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山河令を巡る騒動と救い難い中国のネットナショナリズム

今年上半期、中国で最もヒットしたドラマは何かと聞かれれば、10人が10人迷わず武侠ドラマの「山河令」と答えるだろう。私は見ていないが、つい先日日本でも放送が開始したこのドラマはいわゆる「ブロマンス」モノで(注1)、男性同士のアツい関係を取り上げている。主役を演じた龔俊と張哲瀚は、いずれもこのドラマに出演するまでは大人気に程遠い俳優だったが、今やイベントに呼べば警察が出動する騒ぎ、CMに起用すればどんなに高額な商品でも10分以内に完売するほど、情熱さと購買力を兼ね備えたファン層を持つ。

大成功を収めたドラマだが、成功すれば妬まれるのが世の常だ。特に、同じくブロマンスドラマの配信を予定しているライバルが面白いと思うはずがない。通常このような一気に燃え上がった人気は長続きしないものだから、配信時期を少しずらして相手の人気が下火になったタイミングで自分の宣伝をすればいいのだが、スピード勝負の中国ビジネスではそんな悠長なことを言ってられない。かといって今配信しても勝算はない。仕方ない、ここは相手の人気を落としてしまおうーー

こうして、ネット上に二人をバッシングする記事や書き込みが続々と出現し始めた。二人がこれまで応じたインタビューからの言葉狩り、SNSに上げた写真からのアラ捜し、ひどいものになると写真を捏造することも行われた。幸いというべきか、龔俊のほうはこのドラマ前まで無名だったためインタビューがほとんど残っておらず、また彼自身ネットに写真を上げない性格ということもあり、バッシングの材料はすぐに底をついた。しかし張哲瀚には中堅クラスの知名度があり、さらに日常生活の様子をよく上げていたため、バッシングは主に彼をターゲットに行われた。

それでも、今年3月から始まったバッシングに対し、張哲瀚の方も半年近く無傷でいられた。バッシングを画策した側の手口があまりにも見え透いており、日々中国の芸能界を見ているコアなファンならひと目でどこかのライバルが裏で動いているとわかり、誰もバッシングを本気にしなかったからである。しかし、そんな彼も、この数日に新たに注目され始めたバッシングからは、甚大なダメージを受けたのだ。

バッシングの内容はこうだ。張哲瀚は以前友人の結婚式に出席するために来日したことがあった。結婚式は乃木神社で執り行われたため、張哲瀚も当然そこにいた。彼のアラ捜しに終始していた人たちはこのことに飛びついた。乃木神社に祀られているのは乃木希典であり、この人物をどのように評価するかはここではさておくが、大事なのは、日清戦争時の旅順攻略戦に少将として参陣した彼は、中国では一般的に「旅順虐殺」を指示または賛同した人物としてみなされていることだ。こうして、張哲瀚は中国の仇敵が祀られた神社に嬉々として赴き、民族感情を全く気にかけなかった非愛国者とレッテルを貼られることとなった。

しかし、これだけではまだ弱い。張哲瀚は友人の結婚式に招かれたのであって、友人がどこで結婚式をあげようと友人の勝手であり、そこに行っただけの彼の道義的責任を追及するのはさすがに無理がある。ここで、写真を好んでネットに上げる張哲瀚の性格が災いした。来日時に彼が撮った写真のなかに、靖国神社内で撮影されたものがあったのである。靖国神社の評価も、ここでは問題にしない。大事なのはやはり、この場所が中韓で最大限に忌み嫌われ、どのような言葉でもその嫌悪の程度を説明できないということだ。そんな場所に行ったのだから、彼はたちまち国賊と罵られるようになった。

実は、このバッシングも3月からすでに登場していた。しかし、張哲瀚が靖国神社に行ったことを示すのは一枚の写真だけである。しかも「靖国」の文字はどこにもなく、ネット上の特定班が背景に写っている建物から特定しただけだ。彼が参拝したかどうかは誰にもわからず、当然靖国に関する主張を彼は一切していない。そのため当時はさほど注目されず、目まぐるしく変わるネット社会でたちまち過去の遺物になったはずだった。

だが、時は8月半ばになった。8月15日は目前にせまり、9月2日の日本の降伏もまもなくである。ナショナリズムを扇動するのならここしかないと思ったのか、張哲瀚を追い落とそうとする勢力は半年前の話題を再度蒸し返し、いくら使ったのか知らないが、それを微博のトレンドランキングに押し上げることに成功した(注2)。そして今回は、見事にハマった。

五輪が終了したばかりで、燃え上がった民族感情がまだ冷めやらぬ中国国民は、張哲瀚にこれでもかと罵詈雑言を浴びせた。民族感情の誘導と利用をこの上なく得意とする中国政府はこの好機を見逃さず、さらにこのタイミングで日本の政治家が靖国参拝したため、人民日報は張哲瀚を批判する論評を発表した。こうしたほうが世間の耳目をより集められるからである。人民日報のお出ましとなれば張哲瀚に勝ち目はない。彼は謝罪し、この負け戦のダメージをいかに減らすか、危機管理チームとともに頭を悩ますことになるだろう。

熱烈なファンは彼を見放してはいない。しかし、そんなファンでさえも、擁護するときは「張哲瀚は昔過ちを犯したけど、本当はいい人だから」と謎の理論をかざす。はて、彼はどんな過ちを犯したというのだろう。乃木神社や靖国神社に行っただけで過ちになるとでも言うのだろうか。私に言わせれば、張哲瀚になにか過ちがあったのだとすれば、まず挙げられるのが、写真をあまりにも頻繁にネットに上げたことである。以前にもバッシングされたことのある彼は、その後微博に上げた写真の閲覧期限を半年に設定したが、昔の写真はすべて保存されていると考えて良い。なぜなら、中国のビジネス環境は文字通り生きるか死ぬかの競争であり、しかも大きな企業であればであるほど、自分の商品やサービスをよくすることよりも、ライバルを追い落とすことしか考えていない。そのような環境では、批判材料になる可能性のあるものは何でもコピーをとっておくのが鉄則である。

次に指摘できる過ちは、ナショナリズムとポピュリズムが融合した威力を彼は全く考慮できていなかったことである。世界のどの国でも大衆は扇動されやすく、ネット上で過激な言論をためらいもなく相手にぶつけるものだが、例えば日本ならば必ず意見の対立する両派があり、互いに論争することになる。しかし中国では、ナショナリズムに関わることなら、間違いなく片方の意見しか出てこない。なぜなら、国家がこの民族感情が利用することは火を見るより明らかだからだ。そのような民族感情をバカバカしく思う人間がいたとしても、国家が登場してしまっては、沈黙を貫き通すしかない。さもなければ、次に批判され、吊し上げにされるのは自分になってしまう。上に上げたファンの謎擁護も、こうした言論環境を懸念し、そのように発言するしかできないと読むことができる。いずれにしても、民族感情に関して言えば、中国のネットは完全に文化大革命と同じ空気に覆われてしまっていると言える。

私は張哲瀚を好きでも嫌いでもないが、同情はする。彼に伝えることがあるとすれば、「自分の潔白を証明するために戦うなどという思いを抱くな」ということである。相手は始めからルールを無視している以上、こちらがいくら戦っても満身創痍になるのは目に見えている。戦わずして逃げればいい、逃げることは、負けを認めることにもならない。理不尽な世界を変えるだけの力がなければ、とりあえず逃げきり、新しい場所で生き続ければいい。

注1:「ブロマンス」の定義はこちらhttps://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2020/021507.html ドラマの紹介はこちらhttps://www.cinematoday.jp/page/A0007930

注2:微博のトレンドランキングにはユーザーによる自発的なものも含まれるが、同時に運営会社がランキングの掲載権を販売していることは周知の事実である。また運営会社はこのことを特に隠そうとしておらず、企業向けの宣伝イベントでは料金体系も含めて紹介されることがよくある。

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