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1時間の怪しいコーチング体験がわたしの人生をガラリと変えた話


「コーチング?なにそれ、まじで怪しいんだけど。大丈夫?」


紛れもない、一年前のわたしの発言である。


あれから一年が経ち、どういうわけかわたしは今その「怪しい」コーチングを提供する側になっていた。それだけではなく、さらにはその「怪しい」コーチングを、日本、中国、そして世界に広めようとしていた。


ただ間違いなく、これらのことはすべて一年前のあの「怪しい」衝撃体験から始まっていた。



今からちょうど一年前、2020年の夏。


三重の伊勢神宮の麓にあるITスタートアップに、一年半移住し働いていたわたしは、かねて結婚予定であった彼女のいる東京に戻り、リモートで仕事をすることになった。


東京は、伊勢に比べると格段に自然が少なかったが、
必要な物があれば徒歩圏内で何でも揃う都会の方が私は好きだった。


東京に戻って数週間、ある悩みが膨れ上がっていた。


会社、そろそろやめようかな。


これだ!と思って飛び込んだ会社だった。
でも今はいろんな理由からやめたいと思っていた。

・なんのためにこの仕事をやっているんだっけ。
・自分である必要ってあるんだっけ。
・自分のキャリアは本当にこれでいいのだろうか。
・そろそろ自分でなにか始めたほうがいいのではないだろうか。
・今会社をやめるのは、自分にとっても会社にとっても一番ベストなタイミングなのは間違いない。
・今踏み出さないと、もう一生踏み出せられないかもしれない。
・仮に会社やめたとして、何をすれば。。。

これらは当時のわたしのリアルな心の声である。


でも1人で考えこんでいても、答えは全くでなかった。
むしろ詰まる一方だった。
漠然とした不安と葛藤に、わたしは長い間苛まれていた。




そこからさらに少し時が経ったある日こと。元同僚である親しい友人が声をかけてくれた。


「今コーチングというのをやってて、受けてみてくれない?」


え?コーチング?聞いたことないんだけど、、、うわー、なんか怪しい!
直感的にそうわたしは感じた。

「もちろんよ!いつやるよ!」

仲良しの頼みだから、本心とは裏腹に即答した。
仲良くない人だったら間違いなく受けてなかった。

「いつでもいいよ!」

「じゃ土日の朝!」


そんな風にわたしたちはコーチングの日程調整をした。

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(即答しちゃっているけど、当の本人は全然何をやるかわかっていない。。)





7/12日曜日、いよいよ運命の日がやってきた。


「やっぱ全然コーチング知らないからさ、ちょっと怪しいんだけど。本当に大丈夫?壺とか出てこない?買わないよ?」

セッション当日、まだやっぱどこかで知らないことに対してビビっている自分がいた。今思えば随分失礼なこと言っていた、申し訳ない。。。


「大丈夫だよ、出てこないよw」


友人は笑って対応してくれた。正直まだ不安であったが、でもまあやってみるしかないという気持ちになった。


そんなやりとりをしたあと、わたしたちはようやく本題に入っていた。


事前に話したいこと考えてきてと言われてたので、仕事関連の話を持っていった。ただそれは仕事のやめたいという話ではなく、業務改善に関する話だった。


なぜ一番悩んでいる会社をやめる話にしなかったかというと、人に話すほど自分でまとまっていなかったし、友達にもなんとなく悩んでいると知ってほしくなかった、というのがそのときの正直な気持ちだった。


簡単にコーチングの説明を受けた後に、セッションはあっさり始まった。


Zoomの画面共有で、Miroを使ったセッションだった。


当時のわたしには知る由もなかったが、あとから聞くとコバカナさんの影響を受けたらしかった。


怪しいと思っていたコーチングは、蓋を開けてみたら驚くほどシンプルなものだった。


コーチのテンポ感のある質問に答えていく。ただそれだけだった。

すると、今自分が業務で感じているの課題点がMiroにどんどん描かれていき、可視化されていった。さらに、それに対する理想や改善点、期限も、どんどん決まっていき、付け足されていく。時々気持ちを聞かれながら、話はぐんぐん進んだ。


時間はあっという間に過ぎて行った。

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(2021/07/21の夜にあれから一年経ったことに気づきいた私は、友人にメッセージを入れた。)



「これで一時間、今回はこんな感じかな」

「うん、そうだね。めちゃ出たね。」

わたしたちは、一時間かけてMiroに出来上がった巨大かつ精密な図を眺めていた。


「今回やると決めたことを、期限までにやってくる感じでお願いします」


わたしはすぐに返事しなかった。というよりできなかった。


なにかが違う。激しく違う。
もう堪えられないなにかの言葉が、気持ちが湧き上がってくる。


沈黙が続いた。


「全然やりたくないな…(小声」


心の声が漏れ出していた。


「え?」


「んーー」
言葉に出すのが怖かった。
もうこれを言ってしまったら、あとには引けないと思った。
それでも言いたかった。

「んー、めちゃ申し訳ないんだけどさ、この一時間の内容を完全にぶち壊すことを言っていい?」


「え?wうん、いいよ。」

「全然業務改善したくないし、もう今すぐ会社やめたい!!」
もう言葉になんの迷いがなかった。完全に吹っ切れていた。


「おーーーーー!やめるの?」


「うん、おれ会社やめるわ。」

この時、わたしははっきりと自分の抑えられていた気持ちに気づくことができた。そして、この上なく気持ちがスッキリした。


言葉にしたこの瞬間、全てが決まった。



そうと決まればあと早いもので、

今の自分の持ち金でどれぐらい持つのか。

会社辞めればなにをするのか。

親と彼女をどう説得するのか。

この3つを考えるだけだった。


お金。計算してみたところ多分一年持つ。

こればかりは、新卒のときから貯金をしろと言ってくれた親に感謝。


会社をやめてなにをするか。

決まっていない。でも金は持つからやめてから考えよう。

なんならそのまま日本一周してもいい。

やりたいことが見つかるまで動けないのは、もう耐えられない。


彼女 (今の妻) も僕の気持ちに理解があり、前からわかっていたので、

話は早かった。むしろ、やめるの遅くない?と言われるぐらいだった。

さすがっす。


問題は親だ。どんなリアクションをされるのか、はっきりと想像がつく。

「なんでやめるのよ!!!このコロナの時期に会社をやめるバカがいるか!

どうやって生きていくんだよ!雇ってくれる会社なんかないぞ!!」

とまあ、おおよそこんなところだろう。

絶対理解されずに反対される。

今までのすべてのキャリアにも賛同してもらえなかったこともあり、

もう言う気も失せていた。やめてから話そう、そう決めた。


気持ちと状況の整理がついたところで、翌週明けに社長に声をかけた。

「すみません、社長ちょっとお話があります。」


「僕、会社やめます。」


(完)



あとがき


社長も薄々感づいていたのだろう、あっさりと退職が認められたあと、

一つだけずつと心に引っかかっていたものがあった。

それはコーチングだった。

ただ人に話を聞いてもらうことで、本音を引き出してもらい、

そして実際に行動して会社をやめたこの事実。

やってもらったことは凄くシンプルだったが、

僕の人生へのインパクトは絶大だった。


コーチングってなんだろう。

コーチを職業にしている人たちってどんな人なんだろう。

どんな思いでこの仕事をしているんだろう。


マス向けに、お客様の顔の見えない仕事ではなく、一人の人生に寄り添っていける、大きなインパクトを与えることができることの手触り感。

直感が教えてくれた。

これをやれと。

その一週間で、人づてで複数のコーチに直接お話を聞き。

最終的にZaPASSに入門した。

そして、今に至る。



2021/08/16月、僕は人生で初めて会社を設立した。

株式会社COLORFUL U だ。

これはコーチングをベースにした会社である。


まさか一年前に踏み出した一歩が、ここに繋がると思ってもみなかった。

でもここまで来た以上、コーチングを通して実現したい世界を

とことん追求してやるつもりでいる。

今後どうなるかは正直わからないが、

とにかくがむしゃらに、たまに休憩しつつ、走っていこうと思う。

みなさん応援のほどよろしくお願い致します!!


それでは、また!

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