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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語    「まぼろし」の『枕草子』

源氏物語 を読んでいて、ここ 読んだんじゃなかったかな… という箇所が
いくつか在ります。本文中の 動作 説明 の 重複(のような(訳のせい?)
繰り返し)の記述や、当時の キマリの表現(コウ言わなくては、で)のせいもあるのでしょうが、そういう 箇所に 遭うたびに「えっと…」と、ページを戻して探したり、どの「帖」だったっけ…と迷子になったり、しながら……
確認。
な 中の一つに、リフレーンして「まぼろしの枕草子」が出て来るのです。 そう、紫式部の 宿敵(とさえ言われる)あの 清少納言の『枕草子』が。
もちろん、その 名前も 本文の引用もありません。自分も「『河海抄』に」
という「注釈」を見知らなければ、思いもしない事でした。

「朝顔」第3章-2段、「 夜の庭の雪まろばし」という、朝顔 帖の「絵」画化には、必ず描かれる シーンでの 光源氏の言葉、一日を自分の 浮気心の弁明に費やした 夕暮れ時、庭には「いたう降り積りたる」雪。今も降り続いている 雪を被って、松の木と竹の姿が形状の違いを際立たせて おもしろく見える 景色を、横に座らせている 紫の上に「冬の夜の澄める月に、雪の光あひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひなかされ、おもしろさもあはれさも、残らぬ折なれ。」と、語って言う。
「…さも、のこらぬおりなれ。」が少し難しいのですが、大方の 現代語訳は「これ以上の(ものはない)季節(で)はない(か)。」としています。
そして、その「冬の、夜の、澄み渡って輝く、月が照らす、雪景色の、際立たせる(黒い)空の、無彩色-白と黒の、光景に「異世界」を想ったりもする」という モノトーンの 賛美に続けて、
「 すさまじき例に言い置きけむ人の心浅さよ」と、訳は「この 美意識を理解出来ず、違和感が在って 嫌な感じ、見劣りするもの、と言い残した人の{「心」は、気持ち、感性、見識、文化度?が、}薄っぺらな事だ。」と、言うのです。 -『源氏』での登場人物の「見解」は、多くの場合=紫式部の見解の披露と理解してよいものでしょう、主役の言葉ならなおさら。

ここを読んでいて、初めに「この世の外の事まで」という語に「あの世-死後の世界」なのか? それとも「宇宙」のこと言ってる?と、そこにハマってしまう自分。( 八ヶ岳で、身を切る寒さの中、獅子座流星群を観ていた時の、宇宙体験的な感覚なども憶もいだされて)研ぎ澄まされた「白と黒」、音も凍ったような 静寂の「光と闇」の、大自然→宇宙に至る 果てしない光景
-寒々しく、心を浮き立たせる物も色も無い、殺風景とも言える 風景への
この 評価は、後世に表れる『幽玄』の 観念にまで 既に至っていると思われます。    
人間が(冬の)満天の 星空を観て-受ける感動やその時に持つ感情、見直される 自分の存在とか 気持ち、星空(即ち「宇宙」)をどう解釈するか…、
美しいだけでなく 畏れとかも孕んで、の体験は、今も 千年前もそう 違わないのではないでしょうか。 教育や 情報での 知識を持っている 現代人、スイッチ一つで闇に光も点けられる現代人、不思議度数、怖がることは少ないのかもしれませんが、平安時代の 星空(の星の見え方)と、身一つで出合った時に、はたして持っている知識で「既知の事」と平然と対応しきれるでしょうか。(天の川が見えただけで怖がる人もいる現代。)「この世の外」としか言いようの無い何かを同じように感じ取るだろう…と自分は思います。

『源氏』の大切な入り口、高千穂大学、渋谷栄一教授の『源氏物語の世界』の「注釈」に、この「冬の月」について「『集成』は『河海抄』に「 清少納言枕草子、すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月夜と云々」とあるが、 現存本には見えない。」と掲げられています。
光源氏の「すさまじき例えに…」と言うのは、「清少納言『枕草子』-すさまじきもの「段」の中に「冬の月」が挙げられている事を指す」と、鎌倉時代の「源氏物語解説書」が書き残している。と言っているのです。
そう!『源氏物語』の中に『枕草子』(からの引用)登場!です。
ところが、現在、私たちが読んでいる『枕草子』の「すさまじきもの」に『河海抄』の引く「しはすの月、媼のけそう」という文節・記述は見当たりません。
(原文の写しの系統がいろいろ在って、オリジナルの確定やら復元が『源氏』より難しい『枕草子』)はたして 鎌倉時代の『枕草子』には「昼吠ゆる犬」「牛死にたる牛飼い」「あくびする修験者」等々とともに「12月の月夜、年寄りの 化粧または 懸想=恋愛感情、は見苦しくて褒められない。」と書かれていたのでしょうか。 そして その部分が今は無い……となると、いつ、誰が削除?消してしまったのか…という、次なる謎も。
「夏は夜、月の頃はさらなり」とも見事に「対」をなす「すさまじきは冬の月」、『能因本』と呼ばれる系統の 枕草子に期待をこめて探してみましたがそこにも「すさまじき「冬の月」」は無かったでした。
……鎌倉時代「古典」の一大監修をおこなった 藤原定家が、至高の『源氏物語』文中において、紫式部の「批判」に晒される『枕草子』清少納言を 庇って…この一文を「削除」したのかな…とかとも想像。…にしても、あまたの「伝本」全系統のこの部分を添削……は、無理だろう…と思います。 どこかから「冬の月」の入っている「すさまじきもの」のある「本」が発見されて欲しいなと、思ったり。)……『河海抄』の言っている「出典」情報があやしいもの…と考える方が合理的なのかもしれませんが。   と言いつつ、
まだ コレ に自分が引っ掛かっている…のは、この「雪の夜」の「ここ読んだ…けど」と リフレーンしている事、それも思う以上に、なのです。
(挿画、『GENJI…』なのに、土佐光起の描く清少納言、の訳、どうぞご購読ください)

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