【俺らのクソ哲学】バンドマンの俺らが麻雀を辞める理由
〜クソ負け惜しみです〜
タコ負けました。タコ負け慣れてますが、そろそろ反省しないと。
雀荘で何年も働いてて、勉強もしてる俺がこんだけメンタルやられるんだか
らお前らだって定期的に挫けるよな!?そろそろ俺を見習って音楽に専念した方がいいぜって哲学です。
嘘です。「あーこれ上がれなかったら麻雀やめるわ〜」とおんなじやつです。
親リーに追っかけられ、振り込んだらリーのみ両面が裏3で、できるだけ明るく「2000バックで!」って言って赤色の棒渡してる時よりちょっと下くらいのやめたいやつです。
多分無理です。誰もやめれません、お前らも一緒だよね!!!
【やめる理由】
理由はお金や時間の無駄だから〜ではありません。
お前らが麻雀よりも大好きな音楽を演奏する時に悪影響を及ぼす可能性があるからです。
「いやー最近、音楽を好きかどうかわからなくなってきちゃった」
今どうせこんなこと思ったし、酒飲む度にお前らは愚痴ってることでしょう
麻雀のせいです。
いいですか、今だけはそういうことにしておきましょう。
レッツ!!!クソ哲学!!!
わかってると思うけど麻雀と音楽て通ずるとこあるよね
それなー
と言われるだろうと思いましたが、そういえば身の回りのバンドマンとそんな話したことないですね。
もしかしたら勝手に自分が思ってるだけかもしれないのでお前らと認識合わせるためにあらかじめ何点かまとめてみましょう!
今回のクソ哲に関わりそうな点で言えばこのくらいでしょうか。
そしてこの3つの要素が
俺らの脳みそを「なんとなくこっちだけど」と「理論的にはこっちかもな」でごちゃごちゃにしてくるのです。
これがおもしれーところよな!!
麻雀においての「なんとなく」と「理論」
麻雀打ってると放銃した後
「いやーこれ、当たる気がしたんだよな」
が大体人半荘に0.8回はあります。あれ、どうするべき?
麻雀の「なんとなく」は麻薬で違法です。
いやー、これ、当たる気がするんだよな、が成功すると
「俺、つえー!脳汁出る〜!」
ってなるよなー!あれ麻薬です。
使いすぎると自分の実力がぼやけて勉強する機会が減り、成長の妨げとなる麻薬です。つまり麻薬です。
でもそれが醍醐味だよね。わかるけどそれは違法です。やめとこ。
膨大な経験値や情報量からくる「なんとなく」
俺ら、なんだかんだ麻雀を沢山打ってきたし、カップ焼きそば食べてるわけでもなければ意識して得られる情報以外に無意識下で脳が得ている情報もたくさんあるんです。
だから「なんとなく」が生まれるのも自然なことではありそうですよね。
無意識に脳みそが情報を集めて警告してくれてる。それを「勘」と呼ぶのかもしれない…
しかしやはり強い人はその「勘」を「確信」まで持ってくのであって、選択に対して説明を求めれば必ずしてくれるはずです。
あと、失敗した時も確信を持って打っていれば無駄に落ち込むこともなくなるので
俺らみたいに失敗が失敗を呼んで次の局の第一打がミスってドラの字牌になるなんてことは、絶対にないのです!!くそ!!
つまり麻雀においては「理論」がマルで「なんとなく」はバツ!!!
(雑魚がなんかいってらあ、と思ってください。)
音楽においての「なんとなく」と「理論」
そう、そうきたら音楽は「なんとなく」がマルなんだろうなと勘のいいお前らなら思うとと思うのですが、まあそうなんです。
でも、先日タコ負けるまではそう思ってなかったのです。
気づいちゃいました。だからこの記事を書いてるんです。ここが今回の記事で言いたいことです。
「なんとなく」を信じるべき理由、「理論」がもたらす悪影響
麻雀においての「なんとなく」は麻薬で違法です。
ではなぜ音楽においての「なんとなく」は推奨するのでしょうか、それは麻薬をやっているミュージシャンがかっこいいからです。
はい、嘘とは言い切れませんが、嘘です。
僕がこの間気づいた麻薬を使うべき理由は
「なんとなく」を信じることで反対意見が気にならなくなり、絶対的な指標になるから
です。
つまり、「美味いもんは美味い」し「好きなもんは好き」的なマインド大事にしようぜってことです。
俺らがラーメン大好きでデジモン大好きなことに説明なんか要るか?いらないよな!ってことです。
強い意志は必要に決まってる!!
もちろん、麻雀においてもプロなら尚更強い意志を持つことが大事だとは思います。
しかし日頃から彼女の友人や、久しぶりに会った同級生からの冷ややかな目に対して
「いつか成功する」
を言い訳にしている俺らバンドマンは絶対に、絶対に強い意志を持って音楽をやるべきなのです。
だけどなんだ俺らは冒頭で言ったように「音楽好きじゃないかも」とかほざいている。
これは由々しき事態。
それにやっぱ若くて自信あるバンドカッケーじゃん!あれだよあれ!
失われていく「絶対」
俺らは麻雀をやることで、理論で考えて成功することを覚えてしまいました。
きっとお前らも思ったことでしょう
「膨大な選択肢があったり、正解が不明瞭で結果がすぐに出ないものだって、しっかり勉強すれば攻略できるはずだ(麻雀=音楽)」
と。
しかし、音楽における正解は麻雀における正解(勝率を上げる)と違ってさらに曖昧なもので、わざわざ自分で正解を見つけないとわからないほどです。
そして学べば学ぶほど、音楽に理由がつけばつくほど、賢い俺らは音の未熟な部分や間違ってる部分などがはっきり見えてきて「やりたい音楽」から「やるべき音楽」へ成り下がります。
音楽の熱が下がり、どんどん意志が失われていき
まさに中途半端な活動しかできない俺らが生まれましたとさ。どうします?
論理的に考えてやめる
そう、やめましょう。俺らは麻雀と距離を置きましょう。
感覚的になるために論理的に論理を捨てるのです。
無知の知みたいにいうとしたら、論理的論理の放棄。
もう俺らは、びっくりドンキーいってもコスパだけでディッシュを選ばない。
喰らいたいもんを喰らい、やりたい音楽を鳴らすのだ!
よーし、やめだやめだ〜〜〜〜〜
クソ哲完。
【おまけ】現代においての「なんとなく」と「理論」
実は現代社会を生きる上で「なんとなく」と「理論」のバランスを意識するのは大事な考え方なのかもねっておまけです。
よくいうじゃないっすか、麻雀って人生だよね、音楽って人生だよね、料理も人生かも。だから今回の件も通ずること、あるかも。
SNSの情報量半端ないうえに、力を持ったSNSの数も多くなってきて何を信じればいいかわからないかもしれないけど
だからこそ、どこから情報を得るのか何を信じるのか膨大な選択肢から自分で選ばなければいけない感強めなのが今世よ。
どんな人生が幸せかとか(俺らは音楽で売れることだよな?)そもそも幸せになりたいのかとか俺らって無宗教だから考えなきゃな、だし
嫌なことがあったらすぐに鬱になるし。人気出てきたらその分アンチが湧いてくるし。気圧はいつも頭を痛くする。
物事によるだろうけど、俺らは論理立てて考えてばかりで「なんとなく」をおざなりにして辛くなる時あるから、もっと感覚で選んでいっていいかもですね!
【あとがき】俺にとっての「なんとなく」と「理論」
ここまで読んでくれてる人なら多少聞いてくれるかもと思って後書き的なものを書きます。
元々超感覚派の超自信家バンドマンだったのですが、ある日がっつり鬱になり音楽やめてえ、生きてけねえやってなって始めたのが雀荘のバイトでした。雀荘行ったことないし、麻雀のルールも何一つ知らない状態でした。
多分頭の中がかなり麻雀に向いてなくて、死ぬほどミスを犯すし、なんとなくで切る牌を選んでしまい、教えてくれてる人に怒られたり(めちゃ優しかった)を乗り越えちょっと打てるようになってきた頃、気づいたらだいぶ鬱っぽい症状は軽くなってました。
軽くなった理由は多分、悩み事もぼんやりウワーッと悩むのではなくて自分がどこの部分で躓いていて、それに対しての解決法は何なのか冷静に考える力が自然と身についたからだと思います。おそらく麻雀というゲームの性質と、一緒に雀荘で働いている仲間やお客さんがそうさせてくれました。大恩人です。
そしてすごい武器を手に入れたと思った自分はそれを一度放り出した音楽にも使おうとしたのです。
結果、まだ成功はしてませんが練習することを覚えたし、他人の曲も聞けるようになったし、歌詞や曲も自分が鬱にならないようなものが書けるようになりました。
ただ、鋼の自信は失ってしまっていてパワー不足だなという感じがずっと続いています。
そして今回打開策としてこのクソ哲学を書き、多少自信を取り戻すヒントになればな、と思ってました。面白かったです。読んでいただきありがとうございました。
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