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御朱印大好き人間、「神道政治連盟」の存在を知る。

「神道政治連盟」ってなんぞ、と思ったそこのあなたも。
「え、さんざん選択的夫婦別姓叫んどいて知らんかったん」と思ったそこのあなたも。

初見の方々のうち9割が、「政教分離どこ行った!?」と叫んでいると信じたい。私の第一印象はこれ。

↑の文言もうさん臭いし、

神道政治連盟(略称・神政連)は、世界に誇る日本の伝統や文化を後世に正しく伝えることを目的に、昭和四十四年に結成されました。

https://www.sinseiren.org/

ウェブサイトの文言の一発目もうさん臭い。要するにそういう考えの人たちの集まりである。
驚きあきれる人もいるだろうが、歴代の総理大臣もちらほら名を連ねている。お前ら八方美人か。

私が御朱印を好きになったきっかけは、京都での一人旅デビューである。
ストレングスファインダーのトップ5に「収集心」がある人間が飛びつかないわけがない。るるぶに書いてあった「御朱印はスタンプラリーではありません」の説明書きを頭に入れながらも、まだ見ぬ御朱印に思いをはせた。

東海道新幹線の京都駅に降り立ち、宿へのチェックインもそこそこに向かった金閣寺で、御朱印入りの御朱印帳をいただいた。

こちらの御朱印長は小さめなので、書置きの御朱印長ははみ出ることもある。

え、手書きなん!?

るるぶ買ったんなら見ておけよ、と思った方もいるかもしれないが、御朱印を初めて見た率直な感想だった。
小学生の頃に書道を習っていたこともあって、毛筆は身近な存在だった。が、「書道」は芸術の一つであり、「書家」と呼ばれる方々が大きな作品をつくり上げるイメージのが強かった。
でも、ふらっと立ち寄った神社やお寺にいる人が、こんな達筆で素敵な文字を残してくれるってすごくない!?もはや芸術なのではなかろうか。
その後も銀閣、清水寺、伏見稲荷大社などメジャーな神社仏閣をめぐり、御朱印をいただいた。書き置きも含め、それぞれに雰囲気の違う文字の作品を見返すのがとても楽しかった。

……とまあそんな感じで、国内旅行には御朱印帳を持ち歩き、「神社仏閣めぐり」を都内でやったりと、御朱印カルチャーを楽しんでいた。
そんなところにこの「神道政治連盟」である。

自分が好きだった「神社」に、そんな団体が絡んでいたなんて。
たとえるなら、DHCのコスメやサプリを愛用していた人が、あのニュースを見たときと似ていると思う。神様には裏切られていないのかもしれないが、少なくとも神社には裏切られたと言っていい気がする。

いやでも、DHCは競合他社いるからいいけど、神社よ……。
御朱印は好き。でも神社経由で神道政治連盟に課金したくない。どうするよ……。

ずっと悶々と考えてきたが、私なりに「じゃあどうするか」を考えてみた。

1. できるだけお寺をめぐる
2. お賽銭(ご縁)と御朱印のお納め以外に課金しない
3. できる限り神社本庁を離脱した神社に行く

不敬な表現がございましたらお申し付けください

本当にこれは現時点で出した「とりあえずの答え」なので、正解なのか自信はない。特に1つ目の「神社の代わりにお寺」なんて、それでいいのかすぎる。
神道そのものはウィキペディア先生に聞いて観たら結構複雑で頭痛くなってきたけど、とりあえず神様は我々を見守っていて、お賽銭の金額で待遇を変えるような存在じゃないと信じたい。(そんなことするならただの差別主義者になってまう)

しかし、純粋な気持ちで御朱印を楽しんだりと苦しいときの神頼みをしたりしたいなぁ……どうにかならんものか。

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この辺の記事参考にしました。



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