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【第三話】いまの社会があるのは開拓した人がいたから

私は車椅子を使う人と街に出かけたことで、初めて「社会」という存在を意識しました。1990年代のことです。

当時、大学生の私は、障害のある人が暮らすグループホームというところで泊まりのアルバイトをしていました。そこは福祉施設といった外見ではなく、住宅街にあるふつうの一戸建てでした。

グループホームに住む男性の外出に、付き添ったときのことです。その道のりで、私一人ではけっして経験しないことに遭遇しました。

駅に着いて、窓口で駅員に車椅子の乗客が電車に乗ることを伝えました。乗車のサポートをお願いするためです。すると、つっけんどんに、

「何時発に乗るの。連絡していた?」と言われました。

10分おきにやって来る在来線でそんなことを言われても……と思いましたが、当時は乗降の手伝いが業務として考えられていなかったのでしょう。私たちは階段の上で駅員が来るのをしばらく待っていました。まだエレベーターが設置されていない駅も多く、階段の上り下りには人の手を借りるしかなかったのです。

「お手伝いしましょうか」と私たちに声をかけてくれる人がいました。「ありがとうございます。ぜひお願いします」と私は答えました。

ただ、車椅子を持ち上げて移動するには、3人から4人が必要です。私が後輪側を支えたとしても、まだ一人足りません。しばらくして駅員が到着して、ようやくホームに降りることができました。

ホームに電車が入ってきてドアが開くと、駅員がスロープをかけました。車椅子を押す私は、車輪が外れないように集中して乗り込みました。

すると、マイクを通して駅員が車掌にアナウンスしました。

「横浜駅まで車椅子一台」

誰も聞いていないようですが、車内の全員に届くほどの大音量です。彼と一緒にいた私も侮辱されたように感じて、「車椅子ではなく人ですよ」と言い返したくなりました。しかし彼はどんなにひどい扱いを受けようと、ひるむことはありませんでした。堂々と胸をはって、車椅子に座っていました。私はその姿に圧倒されて、惚れ惚れしていました。

車椅子を使う彼は言葉を話さず、態度やジェスチャーで自分の意思を示します。私は彼の表情や様子から、何を思っているのか想像していました。たとえば穏やかな表情であれば、安心して移動できたのだろうと考えました。

実際に、車椅子に乗って持ち上げられてみるとわかりますが、思わず声が出るほど怖いものです。だから私は見ず知らずの人たちの中から「彼が安心できそうな人」を真剣に選ぶようになりました。何度も繰り返してやっと気づいたのは、力のある男性や体格のしっかりした人という基準よりも、気配りに長けていて落ち着いた雰囲気の人に頼むのがよさそうだということでした。

外食するときは、車椅子のまま着席できるように置いてある椅子を移動させる、食べやすいスプーンやおかずを切るハサミをテーブルに並べる、メニューによっては深めのお皿を持ってきてもらうなど、私はグループホームでやっている準備と同じことをしました。

これらは「当然、必要なことだ」と思っていました。エレベーターのない駅では人の手を借りて階段を降りるように、足らないところは誰かが補う必要があるからです。
しかし、あたりまえのことをしているはずなのに、私は、ふだんは意識しない重圧を感じていました。周囲にどう見られているか、一緒にいる私の振るまいのせいで、一緒にいる彼まで「変な人」に見られかねないと、いつも気にしていたのです。

私が肩肘を張ってしまったのは、外に出ると居心地の悪い経験を何度もしていたからです。
注文をとったり、頼んだものをもってきてくれたりする際の、スタッフの対応は大きく二とおりに分かれます。ある人は、ふつうのお客さんと同じように、「小皿を置いておきますね。空調はいかがですか?」と彼に直接、話しかけます。

ところが、彼が目の前にいるにもかかわらず、その存在を無視して、隣にいる私としか話そうとしない人もいるのです。あきらかに彼より年下の私が、まるで保護者のように扱われることもありました。

彼の気持ちを想像すると、さぞかし悔しいだろうと思いました。彼は感情が細やかな人で、どんなに傷つくだろうと心配にもなりました。「あんまりだ」と私が言いたくなるとき、彼は口をぐっと結んで全身で受けとめているようでした。

ただそれは一瞬のことで、「食べる、移動する」など次の行動を私に伝えるのです。何があってもへこたれない彼を見ながら、私も自分がすべき手伝いに専念するようにしていました。

彼の姿勢に支えてもらって、私は「人の考え方」に目を向けるようになりました。車椅子の彼と直接話すかどうかで、彼に会った人の「あたりまえ」があぶり出されるようでした。相手に悪気がないのは十分わかりました。お店や交通機関の人に「話し方がわからない」といった戸惑いがあったとしたら、何か特別な接し方があると思っていたのかもしれません。でも、そばにいた私は彼の口元に食事を運ぶなど、ただ必要なことを「あたりまえ」にしていただけでした。

当時はまだ、車椅子の人が外に出かけやすい環境ではなく、たしかに彼を受け入れない雰囲気がありました。それでも駅で困っていれば声をかけてくれる人がいて、お店に入れば親切に対応してくれる人もいました。

さまざまな「ふつう」の中で、なんとか生活しようとする彼のような人たちが、いまの「ふつう」を誰もが暮らしやすい方向に変えてきたのだと思います。

あれから20年以上が経ちました。いま駅で、

「お客様のご案内終了です」

というアナウンスを聞くと、彼と出かけたころのことを思い出します。

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