見出し画像

番外編 突然気づいてしまったの件

この地に来て、なぜ

こうも空を見上げるのか。

周りを見回しながら歩くのか。

小さな変化をキャッチして喜ぶのか。

家の中の物たちの世話をせっせとするのか。

自分の変化を不思議に思いながらも、数か月…。


先月、大好きなところに行き、大好きな人たちと会い、の帰り道。

「あっ、そうだったのね。」と気づいてしまった。


大好きなところ・人といる時は、空を眺める時間も余裕もなかった。

話す内容に夢中で、他に想いを馳せる余力もなかった。

喜怒哀楽のコントラストが強すぎて、他の感情に気づく余白もなかった。


「あれは、確か、あそこにあるはず~!」「いや、できるって。」

「あの時は、こうしてたと思う~。」「うっそ!?なんで?」

「これ、どうするっけ?」「あぁ…忘れた…」 アハハハハ……

今のことで精一杯。『好き』の量も満杯で、他が入り込む余地がなかった。


帰り道、ぽっかり空いた時間に、車窓の移りゆく景色を見てたら、

「あっ、そうか。居る場所だったところが、行く場所になったんだ。」と、突然気づいた。

転居は、私の変化ポイント。そこには必ず、「元と全く同じではない」という事実がセットとなり、うっすらとした『寂しさ』がついてくる。それは、必ず通る関門。

私が居ても進む時間。居なくても進む時間。行くことで進む時間。

私は『寂しさ』という穴を埋めるために、日常で『好き』を探しているんだなと。で、「そうか、私は、この数か月、寂しかったのか…」と。

イマサラナガラ…キヅクノガオソイ。



今までの経験上、渦中時は、核心部分をうっすら・ボンヤリさせておくことで、救われることが多い。核心部分に触れられるようになったということは、自分にエネルギーが溜まってきた証拠。

いけそうだな。私。

そして、今日もスキの隙間にしみこませるように、空を眺める。 

好きを探す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?