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「毒消し売り」の旅 (秘められた旅路より①)

今回のこの旅は旅と言っても、本を辿っての旅となります。しかし、実際に調べに行くやもしれませぬ。
どこまで行けるかも分からないですが、始めてみます。

岡田喜秋 新編「秘められた旅路」

日本の紀行文の歴史は古く、紀貫之の「土佐日記」、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の「更級日記」は、平安時代のもの。今から千年前に女性が書いた紀行文など、世界にどのくらいあるのかと言われたらほとんどないのではないかと思います。
岡田喜秋氏は、「旅」の編集者を務め、「日本の秘境」「山村を歩く」などかつての秘境ブームをけん引し、多くの紀行文を書かれています。この本の冒頭で、

私は文学の世界のなかで、「紀行文」というものが正式な座を占めるべきであることを以前から主張してきたが、紀行文が文学の領域のなかで、永いあいだ不遇で、正統に評価されなかった理由を、書く側の心がまえの問題にあると考えている。紀行文における基礎的な方法論についても、まだ真剣に考えている人が少ないのである。
ひとつの旅を文章化するためには、そこに作者の持つ独自な眼が必要である。

秘められた旅路 まえがきより

ということで「旅」の元編集長らしく、旅を綴る文章への想いが込められているのを感じます。
地理学的・民俗学的な考察も多くありますが、旅の中で出会う人達との対話も多く、硬軟交えた独特な文章が魅力的でもあります。

旅から生まれる対話の数々

「秘められた旅路」は岡田喜秋が1960年以前に乗ったローカル線の旅で、著者が30歳の頃に書き下ろされたもの。
「知られざる傑作〜山陰線」には下記のようなエピソードが綴られています。タイトル自体は山陰線は本線とはいえ、これは偉大なる知られざるローカル線ということで、乗り鉄としては、いつの日か、京都から下関の方まで鈍行で旅をしてみたいもの。それはともかく、萩の街での引用。

そんな印象的な白壁の旧家の前で、カトリック尼僧の配された風景を私のカメラに記録しようと、身構えていると、ひとりの少女がやってきて、私に記念写真をせがんだ。この町の少女にはカメラが珍しいのであろうか。私は素直にこの少女の要求を承諾した。
「おじさんはどこから来たの?」
「東京だよ」
「東京?いいなあ。あたしも一度東京へ行ってみたい」
少女は私ののぞくファインダーの中で、大人びたポーズをつくりながら、さかんに東京を羨んだ。カメラに収まるよりも、私と一緒に東京に行きたそうな表情で、少女はシャッターと同時ににっこりと笑った。
私は少女の住所と名前を聞き、後日、萩の町はとても良かった、あんないいところはない、と一通の手紙を添えて写真を送ってやった。折り返し、手紙の返事が来た。しかし、それには、自分は書けないから、お姉さんが代筆すると、但し書きがしてあって、筆蹟は少女の姉のものだった。そして、私は、そのレターペーパーが、雑誌「平凡」の附録のものだったのをみて、思わず微笑んだ。
そこには、東京へのあこがれが率直にのべてあった。お写真をどうもありがとう。私はこの子の姉ですが、東京の方と聞いて、本当にうらやましい。私も一生に一度は東京へ行きたい、と思っているのですが、女はなかなかゆけそうもありません。しかし、いつか行く時は、どうか東京の町をあんないして下さいね。ー拙い文字ではあったが、文面には写真のお礼よりも、つつみきれぬ東京への憧れがあふれていることに、私は萩の生活感覚をよみとった。

新編 秘められた旅路 岡田喜秋

このあとは、萩の町についての所感が述べられているが、この文章は1954年のもの。60年近くも前の萩の情景を感じさせてくれる一部分で、今の萩はどうなのだろうと、つい思いを馳せてしまいます。

越後女の哀歓

さて、「毒消売り」について。この存在を知ったのは、私はこの本からでした。
岡田喜秋が上越線で行商の女の方に声をかけるところから始まります。

行商の女は、荷を背負い、石鹸やタオルを売り歩いていたが、聞けば、越後から出稼ぎに来ている「毒消し売り」のひとりだった。〜略〜 もう何日も、売り歩いている風で、私はふと、「おばさん、どこから来ている?」と聞いたのを忘れていない。越後は海辺の方で、角田と言った。「弥彦山のそばだね」と私は言ったと思う。盆になったら帰る、と言っていた。毒消売りだと思ったのは私の方で、彼女は、移動百貨店ですよ、と言って笑った。毒消しといえば、薬は富山の万金丹というから、越中だとばかり思っていた私の認識が改まったのも、あのときだ。初夏の山と毒消売りの記憶が重なる。

秘められた旅路 越後女の哀歓

ということで、当時の岡田喜秋でも、「毒消売り」と「富山の薬売り」は違う存在ということを知るようになったので、今現在、「毒消売り」のことは越後を含む、北関東地方の年配の方の方がご存じか、新潟の人たちが郷土の歴史の中で学ぶくらいなのだろうか…。
岡田喜秋も興味を抱き、調べはじめます。

毒消し売りの旅へ

調べてみると、毒消し売りの歴史は、慶長時代(江戸幕府開幕前後)にさかのぼるようですが、(起源が不明確)遅くとも江戸の後期には関東平野一円の農村や町を歩いて売っているようです。この時代に関東平野に足を運ぶには、三国峠を越えていかねばならない。この峠は、「吹雪で難渋するどころか、しばし生命を奪われた。私は二、三度、三国峠へのみちを歩いた折の記憶に、路傍の無縁仏をやきつけている。そうした『名無し墓』は、たいてい、かつての冬の三国峠を越えて、越後へ帰ろうとした人々の犠牲のあとである」と。
一昔前は、上越線の清水トンネルが出来て、これが「雪国」の国境の長いトンネルになり、新潟の人たちにとっては大きな交通革命でした。今や上越新幹線なら、大清水トンネルがあるので、数分で通過してしまいます。

国境の長いトンネル 「清水トンネル」

彼女らは盆の季節にしか故郷に帰らず、ほぼ1年中、売りに歩いている。荷を背負った旅人たち。お盆の季節であれば、年に一度故郷の村に帰っているに違いないと、暑い夏の日に巻駅、越前浜のあたりを岡田季秋は歩き始めます。

「山が高くて越後は見えぬ、越後恋しや、山憎い、という言葉があるんですよ」
そんなことを告白したときの中年の毒消し売りの女の顔は、陽焦げしていながら、うつろな笑い声をたて、なにか人生の疲れが見えた。

秘められた旅路
毒消し売りの袋レプリカ(豆本より)

薬局「小林開易堂」

新潟に明るい人からどこを尋ねたら良いか聞きながら、巻の街を探してみると、薬屋らしからぬ店を見つける。はるばる来たことを告げると、店の裏にある小学校の教室のような部屋に案内してもらい、そこで、手動の丸薬製造機を見る。

製丸器「豆本」より
岡田氏が見たのどんなのだったのだろう…

機械の下には、一ミリ直径ほどの小さな黄色い丸薬が無数にこぼれ落ちている。手にとって拾い上げてみる。この原料は、目で見て想像した通り、硫黄である。正確にいうと重炭酸ナトリウムと袋に書かれている。それにしてもなんとまあ原始的な機械で細々と一粒ずつをつくり出すことか、と思いを新たにした。
五十をすぎたと思われる男二人、隣の板張りの部屋では、女が五人ほど坐りこんで、かみ紙袋を一杯にひろげて、隣の部屋でつくり出された薬をつめこんでいる。ここが包装の係なのだ。一袋十円と印刷した「毒消し薬」のほかに、風邪薬や不動目薬などの袋が散乱している。
「今は、毒消しだけじゃあ、どこもやっていけないので、ほとんどほかの薬を売っているんですよ」
 とその店の主人は言った。「毒消し丸」と書いたものは、今では、売薬のひとつにすぎなくなり、上州の村では私が聞いたように、大は反物たんものから、オムツカバー、ポマード、白粉おしろい歯刷子はぶらし、ピンどめまでそろっている移動百貨店というのが現状なのだ。

秘められた旅路
袋つめ 「豆本」より

「このあたりでは、もう三百年前から作っているんですよ」と主人。
この一節が書かれたのが1960年。この時点で薬を作っているところは、巻町に三軒、隣の吉田町に二軒、近隣の地域含めわずか八軒。角田村にはもう二軒しかないでしょうとのこと。

薬つくりは減っても、毒消し売りたちはまだたくさんいます

ふだんは全国を歩いているから、逢えないが、この時期はちょうど良いとのこと。彼女たちはほとんど主婦で、年に一度開かれる薬事法の講習会に参加して、薬の知識や売るための規則を教えられる。集まる毒消し売りたちはざっ二、三百人。しかし若い人たちは少ないらしい。

「やはり、若い人は荷物をかつぐのが嫌なんでしょう。少なくなりましたね。駅を出ていくときは、カスリの着物は嫌らしくて、荷物で送って、ふつうの服装をして出て行くんで、わかりませんよ」という巻の駅員の話を思い出した。(略)
 これから行く角田浜は、海辺の農村だろうかが、米をつくっては生きてはいけなかったのだろうか。米どころといわれる越後平野の一隅だから、電気洗濯機やテレビの普及は水準以上ではないか、と私は思った。

秘められた旅路

とさまざま、思いを巡らしながら、岡田氏は角田浜を目指します。
「旅して売り歩く女の人たちを、私は配達員と呼んでいます」と小林開易堂の主人に言われ、「毒消し売り」などと呼ぶのは失礼だろうと注意すべきだったと思いかえす。

ということで、この話は富山の薬売りの亜流の話でもなく、行商のおばさんの今昔物語でもなさそう、というのが少しでも伝わったら幸いです。
続けて書いてみたいと思いますが、手持ちの文献も限られ、越後・新潟の人たちの歴史や心象までも理解しようとは努めても、色々と粗相が生じそう…。
もし、「毒消し売り」についてこんなこと知っているとかあれば、是非教えてください~  (つづく)


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