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置かれた就職先で咲くことは人生の目標を諦めているか


置かれた場所で咲きなさい
身を弁えなさい

人生において大事なことだと聞きました。
自分が置かれた状況の中で、花を咲かせられるように生きることは大切だと思う。身を弁えている。
そん中で、
できる努力をすることは素晴らしいことだ。

だが、「身の弁え」
これが良いか悪いかと言うとわからない
どっちにも転びうる。

弁えすぎれば、目標にはいつまでも届かない
というデメリットの方が、私は大きいと思う。

たとえば
私は贅沢な飛行機ではなくて
身を弁えて、チャリでハワイ目指します。

っていうのは無理

身の丈うんぬんの前に、
ハワイ行くなら飛行機乗らなきゃ一生着かない

現状の位置を把握するときにはね
自分エフェクトかけずにフラットにならないといけないけれど、

夢や目標や
こういう暮らしがしたい
こういう人になりたい
こういう人生をすごしたいとか、

志望校
志望企業、

好きな人とかを、

自分が高望みしてるって分かった上での高望みって、むしろカッコイイと思うわけなの。
欲望が出てくるからこそ人はよりよい暮らしを得られると思うから。

現状からしたら高望みかもしれないけど、それはこれから埋めていけば良いんです。

いま → もくひょう

ここのギャップをいかに埋めて行くか。
そのために頑張り、このとき頑張ることは楽しい。

満足のいかない置かれた状況で咲く努力を
楽しいと思うことはできるのか。

置かれた場所が
自分ではどうにもならないという場合も、
まだ余地はあるのに諦めている
ということにはならないのか

とか言ったけど、私のリアルは
挑戦、目標に怯えている。
間違えること負けること落ちること笑われることが怖いから
まずは

・恐怖に打ち勝つ
・挑戦する
・自分のリアルを知る
・目標到達までの改善点を得る
・変わる努力
をループする。

*落ちても負けても目標を簡単に下げない
*わたしが死ぬまで、立てたビジョンに挑戦していい
*プランは変わっても良い

受け入れる心と疑う挑戦心は、
バランスよく持ちたい。

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