ちょうちょとさかな2

#2 ちょうちょとさかな 【第2話 空中キャンプ】

 はい!まさかの1年以上の時を経て、公開日記は続きます。雰囲気が大事ということで日記のくせに初っ端から連載にして自ら出鼻を挫いてしまいましたが、今回は、その連載2回目です。とうことで、この連載について軽く触れると、この連載は、フィッシュマンズにまつわる店主(以下、"わたし"とする)の旅のはなしです。くどいようですが、レビューとかではなく日記なので、そこをよろしくお見知りおき下さい。1回目はコチラ☞#1 ちょうちょとさかな【第1話 大島】

 それでは、第2話をはじめたいと想います。第1話から時間は巡り、わたしが大学生からだいぶ大人になった時代、韓国はソウルでの出来事です。


ちょうちょとさかな 【第2話 空中キャンプ】

音楽:フィッシュマンズ / 旅: 韓国、ホンデ

 時は2000年代(…)、わたしは仕事の都合で韓国のソウルにおりました。特に希望してそこにいたというわけではなくもなく、なんとなくそうなっていた、というのが正しいところです。K-POPが好きなわけでも、韓国コスメが好きなわけでも、なんでもなかったわけです。いやー、困りました。ご飯食べるんでもハングル読めないし、韓国語できないし。お店に入ったら、おばちゃんに「ノー・イングリッシュ!!ソーリー」とか言われてお店追い出されてしまって疎外感を勝手に感じたり、生活も不便だし、友達もいないし(もともと友達多い方でもないんですけどね!)、もう踏んだり蹴ったりです!ということで必然的にひとりで暇をつぶす必要が出てきて、本をたくさん読みました。日本に帰ってきた時に文庫本を買い込んで持って帰って、仕事から帰ったらそれを読む日々。あとは顔パックとか入念にしたりとか、携帯ゲームもたくさんしました。髪の毛も念入りに手入れしてたのでツヤツヤでした。

 そんな2月のある日、一緒にソウルに駐在に来ていた先輩の知り合いがソウルに遊びに来ていて、それでその方と一緒にホンデの空中キャンプに行くのだけれど、キミ、行きたがってたよね?一緒に行かない?と誘ってくれたのです。(ちなみに、『空中キャンプ』はフィッシュマンズが1996年に発表した、彼らにとって5枚目のオリジナル・アルバムのタイトルでもあります。)

 空中キャンプはソウルはホンデの地下にある、フィッシュマンズを愛する人々がはじめた、2018年で18年目(!)となるコミニュティ(お酒を呑んでみんなで語れる場所)です。韓国に引っ越す前、私は前の赴任先のシンガポールから日本に一時帰国しており、毎年恒例のフジロックに遊びに行っていました。そこで、たまたま会ったS先生という知り合いの方から、空中キャンプのことを教えてもらい、空中キャンプのお友達も紹介してもらっていました。にもかかわらず、行ってなかったというね。なんなんですかね、私。 

 でもソウルに住み始めて半年以上が過ぎた寒い寒い2月、とうとうわたしに空中キャンプを訪れるチャンスがやってきたのです。

 いやー、いい夜でした。フィッシュマンズを聴きながら、フィッシュマンズの話をして…、何だこれ最高!って感じで、私はすっかり茹だってしまいました。「どの曲が好きですか?」と聴かれて、私は「土曜日の夜!」と答えて、"じゃあ聴こう"とかけてもらった。
    奇遇にもその日はたまたま、土曜日の夜でした。

   その夜のことが忘れられなくて、わたしは空中キャンプに通うようになりました。実のところ彼らからしたら、結構迷惑だったんじゃないかなとおもうんです。だって私と言えば、友達もいないし、韓国語もできないし、でもしつこくやってくる日本のひとなわけですから。でも空中キャンプのみんなは優しくしてくれて、だからわたしは、今も変わらず想うんです。
 心から、「ありがとう」って。

 そんなこんなでわたしがいかに空中キャンプがだいすきかはお伝えできたかとおもうのですが、それからほどない5月のある日、空中キャンプのメンバーが「今度キャンプで韓国のバンドのライブがあるから、よかったらキミもおいでよ。」と誘ってくれて、ふらりとそのライブに行ったのです。それこそが私と韓国はホンデのインディー音楽との出会いでした。最初に観たのは、SunstrokeプルネAsian Chair Shot。2015年5月16日のことでした。特にプルネにはその後とてもお世話になり、現在もとても大切な友人です。Sunstrokeはその後観ることはなかったけれど、10本の指に入るお気に入りのバンド。Asian Chair Shotは、シン・ジュンヒョンやドゥルグッグァなど、私に初めて大韓ロックのミュージシャンを教えてくれた人たちとなりました。

  そして、その初めて韓国のアーティストのライブを観た日、私は父親にもらった初心者用一眼レフに、何故かマイクロレンズ(マイクロレンズは被写体に数cmまで迫って撮影することができるレンズで、一般的に花とか虫とか撮る時に使われるレンズです。)を着けて持参し、彼らの写真を撮りました。虫を撮るときのレンズを使ってライブを撮影したんですから、意味が分かりません。でも、それがわたしの「フォトグラファー」への道の始まりでした。

 カメラにマイクロではないレンズをつけて(←重要です)ライブ会場に行ってミュージシャンの写真を撮れば、彼らにとって私は紛れもない「フォトグラファー」になれました。典型的な日本人である私はなんとも自信がなく、フォトグラファーを自称するまでに結局2年以上の歳月を要しましたが、当初から彼らは私を「フォトグラファー」と呼び、撮った写真を喜んで眺めてくれました。それに気をよくした私はカメラ片手にライブ会場をまわり、ホンデのミュージシャンたちの音楽を聴き、彼らの写真を撮り、どうしたら自分が撮りたい写真を撮れるようになるかを学び、そしてなにより、一緒にお酒を飲む仲間に入れてもらい、友達になりました。わたしはそこで生まれて初めて、「これはまさに青春というやつに違いない!」とひしひしと感じたのでした。

 ちなみにわたし(店主)の韓国インディーを起点とした自分語りは、ミュージシャンのNozomi NobodyのSam's UPのインタビュー企画で、前編と後編にわけて、とてもわかりやすくまとめて頂いているので、優しい方はご覧ください…↓

 ひきつづき余談ですが、私はその初めてのライブを観たあとにパワーがみなぎり過ぎてしまい、『韓国おんがくラヂオ』という、韓国の音楽を写真つきで紹介する謎のブログ(現在は閉鎖)を勢い余ってはじめたのですが、めんどくさくなって、すぐにやめてしまいました。(…。)
 でもそれくらい、すごく衝撃を受けたのです。

 そんなかじで(←軽いかんじでしめくくりにはいっていますね)、すべての始まりは空中キャンプでした。空中キャンプのみんなが優しくしてくれなければ、あのときライブに誘ってくれなければ、わたしは韓国の音楽とは出会わず、今のちょうちょレコードもなかったし、ミュージシャンの写真も撮っていなかったと想うのです。

 今もフィッシュマンズの『土曜日の夜』を聴くと想いだします。
 寒い寒い冬の夜、地下のあの重い扉を開けた日のことを。

 空中キャンプ、ありがとう。

 これからも、よろしく!

 

 ・・・。

 急に日記の枠を大幅にはみ出し、空中キャンプへのメッセージになってしまいましたが、でも、そんな感じです。
 そんなこんなで、物語は第3話に続きます。
 旅先は日本に戻り、千葉。音楽はやっぱりフィッシュマンズです!

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