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【第四話】人生に添っていなければ何の手伝いにもならない

「つまらない……」とその人はよく言っていました。

はじめて福祉施設で会ったとき、彼は部屋の片隅で計算ドリルをやっていました。感情をほとんど表に出さず、何かを我慢するように黙々と解答の数字を書き込んでいました。それが当時の日課になっていたようです。

彼のうんざりした様子は、福祉施設で働きはじめたばかりの私の心に深く刻まれました。まだ30代前半の彼が、生気を失ってまるで枯れ果てたかのような姿に見えました。そのやりきれない雰囲気の裏には何があるのだろうと思ったのです。

彼は20代の若さで交通事故に遭い、脳にも外傷を受けました。仕事に就いたばかりで、まさに人生はこれからというタイミングです。彼の症状は高次脳機能障害といって、事故のあとの体験を覚えられない、新しい出来事を思い出せない、低い段差など普通なら気づくことに注意を払いにくいなど、さまざまな支障を伴う深刻なものでした。彼は入院後に、脳のトレーニングとして計算ドリルを始めたそうです。その後に通うようになった福祉施設でもこれを続けていました。

そんな彼も話してみると、冗談の好きな普通の青年でした。

好きなバイクやお酒のこと、お気に入りの犬種のこと、家族のことなど、話題は尽きません。彼とは年齢が近いこともあり、私は次第に友人と接するような感覚で、彼と一緒に過ごす時間を楽しむようになりました。同時に、支援者という立場で「このままリハビリを兼ねた毎日を過ごしているだけでいいのだろうか?」という疑問も感じていました。

そんななか「今日は行きたくない」と言って、彼が通所を休む日が続くようになりました。

施設の車で自宅まで彼を迎えに行った朝のことです。ベッドから起きない彼に「どうしたの?」と私が尋ねると、「何もすることがないから」と答えます。私は職員として、その日に予定している活動を説明しました。「午前は革細工の創作があり、午後は散歩を兼ねてどこまで行って……」と話しているうちに、私のなかに疑問が湧いてきました。彼が言いたいのは、そういうことではないと感じたのです。

無気力に見えた彼の姿は「ほんとうに施設でやっていることはつまらないし、そんなことはしたくない」と言っているのではないか。それは障害の後遺症のせいではなく、彼の望む人生と施設での過ごし方があまりにかけ離れているためではないか。このとき私は、お茶を濁したような日中のプログラムの正体を彼に見透かされていたと思いました。

そこで活動の内容を工夫しようと、彼と一緒に高次脳機能障害のある人が利用する福祉施設に見学に行くことにしました。私は工夫された作業の工程に感銘を受けるとともに、とくに環境面の配慮について教わりました。しかし、肝心の彼は終始、気乗りしない様子で、何を見ても憮然とするだけでした。

あとから彼に感想を聞くと「俺には単純作業しか残されていないのか」とつぶやいていました。そのときの私は、彼に合った活動を探しているつもりでしたが、やはり、ここにも彼の求めているものはなかったのです。

私はどうしたらいいかわからず、困りはてました。そのころ、同じ障害をもちながら当事者のミーティングを主催する友人を思い出し、彼に助言をもらいに行きました。

「私の場合、まず支援者にお願いしたのが、自分の話を聴いてもらうことだった。ただ一方的に聴いてもらい、その中で自分の考えをまとめていった。とにかく何も口をはさまないでほしいとお願いしたよ。これが自分を取り戻すのに必要だったんだ」

その人からは、こう言われました。

思い返すと、私は彼と話をするときは、私がするべきことを同時に考えていました。口をはさまずに「ただ聴く」姿勢で接したことは一度もありませんでした。友人からアドバイスを聞いて、まず、こちらから何かを提供しようとする私の考え方がズレていると気づいたのです。

「家族に迷惑をかけないで暮らしたい」
「大学に行ってみたい。昔、家庭教師が大学はおもしろいと言っていたから」
「飲み屋街に出かけたい」
「パグを飼いたい。毎日散歩できるから」

ようやく私は彼がいま何を望んでいるのかに焦点をあてはじめました。一つひとつを実行する計画を立てて、手始めに野毛にあるお店に出かけました。焼き鳥を肴に美味しそうに生ビールを飲む様子は、施設にいるときの彼とはまったくの別人でした。頬を赤らめながら、学生時代に仲のよかった友人と、この街に遊びにきた思い出を饒舌に話してくれました。彼の表情はまさに、水を得た魚のようでした。

「自分の話をそのまま聞いてくれて、ふつうに人づき合いができる関係こそ、彼が必要としているものではないか。福祉施設の枠にこだわらず、彼にとってあたりまえのことを、あたりまえに実現できる場所をつくっていきたい!」

私はこういう手伝いをしたかったのだと、ようやくわかりました。福祉施設で型どおりのプログラムを提供するだけでは、誰も望まない過ごし方になってしまうと気づいたのです。
その後、近隣にある大学のキャンパスに遊びに行ったり、『13歳のハローワーク』という本を読んだりしながら、彼と一緒にこれからやりたいことを探していきました。そして、いつか親が亡くなる日のことを考えて、宿泊施設に泊まって自分の必要なことを気兼ねなく頼むための練習を始めました。

あれからもう10年が経ちました。

「生活を支援するためには、その人の人生に添っていなければ何の手伝いにもならない」

と私は彼から学びました。

いまも彼に会うと、当時の出来事をよく覚えていると言ってくれます。私も彼と話しているうちに、忘れていたエピソードを思い出して懐かしくなります。あのころ、施設では彼の記憶にこだわって「午前中に何をしたか覚えている?」と聞いたり、その日にあった出来事を日記に書いてもらったりしていました。当時の私はずいぶんと的外れなことをしていたと思います。

念願だったパグと散歩している彼は幸せそうで、リードをひくその姿は、あたりまえの生活がどれだけ尊いかを見せてくれているように感じます。

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