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画用紙の仏壇 その一

遠くから夕焼け小焼けのメロディーが聞こえてきた。6階の窓から外を見ると、濃紺の空を背景にして遠くの建物の窓からオレンジ色の灯りがもれている。いつの間にか日暮れが早くなった。ひんやりとした空気が足元から流れてくる。

大沢詩織は、病棟の扉の鍵を開けて廊下に出た。鍵をかけようと振り返ると、中から林が近づいてきた。

「大沢さん、僕も一緒に下に降りるよ」

看護師長の林敏郎は、すっと息を吸って大きな腹を引っ込め、扉を開けて待つ詩織の脇を強引に通り抜けた。詩織が鍵をかけると、今度は林が非常口の重い扉を開けて待っている。ここでは、職員はエレベータを使わずに階段で移動する。

「もう11月も終わりだし、今年もほんと、あっというまだったね。ワーカーさんはまだ仕事をやっていくの」

仕事中の林は、よく通る大声で指示を飛ばす。どれだけ耳慣れていても、この音が響き渡ると、ナースステーションの空気は一瞬でピリッと引き締まる。しかし、勤務から解放され、非常階段を降りるころには、林の声は低く、静かになっていく。

「林師長、今日はすみませんでした。私、うまく言えなくて」

詩織はその先を言おうとして、喉が詰まった。

「まあ、まだ始まったばかりだから。これから、でしょ。」

少し間を空けて、林がゆっくりと答えた。

5年前から、詩織は精神科病院の諸田メンタルホスピタルでソーシャルワーカーとして働いている、いまでこそカタカナの洒落た名前になったが、30年前は「諸田記念病院」と呼ばれ、さらに遡ると、80年前の創業時の名称は「諸田脳病院」だった。

諸田記念病院の頃、詩織の肩書でもあるソーシャルワーカーは「医療社会事業室の相談員」と呼ばれていた。詩織の生まれるずっと前から、この病院に入院している患者が大勢いる。そんなベテラン組には、ソーシャルワーカーと名乗るより相談員と名乗る方がよく伝わった。

病棟で起こるいろいろな相談ごとを聞いて歩いて、詩織の一日は過ぎていく。今日の午後は林の病棟で、ある患者の退院にむけての話し合いがあった。退院した患者の多くは自宅に帰る。帰宅したあとも手助けがいるかどうかを調査し、その必要があれば準備するのが詩織の仕事だった。

しかし、この病院に入院する患者たちの多くは帰る家がなかった。文字どおり、住む家のない人もいれば、家族が同居を認めない人や、本人も知らないあいだに自宅を処分された人もいた。退院したら自宅へ帰るというあたりまえのことが、ここではかなり恵まれた話だった。

今日の話し合いで、詩織は、退院して施設で暮らすべきだと言う医師に真っ向から反対した。誰かが反対すると、主治医の橋本は相手の理由は聞かず、無口になって睨みつける。いつもの反応に、話しは進まなくなり時間切れになった。近くにいた看護師たちは、呆れ顔で詩織を見ている。「あの先生の機嫌をとるのは慣れているけどね、とにかく時間がかかるんだよ」と昔、林に聞いたことがある。

「お疲れ様でした。明日、またお願いします」

詩織は深くお辞儀をして林と別れた。「退院先はまだ決めないで、みんなで可能性を考えてみませんか」と、橋本医師との睨み合いを収めた林に感謝した。

相談室に帰ってくると、同僚たちの机はさっぱりと片づき、ユニフォームがわりの白衣がハンガーラックに並んで吊り下がっていた。詩織の机の上には、数枚のメモ用紙が置いてある。同僚や事務の職員たちの字で、その日に受けた電話の伝言が書かれていた。

「電話くれって何度もかけ直したのに、そっちが出なかったじゃないの。折り返し、折り返し、これは明日にします」

部屋に戻ってくると独り言が増える。

詩織はいつも持ち歩いている大学ノートのページにメモ用紙を一枚ずつ糊づけた。受けた電話の折り返を忘れると、揉め事のきっかけになることが少なくない。忘れないようにメモするたびに、ノートはどんどん分厚くなった。最後のメモ用紙を貼りつけた時、詩織の机の電話が鳴った。終業の時刻は10分ほど過ぎている。

「はい、諸田メンタルホスピタル相談室、大沢です」
「もしもし、角田ですが、大沢さん?」

病院の近くで一人暮らしをしている患者からだった。詩織は毎月、角田の自宅を訪問している。坊主頭で表情ひとつ変えずに街を歩く姿は、年老いた修行僧のようだった。彼がこんな遅い時間に電話をかけてくるのはめずらしい。

「あれ角田さん? 大沢です。どうしました?」
「大沢さんさ、榎本ゆきさんを知ってる? デイケアの人なんだけど」
「知ってますよ。訪問もしていますし」
「榎本さんがね、さっき歩いていたんだよ」

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