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私にしかわからないわたしのこと

恐怖心が人にバレてはいけない。
最近自覚した、幼いころからの私の信念。

鮮明に覚えているのは、
よく、近所の知り合いの家にお使いを頼まれてたんだけど、
その家というのが、門をくぐってから玄関までの間に、
鬱蒼とした森のように、空が草木で隠れるほど暗く、
しかもてんでバラバラに植物が植えられている庭があった。
当然、その庭を通らない限り、お使いは果たせないのだが、
大きな木と木の間に、大きな蜘蛛の巣がたくさんあって、
その下を通ることは、小さな私にとっては死ぬと同様の恐怖があったのだ。

それでいつも、「お使いに行ったけれど、おばさんいなかった。」と、
嘘をつきとおした。もちろん、行っていないことは早々にバレてて、
父親が、なぜそんな嘘をつくのか?と考えあぐねたんであろう。
いよいよある日、お父さんと一緒に行こう!と言ってきた。
ガーーーーーーーーン!!!イヤーーーーーー!絶対絶命である。

う、うん、いいよ。と、平然を装ったこともはっきり記憶している。
そして、件の庭へ一緒に入った。
が、きっと、私の異常な様子に父親が気づいたんだな。
「もう、いい。帰ろう。」と言ってくれた。
そこからの記憶はまったくない。

恐怖を目の当たりにしても、父親にすら「怖い」と言えないって何だろう。
いまなら、簡単な解決方法はわかる。 「怖い」と意思表示すれば済んだ。

この後も、大人になるまで、そして相手が誰であっても、
ぜんぜん!怖くない。怖くない。平気!平気!と言いつつ、
心臓はバクバクし、足はガタガタ震え、ということは続いた。

こうなると、なぜ怖かったのか?より、なぜ隠したかったのか?
の方が、問題となる。幸い、怖いことは自覚済みだから。

怖いと思っていることがバレてしまうこと、
それは、わたしにとっては、死を意味することにちかい。
自分が消えてなくなってしまうような気がしていた。
それほど、自分の姿が、人の目にどう映るかに縛られていたんだろうね。
怖がってなんかいない。そんな弱い人間ではない。と必死だったんだね。
マジ、泣けてくる。

では、どこで、そんな考えを持ったのだろう。
考えに考えた結果、おそらく、
前の記事でも書いたのだが、嫌なこと(怖いこと)をされた時に、
ここで被害者になってしまうと負け。
わたしは被害者ではないから負けていない。と自分で設定したんだ。
全然、怖くない。あなた達が勝ちではない。とね。

勝ち負けのこの地球では、ごく自然な現象といえる。
地球というゲームのなかで、瞬間瞬間、
そこかしこで勝ち負けが発生している。
ただわたしは、勝負なしで生きる方法があることを知ったおかげで、
恐怖心を隠すこのクセは、消滅した。

わたしのことは私にしかわからない。
尻尾を出した自分のクセを、絶対に取り逃がしてはいけない。







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