GENJI*REDISCOVERED        源氏物語絵巻 『若菜下』之五

画像1 『若菜下』之5図 延期続きの朱雀院の「五十の賀」、いよいよ十二月の十何日に。その祝賀の会に演じる「舞」の予行演習=試楽が六条院で行われた。光源氏に女三宮との密通を知られて、それが故で体調不良の「柏木」だったが「舞の指導は柏木でなければ」との光源氏からの呼び出しもあり、参上している。
画像2 これは、『皇じょう(鹿の下に章)』という舞楽を(楊の杖を持って)舞う「式部卿宮の御孫」。この日の舞の多くは、宮や殿上人の御子、御孫という可愛い舞人によって演じられた。式部卿宮も御簾内からご覧になりながら、鼻が赤く色づくほど泣かれた。と書かれていることが、このシーンの(俗に言われていることと)違った解釈をすべきでは…という発見の鍵かと思われる。
画像3 「式部卿宮」は、御殿の「御簾内」=光源氏の御側(位置では、光源氏から見て左隣に)居る。反対側(の御側)には、今をときめく髭黒右大臣が座している。そう、御簾内にはこの3人しかいないのである。(近習、給仕は除く)『源氏物語』原文(訳)を読まないうちは、この「酒宴」屋内で、もっと人々が近くに座し、わいわいがやがや、光源氏の言葉が柏木も含め周りの多くの人に聞こえる様な座というか場を想像して来ていました。が、書かれた場所を絵にしていくと…。
画像4 試楽の後宴シーン。物語全体の中でも「一大事」、「柏木」が死病に罹る決定的な原因とも言われるこのシーンの大方の解釈は、光源氏が、自分の新妻を寝取った柏木に、酒を無理強いし、弱っているところに、強烈な「皮肉」を言って、精神的に追い込んだ。とされています。絵巻の「絵」に描かれるスケール=建物と人とその配置で見てみると…そこに大きな疑問が湧いてきます。 絵は、御簾内の髭黒右大臣。庇の間-屋内には、源氏、式部卿、髭黒の3名しか座っていません。そう柏木は一段下がった簀子=外の縁側の距離のあるところに座っています。
画像5 光源氏の「寄る年波に泣き上戸になった自分を見つけて柏木君が笑っている。恥ずかしいことだ。とはいえそれも暫くの事、逆進の無い時間。老いは誰も逃れられない。」が、柏木にどれほど(不義へ)の「皮肉」であるのだろう…と思って来ました。で、「絵」で席順を見て「老い」への言及は、柏木だけでなく左右に座っている「老人」式部卿宮と「養女を奪った」「今を時めく」右大臣にも痛烈に刺さっている言いぐさ…なのを発見。大御殿の内と外(では楽が…)柏木に源氏の言葉が直接聞こえたのでしょうか。大声で叫んだのかな光の君。
画像6 「不義」よりも「老い」問題の方が重要な感じもしなくないように思えてしまう自分です。「老いた夫が若い甥に妻を奪われる」様なことになる『老い』の弊害。で=言いたい事は「不貞不義への怒り」なのだ。となるのでしょうか。大方はそういう説明の様なんですが。場面最高齢の式部卿宮とその孫である児童を絵の左右の端々に配して、この紫式部の人選は「老い」への怒り?恐れ?(諦めてはいない。)嘲笑?とも読めそうなのです。 季節は、今の暦の1月。夜のバルコニーでのサパーは健常者でも辛そうです。

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