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自分の煩わしい部分

私には褒めのニュアンスでも、言われるのが苦手な言葉がある
大きく2つに分けるなら特別扱いと変人扱いだ

特に理由のない漠然とした「貴方みたいになりたくて」
何となく「関われる人と思ってなかった」
エピソードのない「こんなに自由人な奴他に知らない」
とどめに「唯一無二で変わってて面白い」
例えばこれら

このようなことを、冗談や軽口で言われる時は特に何も思わない
おふざけ半分で自分もそういったことを人に言うことはある
問題は改まって伝えられたり、頻繁に告げられる時だ

こういった褒め言葉は、何となく自分に向けられている実感がわかない
私がどうというよりか、相手自身がこちらをそういう風に扱いたいのだろうと感じてしまい、嬉しさよりもやもやが勝ってしまう

自身がキャラクター化されている雰囲気を勝手に察知してしまう質なのだ
まあ、察知しているのか私の根性がひん曲がっているのかは定かではないが

なら素直に喜ぶ方がずっと可愛げがあるな、と少し落ち込む

また、聞いていて恥ずかしいのも苦手意識の原因の1つだ
私は特に優れた側面があるわけでもなければ、突飛な性格でもない
1番にもあまり興味はない
私はそんな私で十分可愛いのだ

この指標を複数人の場に持ち込まれた時
「言うほど優れてるか(変わってるか)?」
なんて思われてる可能性を考えるだけで、たまったもんではない
こちらはもしもの不安でいっぱいの欠落人間なのだ
頼むから許して壇上から降ろして欲しい

もういっそストレートに「常識がないよね!」と言って貰えると笑えるし気が楽だ

とにかく、自分の人生を品定めされるキッカケになりそうな褒め言葉は得意でないのだ

逆に、今までで1番嬉しかった褒め言葉は『全部丁度良い』だ

何気なく言われたので、言った本人はきっともう忘れているだろう
けれどこれはとても嬉しかった

全部丁度良いって本当に良い
これまで好きに生きようと努めて過ごしてきたつもりなので、それを見て『丁度良い』と表現してくれるのならばきっと感性も近い

何より、自分軸の人生に小さい花束や飴を渡されたような気分になる
とても楽になれる魔法の言葉だ

私は私にとって凄く丁度良い

嬉しかった言葉について思いを馳せることで、前半の事柄を思い返したことで生まれた霧はすっかり晴れた
思い出し喜びのパワーに助けられている

前述の通り、私は優劣基準の品評会を開かれるのがあまり得意ではない
複数で居る時は尚更
それに誰かにとって丁度良くなくとも、自分を変えることは恐らくこれからも無い

ただ「他人から見ても丁度良く見える時がある」ということだけは、たまに思い出そう
いつ思い返してもしみじみ嬉しくなれるだろう

そしてもっと良いバランスの人間になるべく、手始めにもっと素直な心を育てよう
ちょっとずつね


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