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子どもを見てやってね

あるセミナーに行ったときのこと。
その日はセミナーで自己分析をした。
その中で、隣の人と話をシェアすることになった。

隣の人はよく聞くと、シングルマザーで小3の男の子が不登校気味で市の教育支援センターに行っているということだった。そこには喜んでいっているので、安心している様子だった。

しかし、その人が困っているのは、お金のことだった。
教育支援センターに子どもを送迎している。帰りは午後3時に迎えに行かないといけないので、フルで仕事ができないと言っていた。また、お金さえあれば子どもに習い事をさせることができるのに、今はできなくて不憫だとも言っていた。だから、この起業塾に来たのだと言った。

私は、彼女が子どもが教育支援センターに行っているからといって、さほど心配していないことに疑問をもった。私は、不登校がだめだと言っているのではない。確かに、学校に行っていない子どもを認められず、学校に行かせようとする親よりはいい。だけど、「なぜ子どもが学校に行けないのか」を少しくらいは考えたのだろうか?隣に座っていて話している感じでは、「とりあえず教育支援センターに喜んで行っているからいい」と目の前の課題が解決したからいいと思っているように感じた。

教育支援センターに行っているにしても、なぜ学校に行けないのかの見立てを持って「だから、教育支援センターに行きましょう」になっているならいい。そして、その子の今後の見通しも立てていられればいい。それこそ、教育支援計画である。もし、今だけ良ければいいという段階であれば、何の解決にもなっておらず、起業してお金が今より得られるようになっても、問題は別の形となって現れるのだ。

私がそこに引っかかるのは「お金があれば習い事をさせてあげられるのに」といった彼女の言葉である。教育支援センターに行っている子に習い事? 何を何のために習わせるの? と思ったのである。確かに「この子は野球が得意なんです」「水泳が好きなんです」「学校には行かないけど、そこがこの子の居場所なんです」であればいい。でも、学校に行きにくい子はたいがい人間関係を結ぶことが苦手なのだ。習い事をやってみたとしても、そのコミュニティで上手くやっていけるのだろうかという疑問が湧いてくる。 私の経験では、最初は「学校には来ないけど○○は好きなので行っている」と言っていた子でも、そのうちに行かなくなっているケースが多い。だから、そんなに長続きはしないような気がするのだ。彼女は子どものことをちゃんと見ているのだろうか?と感じた。

もう少し、彼女と話してみたかったので「お話しを聞きますよ」と行ってみたけど、「ありがとうございます」で終わってしまった。これこそ、子育ての課題に気づいていないのだと感じた。

う~ん、隣に座ったのにもったいない(>_<)と思った。
だけど、むりやり引っ張って話を聞く訳にも行かず・・・。
この子は教育支援センターに元気で行けているのである。しかし、学校に行けていないのは、人間関係が上手く作れないだけではなく、学力が低い(知的に低い)可能性があるなと思いながら、彼女はどこまで考えているのか・・・と思ったのである。

余計なお世話かもしれないが(>_<)。


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