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#ちょろけんのメモ 宵闇の現代日本

ヘッダー画像は拝借いたしました

 ロシアとウクライナとの戦争は、いまや我々のいる時代を「新しい戦前」にしているかのようだ。この戦争がどう終わるかは容易に見通せない。しかし結果はどうあれ、戦争の前、すなわち国境など無いに等しかった時代には戻れないだろう。あの頃は航空機が縦横無尽に飛び回っていたが、領空封鎖は領空の範囲を改めて実感させた。

 平和を求める努力は引き続き最大限になさなければならない。ただ、思考の枠組みを時代に合ったものにしたうえで、ということは言っておく。先の大戦を反省するより、次の大戦を回避することを論題とする時期に来ているのではないか。我々はまだ戦地にはいないが、これからは個人と国家、良心と服従、友愛と敵対とのジレンマの下で生きていかなければいけなくなるだろう。現代の日本は、宵闇にある。しかし、どんな時でも我々一人一人は善き市民として気丈に振る舞わなければならない。

 ナショナリストであれコミュニストであれ、同じ列島に住む者どうしある一つの理想を共有すべきである。これが「国民の民主的統合」という言葉を用いて『ベルリングェルと歴史的妥協に関する覚書』で追究しようとした、市民社会における思想の土台の問題だった。右派と左派との論争はその土台の上で行われるべきであるし、そうした対立軸をもつ対話から新たな発見が生まれるものだろう。日本の戦後政治体制も、戦争体験という土台の上に築かれたものだった。しかるに、土台といえるものは失われて久しい。太平洋戦争は「身近な話」から「教科書の文書」になってしまった。他方で、戦争の亡霊は、国際政治ブロックのヴェールをかぶって手招きをしている。我々は絶望的な状況の中であっても、善き市民たるべく生き、そして土台作りにつながる契機を探さなければならない。明けない夜はないのだから。

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