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#ちょろけんの映画 『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』

前提知識

 この映画はイタリア現代史の闇を主題としているので、ある程度の前提知識をまず述べる。

 冷戦時代に、イタリアは西側陣営に属していた。地図を見ればわかるが、イタリアは共産圏と国境を接しており、反共の防波堤としての役割を求められていた。また、ソ連にとってもイタリアは重要な窓口であった。このような背景から、イタリアでは東西の諜報機関が暗躍していたといわれている。

 イタリア戦後政治体制の要であったのは、キリスト教民主党である。この党はデ・ガスペリが中心となって結成された党で、主に北部のカトリック勢力を基盤としていた。60年代の高度経済成長期に入ると、南北格差を是正するため、南部の農業地帯にインフラ投資が行われていく。この過程でキリスト教民主党は土建業者やマフィアとの癒着を強めていく。

 経済の急速な発展に伴って、南部から北部や海外への人口流出、都市周辺のスラム化、貧富の格差といった問題が発生した。同時期には学生運動も盛んになり、学生運動は労働運動と結んで社会問題の解決を訴え、デモやストライキを起こすようになった。そして、かかる勢力に支えられて、イタリア共産党は着実に議席を増やしていく。赤化の可能性に危機感を覚えた組織がある。キリスト教民主党内の右派、極右政党や、軍部、警察、官界さらには財界の大物の集まりである、ロッジャP2だ。反共政策の一環として、この組織は諜報機関の助力を得て、1969年のフォンターナ広場爆破事件を序曲とし、数々のテロ事件や暗殺事件を起こしていく。この作戦を「緊張の戦略」という。
 これに呼応して、極左団体も暴力を振るうようになる。理由は二つある。第一に、極右団体が社会運動の壊滅を目標の一つとしていたこと。第二に、イタリア共産党の路線に立腹したことである。イタリア共産党はキリスト教民主党との対話を模索し、徐々に議会内の一勢力として漸進的改革を目指す方針に切り替えた。見方によっては、これは赤旗を泥土に踏みにじる行いである。ただし注意すべきは、極左団体と学生運動全体とを同一視してはならないことだ。

 このような暴力の応酬によって治安は悪化した。1973年のオイルショックをきっかけに、経済情勢も危機的となる。国難を突破するため、キリスト教民主党党首のモーロ(ヘッダー写真)は、共産党も含めた大連立政権の樹立を構想し、各方面と勢力的に交渉を重ねる。1978年にはアンドレオッティを首班とする大連立政権が誕生する目処がたった。

モーロ(左)とベルリングェル(右)の会見。ベルリングェルは共産党書記長であった。

ところがその努力を嘲笑うかのように、モーロは誘拐暗殺される。犯人は極左団体の赤い旅団とされるが、ロッジャP2、CIAやマフィアの影もちらつく。モーロを失ったことで、大連立政権は崩壊してしまう。
 80年代には狂想曲はひとまず終わった。社会党が利権配分の体制に加わり、イタリアは一見すると平穏な時代に入ったように見えた。そして90年代となる。

あらすじ

 前置きが長くなったが、これから本題に移ろう。
 時は90年代初頭のローマ。執務室でタイプライターに向かう老人の顔がズームインされるカットから、映画は始まる。このメガネをかけた猫背の男は、ジュリオ・アンドレオッティという名である。彼はキリスト教民主党の重鎮として名高い。敬虔なクリスチャンであり、教養のある政治家だと評される。
 そんな彼が表舞台で活躍する間に、奇妙なことに敵がどんどん消えていく。実業家、新聞記者、警察幹部、他の派閥の長、などなど。事件が起こるたびにアンドレオッティの名が浮上するも、捜査対象とはならず話題は立ち消えとなる。「ポエニ戦争後にイタリアに起こったすべての事件は、私のせいだといわれる」とは、自身が事件の黒幕だとする説に対するアンドレオッティの言葉である。
 しかし、安泰な神聖帝国に危機が迫ろうとしていた。

感想

 イタリア現代史を知らないとストーリーを追えないだろう。下記参考文献に目を通してから、この映画を観るべきだ。

 映像はすごく美しい。古典的な絵画作品を思わせる構図である。アンドレオッティ派の会食のシーンは完全に「最後の晩餐」であった。また、音楽もよい。クラシック、ロック、電子音楽を巧みに使い分けている。
 であるにもかかわらず、いや、であるがゆえに、アンドレオッティの醜悪さが際立って見える。冒頭から次々と敵が死んでいく。ビートの効いた明るい音楽に合わせて銃が撃たれるが、人殺しなのにまるで祭りのようであった。アンドレオッティは外見はごく普通の人物である。しかし、彼の無表情と巧みな弁舌は、腹の底で何を考えているかを覆い隠してしまう。「善のために悪をなす」という自己弁護の言葉は、底なしの暗闇に吸い込まれていくように響いた。
 話が進むにつれ、アンドレオッティの頭痛の原因がモーロの亡霊であることが明らかにされる。結末の裁判のシーンにも現れ、「アンドレオッティはいかに記憶されるだろうか」と問いかける。さて、アンドレオッティをあなたはどう記憶するか。

参考文献


AFP『イタリアのマフィアと政治の腐敗、2つのイタリア映画が「パルム・ドール」最有力候補』(https://www.afpbb.com/articles/-/2395304?act=all)
伊藤武『イタリア現代史』中央公論新社、2016
北村暁夫『イタリア史10講』岩波書店、2019
高橋進、村上義和編著『イタリアの歴史を知るための50章』明石書店、2017
平島幹『「鉛の時代」:「蛍が消えた」イタリアを駆け抜けた、アルド・モーロとは誰だったのか』(https://passione-roma.com/『鉛の時代』-「蛍が消えた」イタリアを駆け抜け/)
長手喜典『首相の犯罪は歴史の審判に待つのか?』(https://iti.or.jp/flash/49)

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