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百済観音

その像を前にしたとき、ぼくは久しぶりに目を見張り、瞬きせずにいつまでも眺め、隅々まで脳裏に焼き付けたいと思った。

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像はおよそぼくがイメージする仏像らしくない曲線を描いていた。光背からつま先まで幾度もうねりながら、背筋を真っすぐ伸ばした姿よりも遥かに安定感に富んでいた。水瓶を下げた左手にも全く力を込めておらず、水瓶を持っているというより、瓶の口の反りが指と指の間にひっかかり、摩擦力でかろうじてつなぎとめているだけだった。そして右手は、試しに像と同じポーズで立ち、肘を同様に90度に曲げるとわかるが、手のひらを上に向けると、手の重みで自然とあの形に広がってしまうのだ。

これは海だ、とぼくは思った。こんな痩身長躯な人間はいるはずがない。あの曲線は人体ではなく、凪で穏やかに波打つ海そのものだ。水瓶はきっと世界中の海を吸い込んで余りある奥深さを備え、手のひらは海を漂いながら、悠々自適に陽の光を浴し、或いは天におわします御仏に向けられているのかもしれない。そんな菩薩が無窮なる自然と同化した瞬間を、飛鳥時代の名もなき仏師は敬虔なる信心と恐るベき慧眼で、一本のクスノキから見出したのだ。

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仏教美術史からいえば、痩身の造形やジェットコースターのような撫肩は、中国の北朝時代の影響を受けているのだろう。だが、そのような考古学的調査よりも、今ぼくの目を惹いてやまないのは、目の前にある像の純粋な美しさである。それは考古学のように、像を一個の物体として扱う態度を喚起するものではなく、圧倒的な美で見る者を心を捉え、菩薩との対話へと導く極楽浄土からの便りである。だから、菩薩は実在しないと確信しているのに、目の前の百済観音の造形は人間離れしているのに、ぼくはその限りない自然さに説得され、波打つ曲線がまるで呼吸するかのように起伏する錯覚に襲われるほどだ。

ふと、エジプトのファラオであるアメンホテプ4世の像を思い出した。あれも人間離れした造形と曲線を描いていた。尖った顎、細すぎる上半身と腕、そしてひょうたんのように膨らんだ下腹部。あまりの不自然さ故に、ファラオは先天的奇形ではないかと主張する研究者もいるほどだが、その像は妻のネフェルティティの有名な胸像に負けないほどに美しかった。あれが奇想天外な天才が不自然の極致によって実現した美だとすれば、今ぼくの目の前に屹立し、無装飾な法隆寺の大宝蔵院の空間を味わい豊かにした百済観音は、自然の極致の美である。エジプトでアメンホテプ4世の像を見たとき、ぼくは人間を超越した神のような存在と目されたファラオの姿を描写するのなら、むしろこのような手法こそが有効だと思い、像の作者の叡智に再三感嘆した。しかし今、百済観音は別の手本を示してくれた。極致に至ったときの自然さは、不自然さと同様に人間を超越するのである。

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不思議なことに、自然さによる超越は、人を圧倒するものではなかった。数年前、同じ奈良のどこかの寺院の宝物館に入った瞬間、ぼくは入り口に立つ入場者を見下ろす明王像と目が合ってしまい、そのまま目が離せなくなり、手足を動かすこともままならず、ただ動悸が激しくなるのに身を任せるしかなかった。そのうち心臓が口から飛び出しそうになり、このままでは命に危険が及ぶと感じ、歯を食いしばってやっとの思いで目を閉じ、なんとかその場から離れることができた。しかし、百済観音からはそのような激しい圧は微塵も感じられず、像の周りを漂うのは、像に沿ってゆっくりと湾曲する柔らかな空気だけである。ぼくが望みさえすれば、いつまでもその場に残り続け、心地よさの中に安住することができるのだ。

いつだったか、知り合いに「宗教で超常体験をしたことある?」と訊かれたとき、ぼくは明王の一件を思い出し、話そうとしてやはりやめたことがあった。今思えば、あれは正しい判断だった。怖くなって逃げ出してしまったぼくの心に残ったのはショックだけであり、百済観音のようないつまでもとどまっていたくなる安らぎではなかった。ショックを残すだけでは宗教として失格である。やはり安らぎ、それも美のやすらぎこそが、人をひきつけてやまないものである。すっかり世俗化された社会に暮らす不信心者のぼくが、古人と同様に仏像を眺め、御仏に精神のすべてを寄託することは到底不可能だが、それでも時空を超越する美を享受することはできる。ならば、それで十分ではないか。信心を精一杯込めた結果、1000年以上前の仏師は仏像を木から浮かび上がらせ、信心を至上な美に変形させた。その美を受け取ることができれば、この上ない宗教的体験だと言えるだろう。

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