脚本)お見事!
からの、帝前の 為時の「実は…」からの、知遇による ( 後々えらいことに展開する関係の糸口…) 花山帝、道兼を憐れむ。右大臣を罵りながら。
ね、大石脚本すごい。
(今日も同じ空の下で、)同じ月を見る二人。
東三条に盗賊。それはあの直秀であった。
またも、『源氏物語』からの… より、撮影「次第」の気になる些細な事が多くなってしまった今回でした。 「ドラマ」とてもおもしろいのに。

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