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【第七話】過去から襲ってくる恐さに打ち克つ

「ひとりで不動産屋さんに入れるくらいなら、とっくにそうしています。でも、どうしてもダメなんです」

彼は言いづらそうに、でもいつもより大きな声で告白しました。

人々が行き交う商業施設の休憩スペースに、私たちは二人で座っていました。いくつかの不動産屋をまわって候補になる物件はあったものの、彼は私にその後も付き添ってもらいたいと思っていたようです。50代にもなって家を借りる話すら満足にできないと、彼は自分に苛立ち、自分を恥じていました。

拘置所から出てきた当日の戸惑いに始まり、役所や不動産屋でのやっかいな手続きや交渉をとおして、ようやく私たちはお互いの考えを率直に話すようになりました。もちろん裁判を迎えるまでも、限られた時間のなかで何度も会話は交わしていました。しかし、それと地域に戻ってきてから話す内容は明らかに異なっていました。それまでの彼は慎重に構えて何事にも用心しているように見えましたが、次第に一歩踏み出して懸命に努力する姿勢を感じるようになったのです。

彼もまた同じように、私が何を考えていて、実際にどんな役割を担ってくれているのかわかったとあとから聞きました。このとき、私たちが突きあたったのは、それぞれの「手伝い方」のイメージが異なっていたことでした。彼はもっと私が率先して彼の代わりにやってくれるものと期待したようです。

地域に戻って人生を一から立て直すには、いろいろな手続きが必要になります。彼はこれまで、得意でないことの多くを身内の方に担ってもらっていたのだと思います。いうまでもなく私は彼の家族ではありません。しかも、遅くても数か月後には支援という関係は終わりを迎えます。

ソーシャルワーカーは、住民票の届け出や健康保険と年金の申請などを手伝い、その人が自立した生活を送れるように手助けします。そして、自立するとは、その人が自分らしく生きていけるように、他者との関係を築けることだと私は考えます。

「どうしてもダメなんです」と彼に言われても、私はそれを言葉とおりには受けとめませんでした。心のうちで「そう言わずに、やってみたらいいのに」と思っていたくらいです。

彼はこういった生活にかかわる手続きに不慣れで、しかも苦手なのは私にもすぐにわかりました。しかし自分の住むところを探す経験は自分自身のものとして、彼に味わってもらいたいと私は思いました。これからも、けっして彼が得意ではないけれど、乗り切らなければいけない出来事がいくつも待っているはずです。私などが軽々しく手を出して、人生の主役の座を奪いたくなかったのです。

生活保護で補助される賃料で借りられる物件はけっして多くありません。かろうじてわずかな選択肢があるという状況で、不動産屋さんも案内に同行してくれませんでした。そこで電車に乗って、彼と一緒に候補のアパートを見に行きました。街の様子を眺めたり、外から建物を見たりするだけでも、ここでの暮らしをイメージできると思ったからです。

駅を降りるとにぎやかな商店街があり、暮らしやすそうなところでした。しばらく歩いて緩やかな勾配を登り、「不動産屋さんが言うほど、きつい坂じゃなかったですね」と話していると、最後に急な坂が待っていました。息をきらしながら建物を見上げると、2階の部屋まで長い階段がのびていました。

しばらく運動していなかった彼は座り込んでしまいました。彼を置いて階段を昇ると、なんとも見晴らしのいい景色が出迎えてくれました。高台から街を見おろすと、遠くに赤い電車が横切っていきました。「とてもいい眺めですよ」と、私は休んでいた彼に声をかけました。

駅に戻る道すがら、彼はずっと黙り込んでいました。私は一体どうしたのだろうと思っていると、

「もう、あそこでいいですよ」

と吐き捨てるように言いました。その後も「他のところを探すといっても難しいんでしょう」などと、苛立った口調で話すのです。まるで悲劇にみまわれたように彼が愚痴るのを聞いているうちに、私も「じゃあ、あなたはどうしたいんだ」と腹立たしくなりました。

「このままだと彼の所持金は底をつきそうで、たしかにここは望ましい物件とは言えないかもしれない。かといって賃料をもっと出さないかぎり駅近など無理だろう。生活保護で上限は決まっているし……」と私は悶々と考えはじめました。まるで彼の苛々が私に伝染したようでした。

コンビニの前で黙って立っていると、二人とも少し落ち着いてきました。あらためて話してみると、どうやら彼はあのアパートに閉じこもる生活になってしまうのを不安に感じたようです。駅から遠い、坂の上り下りが面倒になるなど理由をあれこれと並べていました。でも結局、何を心配していたかというと、

「あのころの辛い生活に戻ってしまうのではないか」

ということでした。私は裁判をきっかけに彼と出会っていて、当時の状況を知りません。ただ、彼が恐がっているのは十分伝わってきました。おそらく私の苛立ちは、彼が経験した「あのころの辛さ」と比べるとごくわずかなものに過ぎません。それでも、このときの「息苦しく行き止まりの感じ」は私をひどく嫌な気分にさせました。

よりよい条件の物件探しに同行したり、彼が困っていれば助言したりするのも、ソーシャルワーカーの役割です。はじめ、私はてっきり物件の立地に彼が不満をもったのだろうと考えました。実際はそれにとどまらず彼は過去の辛い体験を思い出して、どうにもならない恐ろしさに襲われていました。私たちが険悪な雰囲気になったこの日、彼はどれだけ大きな不安をもっているかを私に教えてくれたのです。

彼はこんな気持ちを抱きながら暮らしてきたのかと、私ははじめて腑に落ちました。たしかに彼は拘置所で私に過去の経験を話してくれていました。そのとき私は真剣に聞いていましたし、よく分かったような感覚すらありました。しかし、私がほんとうに理解しなければいけなかったのは、いままさに彼が直面している恐怖だったのです。

その後も、物件はなかなか決まりませんでした。それでも彼は電話で、その日の結果がどうだったか私に報告してくれるようになりました。「生活保護と伝えたら、不動産屋さんがいろいろと探してくれた。いい部屋もあったけど、やはり敷金がもっと必要だった」「家賃はいくらまでと言ったら、きちんと対応してくれた」と、彼の声は少しずつ自信を帯びてきました。

「あれから一か月が経ちましたね」

信号待ちをしていると彼が唐突に言いました。私はすぐには何のことかわかりませんでした。あの判決の日からひと月が過ぎたことを彼は短い言葉でしみじみと語ったのです。もうすでにアパート契約を済ませていて、新しい食器やガスコンロなどを下見に行ったときのことでした。

その落ち着いた表情や話し方をみて、私は彼が長いあいだ抱えてきた恐さにとうとう打ち克ったのだと嬉しくなりました。

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