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こだわり抜くこと / こだわりを捨てること

 ・徹底的にこだわり抜け 
      or
 ・こだわりを捨てろ

いったいどっちなんだ。どっちも正解で、どっちも不正解なのか。

これは僕の長年の疑問だった。答えはまだ出ていないし、たぶんこれからも答えが出せないと思う。そういった本もたくさん読んだけど、書いてあることはまちまちだ。当然だよね、著者なりの考えなんだから。

こだわりがあるから頑張れる、自分らしさになる、と思う反面、こだわりが捨てられないから自分が変われないんだと痛感する場面がある。多くの人に共通する感覚だと思う。

僕はこの感覚(こだわる部分とこだわりを捨てられない部分をいったりきたり)を自分の精神的弱さだと思っていたけど、実はこれこそが自分らしさなんだと気づいた。人生は矛盾だらけだけど、無理に答えを出すことを止めると、案外「どっちでもいいや」と思える。だってどっちも大切なんだもの。

 こだわりを持ち続けるか、捨てるか

といった二分法でしか考えられないことこそ、考え方が凝り固まっている証拠だし、捨てるとすればその思考自体だろう。捨てたら拾っちゃいけないと思うのもまた極端な考え方だ。捨ててみて「あー捨てなきゃよかった」と思うのなら、また拾えばいい。拾ってみて、「やっぱ捨てて正解だな」と思えば、また捨てればいい。

ある意味優柔不断な考え方こそ、僕の「自分らしさ」だった。自分らしさを知ると、決断が早くなる。結局僕という人間は何か始めても迷うだろうし、辞めることもある。どんな結果だとしても自分が選んだ道だと思えるから。

人脈や人間関係は簡単に捨てたり拾ったりはできないけど、これは「自分のこだわり」の話だ。”どちらか一方”という狭い考え方を止め、どっちも選ぶ、そしてどっちも選ばないという選択肢があることを改めて意識したい。

「答えがある」、「選択肢は二択」と思うと、生きるって苦しいからね。

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