見出し画像

しんどすぎた美大時代(90年代タマグラ落ちこぼれ記)

タマグラに入った。(多摩美術大学/グラフィックデザイン科の当時の愛称)

美大生のイメージといえば、吉田秋生先生の「夢みる頃をすぎても」みたいな大人の世界を夢想していた。仲良くなった男女とアトリエなんか作ったり同棲したり、酒やタバコはあたりまえ、さりげなく男女の関係があったり、複雑な友人関係なんかもありつつ、やることはやっててもちろん絵の才能もある、みたいな。みたいなね?夢みるよね?(まぁ吉田先生は武蔵美なんだけども。)

だが実際自分がなってみると、目標を持って努力していた高校3年〜浪人時代のころのほうがはるかにおとなだった。希望の大学に入れたはいいけど、ほとんどラッキー合格だった私は1年の半ばにはすっかり落ちこぼれていた。最初の授業が人物デッサンで、まわりがみんな上手に見えて萎縮して描けなかった。色彩構成の授業はなんとかこなせたけど、自分が落ちこぼれてると思いこみすぎていてクラスメイトに話しかけることもできず、友人も2〜3人しかできなかった。代返もろくにできなくて出席日数もギリギリ。希望を持って頑張っていた受験生時代の輝きはもう自分にはなかった。成績ギリで入った進学校で底辺をうろついていた高校時代に逆戻りしてしまった。

思うように実技で成績を出せなかった自分は恋愛やアルバイトや漫画家ごっこ(編集の方の温情で何回か商業誌に載せてもらった程度)に逃避し、しょっちゅう大学をサボっていた。そもそも出席日数がギリギリだったところに、怪我で3ヶ月の入院をしてしまった。必須授業の単位を落としてしまった。2年次で留年。(お父さんごめんなさい)

必須の単位を取るためだけに2年をもう一度やることになり、数人の友人とも離れ孤独な3年になった。が、変化があった。選択科目とゼミの存在だ。絵やイラストを書くことに関しては才能がないことをここまでの授業で痛感していた自分は将来の希望職種をイラストレーター から「エディター」に移していたため、選択科目は「エディトリアル」を選択した。ゼミは「文学ゼミ」。高校時代から島田雅彦を愛読していた自分はまあまあ嫌なタイプの文学好きで、完結しない短編などをたくさん書いていたので、どうしても何かを完結させてみたくてこのゼミを選んだ。どちらの授業も教授が素晴らしく、面白かった。

なんとかこの二つでまともな成績をおさめたい。在学4年目にしてやっとエンジンがかかった。それからは(それからも最低限しか大学に居なかったけど)なんとかカリキュラムをこなし、単位ギリギリで卒業。最後にもらった成績表は見事にその2科目だけは好成績、あとはCかDばっかりであった。

それでもいい、なんとか卒業できたことで親への最低限の言い訳はできる。

4年の終わり、ろくに就職活動もしていなかったのに「日本人なら名前は聞いたことある」会社のハウスデザイナーに採用が決まった。就職課に報告に行くと「なぜあなたが?」みたいな顔をされた(笑)。事実、ほとんどコネだ。私は大学にいる時間は限りなく少なく、みんなのように大学生活を謳歌することはできなかったが、そのかわり外へ刺激を求めてフラフラしていた結果、その会社のある人と友人になり、誘っていただいたのである。昔から、年上の人と友達になるのが得意だった。

自分はタマグラを100%使いこなせなかったし、楽しめなかった。だが、「タマグラ卒」と「日本人なら名前は聞いたことある会社のハウスデザイナー」は水戸黄門の印籠のごとく、この後の人生でめっちゃ使えるアイテムになったのであった。

以下、おちこぼれ先輩からのアドバイス。

美大受験を考えてるみんな、入ったけどついていけなくて悩んでるみんな。
何はともあれ、入れたならば、卒業だけはしてください。辛くとも。
かならず人生のミカタになってくれます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?