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文楽を観に行きました。

 今日は、人形浄瑠璃文楽を観に行きました。
 
 上演場所は、戸畑市民会館大ホール。博多駅から小倉駅まで新幹線で行き、小倉駅から戸畑駅まで普通電車で戻ります。昼の部、夜の部、両方観たので一日がかりでした。
 毎年三月に大阪に本拠を置く文楽協会が地方公演でこの会場に来るので、数年前から観ています。


人形浄瑠璃文楽
2024年3月地方公演
チラシ

 昼の演目は、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)、夜の演目は、桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)でした。
 文楽には、時代物と世話物がありますが、義経千本桜は時代物、桂川連理柵は世話物となります。時代物は、文楽ができた江戸時代から見て過去の物語、世話物は現代の物語です。

 自分の備忘録も兼ね、パンフレットの記載を参考にして、簡単にあらすじを書いておきます。

義経千本桜
 
平家を滅ぼしたのちに、兄源頼朝に追われる義経と、実は生きていた、平知盛、維盛、教経とを絡めた五段の時代物。今日観たのは、椎の木の段とすしやの段で、主な登場人物は平維盛です。
・椎の木の段
 (前段までのお話)維盛の妻若葉の内侍とその子六代君は、維盛が高野山で生存しているとの情報を得て、家臣の主馬子金吾武里とともに、高野山への旅を続けます。
 途中、吉野の下市村の茶店で休んでいたところ、旅姿の男にだまされ、20両を奪われます。この旅姿の男、の権太は、この村で釣瓶鮓屋を営む弥左衛門の息子ですが、素行が悪く家を追い出されます。実は、親切な茶店の女が権太の妻で、二人には幼い息子がいます。
(次段までのお話)小金吾は追ってに追われ絶命。そこを通りかかった弥左衛門は、一計を思いつき小金吾の首を切って持ち帰ります。
・すしやの段
 弥左衛門の娘お里は、父が連れ帰った男、弥助との祝言を控え喜んでいますが、実は弥助は維盛でした。弥左衛門は、以前平重盛に恩を受けていたため、偶然得た首を維盛の首として届け出、維盛を逃そうとしていました。
 そこに、若葉の内侍と六代君は、一夜の宿を求めて鮓屋を訪れ、維盛と再会します。維盛と妻子は再会を喜びますが、追手(梶原景時)が来てしまいます。
 権太が梶原景時の前に、維盛の首と妻子を差し出します。弥左衛門は、維盛を殺された怒りから、権太を刺します。
 しかし、実は、権太が差し出した首は小金吾の首で、維盛の妻子としていたのは、自分の妻子でした。権太はこれまでの非行を悔いて、親の恩を返そうとしていたのです。
 梶原は、もともと頼朝の命を受け、維盛は出家させて助けるつもりでした。権太の死後、維盛は、妻子に別れを告げ、出家します。

・桂川連理柵
 
初上演の数年前、実際にあった心中事件をもとにしています。
 六角堂の段、帯屋の段、道行き朧の桂川、とありますが、まとめて書きます。

 帯屋の長右衛門は、5歳のときに、信濃屋に拾われ、子のない隣家の繁斎の養子に迎えられ、貞淑なお絹を妻に迎え、家業を継いでいます。繁斎の後妻おとせは、その連れ子儀兵衛を跡継ぎにしたいと考え、長右衛門夫妻につらくあたっています。
 ある日、長右衛門はふとしたことから、信濃屋の娘お半と不義の関係を持ってしまいました。お半は、もともと長右衛門のことが好きだったのです。また、儀兵衛らの策略で店の金がなくなったり、蔵屋敷から預かった刀を紛失してしまいます。
 長右衛門が自害を覚悟したところに、お半が訪ねてきて、別れを告げます。お半が立ち去ったあとに、長右衛門は書置きがあるのに気づき読んでみると、お半は、長右衛門との縁を切るつもりはなく、桂川に身投げするとのこと。
 驚いた長右衛門は、大恩ある信濃屋に顔向けできないと考え、お半と一緒に入水することを決意します。思えば、15年前、長右衛門は芸者と心中しようとしながら、芸者だけを死なせた過去があります。長右衛門は、罪滅ぼしなのだろうかと考えながら、死んでいくのです。

 文楽は、古くからの芸能で、とても時間も手間もかかった作業から生まれてきています。題材も、人の心の機微を描いたものが多く、今でも一緒に笑ったり、泣いたりできています。

 昨年文楽研修所の入所希望者がゼロだったとニュースが流れました。伝統芸能が消えていかないよう願うばかりです。



戸畑駅から撮影

 会場の戸畑市民会館は駅からすぐの場所にあります。昼の部と夜の部との間に、若戸大橋の写真を撮りました。(カバー画像は、帰りがけにとった夜景です。)


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