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画用紙の仏壇 その4

デイケアセンターでは、午前のプログラムが始まろうとしていた。

フロアのあちらこちらで、利用者がおしゃべりに花を咲かせている。髪をツインテールにした黄色いワンピース姿のひとりが話の輪に割りこんで「ゆきちゃんはきてる?」と尋ね歩いていた。

盛り上がっていた会話を遮られた利用者がムッとした顔で「おこめちゃん、ゆきちゃんじゃないでしょ。名前呼ぶときは、ゆきさん。年上でしょ」とたしなめた。

おこめちゃんと呼ばれたその人は、急に背筋を伸ばして相手を見下ろすと、ドスのきいた声で「じゃ、お前も俺を気やすくおこめちゃんとか言うんじゃねえ」と言い返した。続けて「米田鉄男さんって呼べ」と凄むと相手は小さくなって顔を背けた。

米田の前に杖をついた白髪頭の小柄な男が立った。

「朝からうるさい。こめ」と舌足らずでキンキンと響く声で言った。

表情を緩めた米田が「お、康二。うるさかった?」と男に近づいた。二人が並ぶと身長の差が際立った。

「そんな格好でがなるなよ」
「可愛いでしょ今日の花柄。ゆきちゃんに見てもらおうと思ったのに来てないみたい」
「知るか、気色わるい」

若林康二はそう言い捨てて、右足を重そうに引きずりながら集会室に進んでいった。

「あ、へ、偏見。へんけーん! 服装の自由は憲法にも書いてあるんだぞ! 若林くんの偏見でましたー」と米田がスカートを掴んでひらひらとはためかせた。

そばで見ていた若い利用者たちが「そんな法律あった?」「おこめちゃんだけの法律でしょ」とクスクス笑っている。

米田と若林は同じ小学校の幼なじみで、もう10年以上は通い続けるこの病院の古株にあたる。若い利用者たちが寄りつかない若林も米田と話す時だけは穏やかになった。

詩織と藤田はデイケアセンターに着いた。朝のプログラムが始まりフロアは静まりかえっていた。二人は集会室とは反対の方向に進みスタッフルームの扉を開けた。

デイケア課長の桜井俊介が緊張した声で指示を出していた。

「いま、香川が木島と一緒にゆきさんの家に訪問に行っている。誰か、二人のプログラムを代わりにやってくれ」

それを受けて、数名のスタッフが慌ただしく段取りの打ち合わせを始めた。

「お、大沢! 藤田もいいところにきた! こっちにきて」

桜井は詩織の姿を見つけると、人差し指をくいくいと手前に曲げ、近くの椅子に座るよう促した。

「今朝から榎本さんと連絡がつかない。行方がわからん。いま、自宅を訪問してる」
「行方不明って課長、ちょっと大騒ぎしすぎじゃないですか」

藤田が肩をすくめながら軽い口調で答えた。一瞬、近くにいたスタッフが睨みつけたが、すぐにそれぞれの仕事に戻っていった。

「いつも彼女は同じ送迎バスに乗ってくるんだけど、今日はいなかった。休みの連絡もない。電話しても出ない。安否が分からないんだ」

詩織は小刻みに頷いた。どこまでも底なしに深くなる予感をもっているより、こうして現実の形を目にするほうが恐くなかった。軍隊の一兵卒のように「自分がこれから何をすればいいのか」の指示を仰げる心になった。

となりで藤田が「マジか? なにこれ、室長エスパーかよ」とつぶやいている。

「桜井課長、私たちどうしたらいいですか」
「大沢は主治医に報告してほしい。それから藤田と捜索を頼む。さっき香川たちが出発したから、じきに連絡が入る。家族には俺が連絡する」

そのときデイケアの電話が鳴った。スタッフが「香川から電話!」と受話器を渡す。桜井は「うん、うん」と答えながらホワイトボードに「異臭なし。新聞、郵便物なし。人影なし」と書いていく。

主治医に報告と言われて、詩織は昨日のカンファレンスでの言い争いを思い出した。その相手は一歩も引かずに激しくやりあった橋本だった。ヘソを曲げて子どものようにすねている彼の姿が頭に浮かんだ。「いや、気にしちゃだめ」と声が出た。いまは、つまらない想像をしている状況ではないと自分に言い聞かせた。

「いまの独り言ですか」
「うん、藤田に言ったんじゃないの」
「この人の主治医って誰でしたっけ」
「橋本先生。昨日、病棟のカンファレンスでケンカしちゃった」
「あーそれ、マズイやつ」
「まずいとか関係ない。動こう」
「じゃ、僕は室長に連絡しますんで」

二人はそれぞれPHSを手に電話をかけ始めた。

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