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失敗の活かし方を考えると過去が愛おしくなる

僕は失敗することが大嫌いだった。

失敗すると、人間失格の烙印を押されたような気持になるし、「こんなことなら挑戦しなければよかった」とすら思えた。

人がいきいきと生きていくには”自信”が必要だと思う。その自信を挫かれるような失敗があると、「生きている意味は?」「夢を見てはいけないのでは?」といった精神の暗黒沼にズブズブと沈み込んでいくのがお決まりのパターンだった。

今思えば、その経験すら成長の糧だった。

失敗しない人生の方が怖い

失敗が好きな人はいないだろう。もし「俺は失敗なんかこわくない」という人がいれば、失敗に対する捉え方が他人と違うのだと思う。

人がなぜ失敗を恐れるのか。それは「人生の遠回り」のような気がするし、「怒られる」、「笑われる」といった他人目線の自分への評価が揺らぐことへの恐怖心だと思う。

でも、失敗しない人はいない。

だとしたら、「失敗を恐れて失敗を避けて通る人生の方が怖い」と思えた。

それはいつか「大失敗」をするストーリーだから。

「死ぬこと以外かすり傷」。僕にはそこまで振り切れた考え方はできなかったけど、ようするにそういうことだよね。

大失敗以外の失敗はいくらでも取り戻せる&失敗は人生の貯金となる。

失敗を経験しない人生は脆い

これまでの経験から、失敗ほど人生のネタになるものはないなと感じる。その人生のネタが個性を生み、そしてその個性で人生が輝くのだとしたら、失敗は自ら迎えに行っても良いくらいのお宝だ。

と、文字なら書けるんだけど、実際に失敗を迎えに行くほどの度胸が僕にあるか?と言ったら、無い。

だからこそ、極力失敗をしないように日々の密度を高めるのだし、失敗の経験を活かせるんだと思う。

そう、日々を高められるのは失敗を経験したから。

失敗を経験していないと「ここまでやったらアウト」「これをやんなきゃアウト」という肌感が身に付かない。

それって人として脆くなってしまいそうだ。

そう考えたら、失敗に対する恐怖感が遠ざかった。僕は薄い人生は嫌なのだ。

活かせない失敗は無い

僕の失敗と言えば、

・借 金
・夢破れたこと

だろうか。この2つは同時にやってきた。

プロミュージシャンを目指して上京した頃に、自称音楽プロデューサーみたいな人につかまって、気づいたら健康食品買わされて借金地獄に。田舎から出てきた夢見がちな若者はいいカモだったんだろう。

300万くらいの借金だったけど、消費者金融からの電話が鳴るたびに死にたくなった。

結局借金は親に完済してもらったが、親にまで迷惑をかける夢など自分を呪うだけだ。もう音楽はやるまいと思った。プロなんか目指すか、と。

でも、これを人生のどん底とすると、こんな経験している人はなかなかいない。友達100人くらいに「自称音楽プロデューサーに騙されて借金背負ったことある?」と聞いて「ある」と答える割合・・・0%に近いはず。

ってことは、僕の人生経験としてかなりのブランディングができたんじゃ?!と前向きに捉えられる。

まぁ、どん底経験をプラスに捉えられるまでには、十数年かかったわけだけど(笑)

どん底=失敗を経験すると、日常生活のたいていのことにはビクともしなくなる。そして経験を活かしだすと人にやさしくなれる。さらに、人を助けたくなる。

活かせない経験などない。(と無理やりにでも思った方が気楽)

残念なことに自分の失敗経験を上手に生かしている人って、そう居ないんだけども。

失敗を活かすには

僕なりの失敗の活かし方はたった1つ。

発信すること。

発信する内容は、失敗の深度が深いほど得られる学びも深い。

失敗の深度=傷口ってことになり、人は傷口を隠したがる。だからこそ、傷口を見せていくことに価値がある。ほとんどの人がやっていないんだから。

ただ失敗の事実を発信しても、共感は得るかもしれないが、学びが無い。大切なのは「どうやってその失敗を乗り越えたか」であり「失敗から得た知見を発信すること」だと思う。

失敗の数だけ発信することが増えるとすれば、失敗を重ねる人生の方が豊かになると言えると思う。

人はいつまでたっても「失敗しない方法」に目が行きがちだ。だからこそ失敗した人の経験には価値がある。人間は他人の失敗から学ぼうとするからね。

みんなの代わりに俺が失敗しておくよ

くらいの気持ちで日々を生きられれば、人生が180度変わるんだろうなぁ。それこそ、失敗を迎えに行くつもりで^^

さいごに

失敗が許されて、再起しやすい環境が絶対的に必要だ。打たれても打たれても這い上がれる精神性の持ち主はそれほど多くない。

失敗を認めやすく、失敗を活かせる環境でこそ人は自信を持てるんじゃないかな。

その点で僕は思ったことを行動に移せるだけの環境があった。

「とりあえずやってみなさい」とは誰も言ってくれなかったが、失敗しても成功してもたいていの人が放っておいてくれた。無関心と言えばさみしいが、身近な人が口うるさく否定してくるような環境ではなかったことに対しては、本当に恵まれていた。

”あえて何も言わない”ってのは、難しいことだよ。

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