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巫病とされるものについて

 シャーマンなどの道に進まざるを得ない性質の持ち主には、巫病とされる症例の発症がともなう場合もあるとされています(必ずしもともなうとは限らない)。ただしその症例内容は現代においては精神疾患との区分が大変に難しく、判定にはしかるべき医療機関での検査や審神者などによる検証を要します。 

 もちろん、判定までには年単位での時間をも要します。

 不可視のものがみえている、きこえている、認識できている。そういう人が医療機関による処方を服用した後に症例がなくなった、という事例は少なくありません。また、検査の結果心身的な障りが発見されたという事例も珍しくないです。もちろん、処方を服用しても症例は無くなっていない、とする事例も少なくないです。であるならば霊的ななにがしかによる可能性もあわせて考えはするでしょうが、先述しましたようにそれが果たして霊的ななにがしかによるものであるのか、あるいはそうであったとしても関わる霊的なものが何であるのか、その判定までには年単位の時間をかけていく必要があります。
 また、精神的な面に関しての診療を受けている間は霊的な事柄には極力触れないようにする。これも基本です

 当方では常日頃から散々繰り返していますが、「霊能的なセンスがある」といったものは単純に「センスの所有者の心身バランスがいちじるしく欠いている」「センスの所有者の霊的防御がカスレベルで話にならん」という状態であるに他なりません。ゆえに本来ならセンスがある人こそが修業をするべきなんです。
 逆説的に考えるならば「俗にゼロ感とされる人は霊的防御がガッチリ完成している」といったものとなります。でも一般的には「霊能的なセンスがある人」イコール「選ばれし特別なヴェルタースオリジナル」みたいな認識のほうが強いですよね。これは大変な誤解でしかないんです。

 また、繰り返しになりますが、界隈の中には精神系の治療などを並行しつつの霊能活動をしているといった方もいらっしゃいますが、これは言うまでもなく歓迎されるものではありません。まずは自身の心身壮健を大前提とした上で、改めての霊的な存在との接触をはかるということが基本となります。
 これはなぜかとすると、オカルトやスピリチュアル、ことさらに霊的な云々が絡むものは自身や他者の内面の最奥にすら作用するものであるためでもあります。自身の心身壮健が保たれていないのに他者の内面の最奥に触れていくといったことは、その他者の心身をも崩してしまうことにも繋がりかねないのです。
 よって、オカルトやスピリチュアル、ことさら霊的ななにがしかに関わろうとするならば、知識の取り入れや学習、あるいは霊的な世界との接触や宇宙の真理()などの前に、まずは自身の状態を保つことが要されます。
 
 向精神薬の断薬などがシャーマン的な巫病などにイコールするわけもありません
 
 まして、少なくとも日本においては薬物的なものの接種による神秘体験などがシャーマン的な云々に繋がる可能性はほぼ無いとしても過言ではありません。それは単にトんでいるだけに過ぎないです。界隈には薬物を推奨する人も少なくないですが、そういう人らからは総じて距離を置いてもよいです。

 

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